プロローグ
インタビュー:奥脇真由美 撮影:高比良有城 取材日:2021年8月
関ケ原合戦の敵中突破で有名な島津義弘公ゆかりの地・日置市。戦国時代の勇壮なイメージを内包するこのまちのとある住宅街に、穏やかな時間が流れるアートな空間がある。『atelier NiwAtocO』(アトリエ ニワトコ)。大阪府出身のキャンドルアーティスト・田渕尚子さんのアトリエだ。2年前、夫・一将さんの実家がある鹿児島へIターンした尚子さん。一方一将さんはもともと大隅半島の錦江町出身。高校卒業後奈良県の大学に進み、大阪で就職したのちJターンで鹿児島の都市部へと戻ってきた。
鹿児島の風景に惹かれて
明るくて淡くて深く、くすんでいて複雑で品があって・・・そんないろんな要素が詰まっている尚子さんのキャンドル。それは一言でいうと「優しい色」。キャンドルに詰まった様々な要素が、見る時々のいろんな感情に寄り添ってくれるような優しい魅力がある。
「暮らしにひっそりと溶け込む作品を目指している」という尚子さん。キャンドルは、百貨店のウィンドウディスプレイや内装設計をする会社に勤めていた会社員時代、休日に楽しむ趣味として始めた。そのうち独立してイベント等に出展するようになり、スクールに通ってアーティストとインストラクターの資格も取得。そこからキャンドルアーティストとして活動するようになった。
一方で一将さんは、高校卒業後鹿児島を離れて奈良県の大学に進学。プロダクトデザインや空間デザイン、建築などを学び、大学卒業後は大阪の設計事務所や住宅メーカーで設計の仕事に携わる。
二人は大学で出会い9年前に結婚。以来、尚子さんは年に1~2回、一将さんとともに一将さんの実家がある錦江町を訪れるようになる。帰省時は霧島市にある鹿児島空港から大隅半島の中核都市・鹿屋市まで直行の空港バスで行き、そこから錦江町まで車で南下するというのが結婚当初のお決まりのルート。その道中で見られる鹿児島の風景に惹かれたと尚子さんは言う。
「空港から鹿屋まで直行バスで行くんですが、海沿いのルートを走るのが凄く良かった。ドライブが好きなんですが、この道走ったら楽しいだろうなと」
また、時には空港から鹿児島市内行きのバスに乗り、桜島フェリーで大隅半島へ渡るルートで帰省することも。
「それも鹿児島ならではだなと、凄く楽しんでいました」
帰省の度に鹿児島の自然や風景に惹かれていった尚子さん。大阪という大都市で、人波にもまれせわしく過ぎる日々に疲れを感じていたこともあり、次第に鹿児島でキャンドルをやりたいと考えるようになった。またそんな頃、一将さんのお父様が手術をすることになり、「こんな時、近くに居られた方がいいのではないか」とも感じた。
一将さんにそんな思いを話してみると、一将さんの気持ちもちょうど鹿児島に向いていたときだった。
地元を離れて気づいた鹿児島の良さ
「30歳を過ぎた頃から故郷の良さに気付くところがあって、帰ってもいいかなと思っていたところに、妻とのタイミングも合った感じです」
とは一将さん。鹿児島で暮らしていた時には物足りなさを感じていた故郷への想いが、大人になるにつれ変化していったという。
「(大阪での暮らしは)人の多さに疲れてしまったところもあって。一方で鹿児島は、自分にとってちょうどいいなと改めて思うようになりました。昔は物足りなさを感じていたけれど、大阪や奈良、神戸などの都市部を転々とするうちにそんな物足りなさが満たされていって、改めて鹿児島の自分にとっての『ちょうどよさ』を見つけたなという風に思います」
地元で頑張る人たちと出会う
鹿児島への移住を考え始めた田渕さん夫婦。一将さんは鹿児島で再出発するにあたり、これからの自分のフィールドとなる地元建築業界の状況や空気感を知りたいと思った。そんなとき、SNSのつながりから鹿児島市でリノベーションスクールが開かれるのを知り、急遽大阪から飛び入り参加。そこで建築や空き家活用、まちづくりなどに志のある様々な人と出会った。
一将さんが鹿児島の住宅に抱えていた問題意識の一つとして、冬季の住宅の寒さがあった。ともすればヒートショックによる脳卒中や脳梗塞といった疾患にもつながる冬場の住環境。鹿児島は南国であるがゆえに冬場の住環境の質が軽んじられてきたのではないかという想い。それは鹿児島を出たからこそ実感できた部分でもあった。
「例えば大阪にいるとき、北海道から来た人の住宅を設計したのですが、北海道から比べたら当然大阪のほうが暖かいはずなのに大阪の家は寒いと言っていて。大阪に住んでいた自分も、鹿児島の実家に帰ったとき鹿児島の実家の方が寒いんですよ。その差は何なのかと言ったらそもそも(寒さ対策としての)作りが違う。寒い地域はしっかりしているんです」
そんな実感と、大阪時代に深めた断熱性・気密性・省エネルギーといった住宅性能の知見。これまでの経験を生かし、鹿児島のことも知っていてほかの地域のことも知っている自分だからこそできる鹿児島という地域特性に合った建築を、建物単体ではなく地域全体のエネルギー消費や地域の守るべき資本なども広く見据えてやっていきたいと考えていた。
前述のリノベーションスクールでの出会いは、そんな一将さん自身が向かう建築の在り方と同じ方向ですでに動いている先輩や同世代の人たちがいること、鹿児島にその土壌が育まれていることを実感させ、Jターンを後押しした。
「リノベーションスクールでいろんな人と知り合い話をしたとき、『半年後には鹿児島に帰ろう』と決めましたね」
鹿児島へのJ・Iターンを決意した田渕さんご夫婦。後編では、住まい探しや少しずつ広がっていく鹿児島でのつながり、尚子さんのキャンドルアーティストとしての活動や、一将さんが設計を担当し、日置市湯之元のハマオカポケットパークに誕生したシェアカフェなどについてお話を伺います。