プロローグ
周囲は約90㎞(車で一周約2時間程度)、天城町・徳之島町・伊仙町と3つの町で構成されている。今回の主役は、伊仙町の地域おこし協力隊として活躍している宮出博史さん(44歳)。イキイキと日々の暮らしを楽しむ宮出さんの物語を紹介しよう。
インタビュー:満崎千鶴 撮影:高比良有城 取材日2020年10月
珈琲のレジェンドに憧れて
現在、伊仙町の地域おこし協力隊として活躍する宮出博史さん(44歳)。
大阪出身の宮出さんが伊仙町に移り住んだのは今から約2年半前のこと。移住してからの歳月を聞くとそう長くは感じないが、実はこの島との付き合いはもう17年になる。
「もともと私は、大阪でいくつもの飲食店経営をしていました。25歳で独立した当時は勢いもあり、“商売”という意味では順調過ぎるほど順調でしたね。しかし、実際は休む暇もなく心身ともに疲れ果てる毎日…。息抜きにとフラっと出かけた旅先(沖縄)で入ったカフェで1人の男性と出会ったことが、伊仙町へと移り住むことに繋がる大きなキッカケとなります。そのお店は私よりもずっと年上の男性が、自ら栽培した豆を使用した珈琲を提供していたのです。自分のペースで豊かに生活している彼の姿をみて、“こんな生き方もあるんだな〜”と、とても衝撃を受けました。」と振り返る。
「ちょうどそのタイミングで徳之島出身の知人から、実家が所有する土地を買い取ってくれないか?との相談を受けました。いつか何かの役にたつかも…と購入することを決意。当時大阪で暮らしていたマンションのベランダで分けていただいた珈琲の種をプランターに植えました。飲食店を続けながら種を植えては苗を増やす…育った苗をゆうパックに詰めて島へ送り、取得した土地へ植え替え育てるという忙しくも充実した毎日。
週末になると東京の老舗珈琲店に出向き修行もしながら、大阪・徳之島・東京3つの地を行き来するハードな生活を続けていました。しかし珈琲作りに夢中になりすぎた事により、以前より続けていた飲食店が低迷…お店を潰す訳にはいかない…と島へ行きたくても行けない日々が続きました。
これまで情熱をかけてきた珈琲栽培を続けていくことが困難になった私に、“腰を据えて珈琲作りをしてみないか?”と声を掛けてくれたが伊仙町の“地域おこし協力隊”でした。」
培ってきた技術と経験を活かし、この島の役に立つことが出来たら…と、大阪のお店を閉め、伊仙町へ移住することを決意したという宮出さん。
予測しなかった旅先での思わぬ出会いから、彼の挑戦は始まったのだ。
10年目の収穫、立ちはだかる壁
『珈琲豆の収穫までは、10年の歳月が掛かる』と宮出さんは話す。海外のように環境に適した土地であれば、5年で実をつけるのが一般的だというが、日本はその倍の時間が掛かるそうだ。
「日本は珈琲栽培に向かない環境なのです。暑いし雨が多いし、湿気も多い、その上風も強いので全てに恵まれない。だからこれまで農業としての珈琲栽培が伸びてこず、産業化されてこなかったのです。味もそうで、海外で栽培された高級豆と比べると、やっぱり見劣りする味。なのに、ただ“珍しい”ってだけで当時は盛り上がっている状況でしたね。珈琲栽培を始めて10年目、ようやく念願の豆が収穫できたので、バリスタ選手権で審査員をしている方たちを島に呼んで、飲んでもらいました。結果は“これじゃ戦えない…”という厳しいジャッジ。10年かけてやっと収穫出来たのに“戦えない商品”だと分かって、“喜び”よりも“ガッカリ”の気持ちの方が大きかったですね…。この10年、自分は一体何してたのかな…って(笑)こんなに苦労して収穫しても、今のままでは売り物にならない…と絶望しました。『徳之島で作られた珈琲』だと珍しがってもらえる内は確かに売れるけれど、それでは長続きしない…なんとか美味しい珈琲を、本物の珈琲を作らないと!と思いました。」と宮出さん。
