プロローグ
大隅半島の東端に位置する志布志湾に面した町、東串良町。自然豊かなこの町で生まれ育った岡本昌子さんは、2006年に家族とともにUターンした。現在、この東串良町で漁師のご主人と中学生から保育園児までの5人のお子さんとともに賑やかに暮らす。昌子さんは大忙しの子育ての一方で、地域の公民館で料理教室の指導をするほか、自宅を解放してお菓子や魚料理などの料理教室を開催するなど、「食」を通した活動で地域の人々と積極的に交流を図っている。
まさに「明るいお母さん」といった雰囲気を持つハツラツとした昌子さんだが、東串良にUターンするまでは、どのような道のりを辿ってきたのか。ご自宅のダイニングで昌子さんお手製のシフォンケーキをいただきながらお話を伺った。
インタビュー:今田 志野 撮影:高比良 有城 取材日2019年5月
大阪、東京で暮らし鹿児島市で将来の伴侶に出会う
「今まで忙しく動き回る生き方をしてきた」と語る岡本昌子さん。自宅を訪れると、入ってすぐにダイニングとキッチンが広がる。対面式のキッチンの向こうからエプロン姿で明るく出迎えてくれた。
1年ほど前、2018年から昌子さんは自宅のキッチンを解放して料理教室を開催している。それ以前からも地域の生涯学習で料理の指導をするなど、ずっと飲食の世界に携わってきた人だ。
昌子さんは幼い頃から料理が好きだったという。自宅にほど近い昌子さんの生家は、以前は肥料販売店を営んでいて忙しかったため幼い頃昌子さんは毎日炊事を手伝っていた。料理が好きになったのは、その経験からだ。高校卒業後は大阪の専門学校で2年間、調理と製菓を学んだ。その後は「とにかく都会に行ってみたかった」という理由で上京し、イタリアンレストランの調理場で働く。そして、そこで知り合った男性と結婚をするが半年で離婚することになり、故郷の鹿児島に戻ってきたという。そんな経験も笑って話す昌子さんの明るい姿が印象的だ。
高校卒業以来6年ぶりに鹿児島に帰ってきた当初は、鹿児島市内の女性に人気の定食屋に勤めていた。この時期、結婚はもうしないだろうと思っていた昌子さんの前に友人の紹介で、ある男性が現れる。神奈川県から来たその男性は鹿児島大学を卒業後、そのまま鹿児島に暮らしていた。漁師を育成する「漁師塾」に通い、全くの未経験でありながら漁師の職を探していたという。その男性こそが現在の夫、宗明(そうめい)さんである。
種子島で第一子を授かる
「当時、主人が種子島に漁師の職を見つけてきて、種子島に行ってくるって言ったんですよ。私は『えー、ちょっと待って』ってなって。その時、鹿児島市内の定食屋さんで店長を任されていたんですが、仕事を辞めて種子島に付いて行ったんです(笑)」
種子島では縁もゆかりもなく、二人の暮らしは収入面でも厳しい状態だった。精神的に落ち込み、二人の関係にも暗雲が立ち込めていたという。しかしそんな時に昌子さんのお腹に第一子を授かったのである。二人は結婚式を挙げ、種子島で新婚生活をスタートさせたが、初めての妊娠のうえに、今後の生活の心配も重なった。夫婦で切迫した気持ちを抱えていた時、「東串良町で売りに出ている漁船があるから、船を買って東串良で漁師をしないか」という話が舞い込む。それが今から約14年前のことである。
昌子さんは夫とお腹の子とともにUターンという形で東串良町に帰ってきた。夫の宗明さんは昌子さんの故郷である東串良に定住することに抵抗はなく、漁師ができるならどこでもいいと言ってくれたそうだ。宗明さんはその時に船を買って以来、現在も東串良の沿岸の海で漁をする日々を送っている。
忘れかけていた夢を、昨年ついに実現
昌子さんは2006年に東串良町に帰ってきてから5人の子供を産み育てている。現在、子どもたちは中3、中1、小5、小3、6才。地域の生涯学習として料理教室の講師を何度かすることはあったが、一昨年の12月までは、ほぼ子育てとパートの毎日だったという。ずっと心の中のどこかに料理教室を開きたいという夢はあったが、子育ての日々の中でその夢に蓋をしていた。しかし昨年、末っ子がようやく手を離れてきて、自宅のキッチンもちょうどリフォームした。それを機に自宅で料理教室をするという夢をついに実行に移したのだ。
料理教室の屋号は「ゆいまーる」。「ゆいまーる」は昌子さんが18年前、最初の結婚が終わった後に沖縄を旅した時に出会った言葉だ。
「沖縄で出会った人に『沖縄には、みんな一緒に協力し合う、共存共栄というような意味で、ゆいまーるっていう言葉があるんだよ』って教えてもらって、すっごく感動して、その言葉を一生大事にしようって思ったんです。同じ釜の飯を一緒に食べるというような、ゆいまーるの精神が好きなんですよね」
この言葉に出会った沖縄旅行の後、昌子さんは自分の願いをノートに書き記したという。ご自身はそれを「夢ノート」と呼ぶ。偶然この取材がある2、3日前に読み返していたそうで、そこには「自宅で料理教室をする」「料理教室の名前は『まーるまーる』にする」と書いていたそうだ。当時は「ゆいまーる」をもじって「まーるまーる」と考えていたようだとご自身は振り返る。そのノートの内容は最近はすっかり忘れていたそうが、長い月日を経た現在、奇しくも夢はそのまま叶っている。料理教室の屋号も今後「まーるまーる」に変えようと思っているそうだ。
<後編>では、昌子さんの東串良でのこれまで活動について、そして今後の夢について詳しく伺いました。
岡本昌子さんのかごしま暮らしメモ
かごしま暮らし歴は?
18年目です。
U•I•Jターンした年齢は?
24歳
U•I•Jターンの決め手は?
漁師をしている主人に売り漁船があるという話がきた。
東串良町の好きなところ
人が気さくで隣近所の付き合い(声かけ)がある。
子育てのしやすい環境で、地域の親も子もみんな誰か分かる。
かごしま暮らしを考える同世代へひとこと!
人間らしい豊かな人生が送れる場所だと感じています。