十島村の農業に感じた自由さと可能性(前編)

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プロローグ

屋久島と奄美大島の間に、南北約160kmにわたって点在するトカラ列島。その有人7島と無人島5島で構成されるのが、日本一長い村・十島村だ。アクセスはフェリーがメインで、鹿児島港から出航するのは週2回。手つかずの自然が残り、美しい海に囲まれた秘境とも言われるこの島々は、近年Iターンによる移住者が少なくない。トカラの島々に暮らす魅力はどこにあるのか。3年前、十島村の中之島へ移住した岡田尚也さんの経験から探る。

インタビュー:奥脇真由美 撮影:高比良有城 取材日:2022年

十島村へ行くには、鹿児島港から週に2回出る大型の船に乗る。乗船は夜。本土にいちばん近い口之島に着くのは約6時間後の明け方で、岡田さんが暮らす中之島へはさらに50分かけてたどり着く。

電車が数分おきに来る都会とは比べものにならないアクセスの厳しさ。だが一方で、のんびりと時間を忘れて自然と向き合える環境は都会のせわしさとは無縁。それがこの島々で暮らす醍醐味でもある。岡田さんもそんなところに魅かれて移住したのかと想像したが、「島暮らしをしたいからという気持ちはそんなに大きくなかった」との答えが返ってきた。

鹿児島港と十島村の有人7島、奄美大島の名瀬港をむすぶ「フェリーとしま2」

農学部からコンビニ業界、そしてモザンビークへ

「食べることが好き。でもよく考えたら、食べることって人間にとって大事な部分なのに、その生産現場のことをよく知らない」

命に直結するもの、そして人を笑顔にするもの。そんな大好きな“食”のことをもっと知りたくて、大学では農学部へ進んだ。最初は食物の栄養や食品科学に面白さを感じていた岡田さんだったが、次第に農作物そのものへも興味が広がり、大学院では植物病理学を研究。
就活の時期になると、周りは研究をさらに極めたり、研究内容に関わりのある進路を選んでいたなか、岡田さんは「もっと消費者に近いところで食に関わりたい」と思うようになり、食品の製造小売業としての側面も持つコンビニ業界へ就職を決めた。

自社で作った商品を、どんな人に食べてもらっているのか。消費者の顔が見えるコンビニという現場で、店長やアシスタントスーパーバイザーなどを経験。販売や経営の面白さを知る一方で、胸の中に湧いてきたのは「自分で農産物を作ることに携わりたい」という想いだった。

そんななか、電車内でJICA海外協力隊の募集広告を見かける。もともと海外にも興味があり、面白そうと感じた岡田さんはさっそく説明会に参加。海外協力隊の活動内容の一つに、途上国での農業支援があり、聞けば農業に興味を持って応募する人材は少ないとのこと。岡田さんのようにその分野を学んだ経験もありながら農業支援に関心を抱く若者は歓迎されており、岡田さん自身も「海外で農業に関われるチャンス」と活動への参加を決意。アフリカのモザンビークへと渡ることになった。

途上国での経験ともどかしさ

モザンビークには約2年滞在。農業普及員として地元の農家を巡回し、栽培指導を行う活動に携わった。自分が学んできた栽培方法を途上国で試してみたいと思っていた岡田さんだったが、現地の農業の現状と、自らがこの地で思い描く目標との乖離が大きく、ジレンマを感じることになる。

「自分が試してみたいと思うことをがんばって推し進めてみたけれど、地元の人にはなかなかついてきてもらえなかったですね。よく考えてみたら、日本の農作物の作り方と現地のそれとが全然違う。現地ではまず水がない。水を撒くシステムもないから、まずそこからだし、一日がほぼその作業で終わってしまう。現地の消費者が求めているものも日本とは全然違っていて、日本ほど品質を見ているわけではない。どれだけ多くの量をどれだけ安く買えるかという世界。農家の現状としても市場のニーズを見ても、日本のやりかたをそのまま指導するということは、必ずしも正解ではないんだと思いました」

大事なのは、やり方ではなく目的。現地の人が何を求め、何を目的にしているのか。それに気づいてから、岡田さんは現地の人の声に耳を傾けることにまず注力した。

「その姿勢になってからは、逆に現地の人も自分の考えを理解しようとしてくれるようになって。気づいたのは滞在も後半の頃でしたけど、それからの活動がしやすくなりました。相手がアフリカ人だからということではなく、人と人ってそういうものなのかなって、そこに面白さも感じましたね」

日本から遠く離れた地で、「自分の姿勢が変われば相手も変わっていく」という気づきを得た岡田さんだった。

モザンビークで農業支援に取り組んでいたJICA時代(岡田さん提供)

魅力を感じた十島村の農業

約2年間の活動を終えて開かれた帰国JICAボランティアの交流会。協力隊の活動経験を社会に還元するべく、その後の活動や就職のマッチングを図る場で、国内の様々な団体や企業、自治体関係者が参加しており、その中に十島村もあった。帰国後も農業に関わりたいと考えていた岡田さん。地域おこし協力隊として十島村で農業に携わることに興味を持った。

「ほかにもいろんな地域の団体や担当者から農業に関する話を聞いたけれど、ある程度道筋が決まっている団体が多い中、十島村は自由度が高そうに感じましたね」

十島村への移住を考えたのは、他とは違う農業の環境だった。

「島だから十島村にしたというのはあまりなくて、トカラ列島というものも最初は知らなかった。ただ自分のなかに“農業”というのがずっとあって、『農業ができる、けっこう自由に』という感じが十島村の農業だったので、そこがうまくはまったんだと思います」

岡田さんの中には、農業を通して自分の手でかたちのあることをしたいという想いもあった。それは、2年間活動したアフリカでのボランティアでは難しく感じていたこと。十島村ではできそうに感じた。

十島村の地域おこし協力隊として岡田さんに課せられたミッション。それは、農業における移住者モデルを確立し、可能性を探っていくこと。
移住前に下見で訪ねた中之島には、十島村のなかでも数少ない農家であり先輩移住者の埜口(のぐち)さんがいた。熱い想いで“十島村の農業”に向き合い、挑戦を楽しんでいる埜口さん。その姿に、ますます背中を押された岡田さんだった。

中之島の農家・埜口さんとともに、十島村・中之島で農業に携わることになった岡田さん。後編では、地域おこし協力隊として課せられたミッションへの挑戦や、中之島での暮らしについて伺います。

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