大きな壁を目の当たりにした瞬間だった。
ヒントは島の足元に
大きな壁を前に、絶望さえも感じたという宮出さん。そんな彼に切り札を与えてくれたのは、思いもよらない偶然だった。
「どうしたら美味しい珈琲を作ることが出来るのか…と思い悩んでいた頃、どうせ売り物にならない…と昔暮らしていた家の庭先に収穫した豆をポンと置いていたんです。ちょうど梅雨入りする前の5月頃でしょうか?ある日見たら収穫したチェリー(珈琲の実)が白カビチーズのように真っ白になっていたのです。最初は濡らしちゃったな〜と何気なく眺めていたんですけど、どうせ出荷出来ないし、飲んでみようか!と飲んでみたんですね(笑)
そしたら今まで飲んだ珈琲の中で一番衝撃を受ける美味さだったんです!!(笑)本当にビックリしました。あぁ〜、こういう事か!!と思って(笑)
梅雨の季節となる5月・6月、湿気が高い徳之島は島全体が発酵室のような状態になるのです。この時、たまたま良い菌がついて、こんな美味しい珈琲に化けたんだと分かりました!珈琲作りに向いている適地で栽培している人たちは、何もしなくても必然と美味しい珈琲が出来るけれど、日本で作った豆に関しては、海外の真似をしていてもダメ。日本って発酵の国でしょ?特に鹿児島は“発酵県”じゃないですか!?だったら国・県の菌を活かして使えば戦えるんだ!!と分かりました。それに気づいたその時から、本当の意味で私は、珈琲にハマりました(笑)」と少年のように嬉しそうに語る。
思わぬところからヒントをもらった宮出さんはそれからというもの、味を作り出す精製に注力するように。
「栽培の技術は13年かけて手に入れました。これからは精製の技術を捕まえることが私の役割だと思いましたね。珈琲の味を作り出す『精製士』って恐らく日本では始めてですし、世界を見ても数少ない。技術を持ったバリスタも栽培できる人も他にいる。だけど、味を作ることので出来る“職人”、日本酒で言えば“杜氏”みたいな役割を担える人が、今一番必要なのではないか?と。香りでいくのかキレでいくのか…何色にでも味を作れちゃうことが分かったから、今は味作りの研究と挑戦を続けています。」
この話を聞いて、全てが繋がった。この日、取材にお邪魔した宮出さんの“研究室”には、いくつもの大きな箱が並べられていた。箱の中を覗いてみると、ジップロックに詰め込まれた珈琲豆がいくつも並んでいたのだ。その中の1つを手に取ると、薄っすら紫色に染まっていた。
「これはワイン作りに使った後の葡萄を発酵させたものに漬け込んだ珈琲です。どんな味になるのか楽しみ!」と笑顔を見せる宮出さん。
話を聞けば、昨年は実験の上、出荷出来た豆は収穫の約2割ほどだという。
「他はほとんど失敗!(笑)でも捨てるのもったいないから溜まっていくんですよね。それの繰り返し。珈琲作りを始めた当初は、儲かるかも!とビジネス意識が強かったけれど、今はこの失敗と成功の繰り返しが面白い! “お金儲け”なんて全く興味がないですね。
こうして、伊仙町の地域おこし協力隊として、実験活動させてもらえることが嬉しい。こんな事が出来るのも、島の風土・気候・湿度、そしてみなさんの理解と協力のお陰です。海外と比べると劣る所ももちろんあるけれど、日本ではこの島が一番適地だと私はそう思っています。
あ、私が地域おこし協力隊だからこんな事言ってる訳ではないですよ?(笑)真っ直ぐな気持ちで、実験・研究するにはモッテコイの場所だと思っています。」
理科の実験を楽しみにしている少年かのように、キラキラと目を輝かせる様子からは、伊仙町での充実した毎日が、聞かずとも伝わってきた。
※後編では、宮出さんの新たなチャレンジ、そして目指す未来についてお話しを伺います。