2018年の大河ドラマ「西郷どん」の放送を見て、あらためて西郷隆盛の魅力を知ったという人は多いだろう。尊敬と愛着を込めて“せごどん”と呼ばれた鹿児島の偉人は、今なお絶大な人気を誇る。その人生に「もっともっと近づきたい」と、神奈川県横須賀市から鹿児島市に移住してきた一人の女性がいる。
鹿児島市内のホテルに勤務する安川あかねさんは、自作の紙芝居で西郷隆盛の魅力を伝えるなど、独自の取り組みを通じて西郷隆盛研究家として活躍している。西郷どんが好きすぎて、縁もゆかりもない鹿児島市に移住して15年。彼女の心を駆りたてたものとは? その答えを求めて、城山に向かった。
コラム:里山 真紀 撮影:高比良 有城 2018年8月取材
西郷隆盛と、桜島と。歴史と自然が調和する鹿児島市
鹿児島の陸の玄関口・鹿児島中央駅から車を走らせること約15分。市街地の中心部に位置する城山は、標高107mの小高い山にクスの大木やシダ・サンゴ樹などの温帯・亜熱帯植物が自生している。
展望台からは、鹿児島のシンボル・桜島や錦江湾、鹿児島市街地を一望でき、夜景が美しいことでも有名。また、城山は西郷隆盛が激動の人生の最後に選んだ場所だ。最後の5日間を過ごしたと言われる西郷洞窟や終焉の地などの史跡が多く点在している。
安川さんが勤める「城山ホテル鹿児島」は、歴史ある城山の頂に建つ。創業70周年の節目を契機に2018年5月8日に「城山観光ホテル」から名称を変更したばかりだ。最近は大河ドラマ効果とインバウンド効果により、鹿児島を代表する同ホテルの利用者も増えているそう。
開放的なロビーから雄大な桜島を眺めていると、洗練された空間にふさわしいホスピタリティあふれる笑顔で、安川さんが迎えてくれた。
西郷さんを知ることは、より良く生きること
生まれも育ちも横須賀の安川さんが、初めて鹿児島を訪れたのは20歳の時。父親の本棚にあった鹿児島出身の作家・海音寺潮五郎の著書「西郷隆盛」を読んだのがきっかけだった。
「当時、常に何かしら本をカバンに入れていて、通勤時間に電車で読んでいたんです。もともと活字が好きで、最初は吉本ばななや江國香織などの小説を買って読んでいましたが、母も文学が好きだったので、そのうち母の本棚に手を出すようになって。それもひと通り読み終わると、最終的に父の本棚の歴史小説にいきついたんです。
それまではフィクションばかり読んでいたので、ノンフィクションの衝撃ってすごかったんですよね。これは本当にあったことなんだなって。“事実は小説よりも奇なり”というけれど、本当に面白いなって思って。それで時代小説のとりこになって、海音寺潮五郎にハマって、最終的に西郷さんにハマりました」
もともと歴史は門外漢で、当時は幕末や明治維新についても教科書程度の知識しかなかったいう。なぜ、西郷隆盛にそんなに惹かれたのだろう。
「あれだけの偉人でありながら、すごく庶民感覚があったり、人を大切にしていたり。まず“すごい人がいたんだ”という衝撃があって。そしてその後に、もっともっと西郷さんのことを勉強したい、知りたいと思う中で、ずっとこの人を追究して研究していくことが自分自身の人生を良くしてくれるんじゃないか、正しい生き方に導いてくれるんじゃないかと、漠然と考えていました。すでにそこで西郷さんはただの歴史上の人物ではなくて、自分にとっては生きるお手本、道しるべ的な存在になっていたのです」
一途な思いと、行動力と。ご縁を紡ぎ、広げた、7年間
生き方にまで惚れ込める人に出会ったら、その人が生まれ育った地に赴き、その足跡をたどってみたいと思うのはごく自然なことだ。幸いなことに、鹿児島には西郷さんにまつわる史跡が多く残されている。
「すぐに見に行きたい」という思いのままに、鹿児島市へ向かった安川さん。一人旅を選んだのは、興味の赴くままに気楽に動けるからだ。真っ先に訪れたのは、西郷隆盛生誕の地や坐禅石、南洲墓地など。憧れの偉人が実在していたことを、肌で実感した。
「初めて鹿児島を訪れた時、またすぐ来たいなと思ったので、その後すぐに再訪して。それから横須賀に帰るとまた鹿児島に行きたくなって。そういうことを繰り返しているうちに“半年に1回、西郷さんのお墓まいりをしよう”と決めた方がいいと思いました。それから7年ほど続けたのです」
たとえば、お墓まいりに通った南洲神社の宮司さん。毎回指名するタクシー運転手さん。何度も足を運ぶうちに、縁もゆかりもなかった鹿児島に少しずつ知り合いができた。また、西郷さん好きの旅行者として地元メディアの取材を受けると、地域の人から史談会に誘われることもあった。こうして少しずつ人脈を広げ、知識も身につけた。
旅行者から、移住者へ。鹿児島の地に魅せられて
いよいよ史跡も行き尽くし、関連書籍もほぼ読み尽くした頃。積み重ねた知識とは裏腹に、どうしても西郷さんに近づけない、知れば知るほどわからない、核心にふれられないという思いにさいなまれていた。
「どうしたらもっともっと西郷さんの核心に近づけるのかなと悩む中で、これはもう旅行に来るとかではなく、実際に自分が西郷さんの住んでいたところに移り住んで、四季の移ろいを感じたり、同じものを食べたり、風土を知ったりと、同じ経験をして同じ目線に立たないと、今以上に近づけないんじゃないかなと思うようになったんです。それで、もう鹿児島に住んでみようと!」
初めて訪れて以来、7年の間に鹿児島の地に魅せられ、好きになっていた。27歳の一大決心。家族や友人はどう受け止めたのだろう。
「両親の第一声は、“いずれ言い出すと思っていた”と。私よりも両親の方が私のことを分かっていたんだと思います。友達からは“本当にそれだけ好きだったんだね”と言われました。ただ、みんな共通して、しばらくしたら横須賀に帰ってくると思っていたみたいです。“まさか居っぱなしになるとは”と後になって言われました」