島はひとつの家族。全員で島を守り、育む暮らし(後編)

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プロローグ

鹿児島県十島村。屋久島と奄美大島の間に点々と連なる12の島々をひとつの行政区として扱う十島村。トカラ列島とも呼ばれ、南北約160kmの海域に浮かぶ「日本一長い村」でもある。今回の舞台は小宝島。村役場の出張所で働く中村勝都志さんは13年前この島に移住し、「自分の子どもたちの生まれ故郷」となった小宝島を未来に残したいと強く思うようになった。後編では中村さんのお気に入りの場所や、新型コロナ感染症がもたらした島の変化について、話を聞いた。

インタビュー:泊亜希子 撮影:高比良有城 取材日:2023年

小宝島のシンボル巨岩「ウネ神」。ゆったりと放牧牛が草を食む

トカラ列島の生命線「フェリーとしま」

小宝島を含む十島村へのアクセスは船便のみ。村営定期船「フェリーとしま2」が週2便(7~9月は3便)、各島と鹿児島、奄美大島を結んで運行している。ヘリポートは有人全島にあるが、基本的には人も物資も海上交通が頼みの綱となる。定期船の運行に関わる業務は中村さんの重要な仕事のひとつ。切符販売、船との連絡、荷降ろしなど、誰かが携わらなければ島の暮らしは成り立たない。そして、フェリーを港に着ける「通船業務」こそ、無人島になるのを避けるためには必須なのだという。早朝の港に数人が集まる。「島で手を貸せる人たち、学校の先生たちにも来てもらって、船を港に着けています。みんなでロープを引っ張って、タラップを掛ける。70代の人にも手伝ってもらっています」。島には運送会社がないため、荷役を取り扱う組合を住民で組織している。小宝島では小宝島小中学校に荷物を運び、島民で仕分けを行っている。

フェリーの運航に携わっていると、夏は台風、冬は強い北風が気にかかる。運行状況に一日の予定が左右されるし、時化が続けば生活にも響いてくる。「船が着かなかった期間ですか。私が住み始めてから、一番長かったのが18日ですかね。子どものおむつと、子どもの食べそうなものが足りなくなりました」。前編で伝えたように、その時は島の人が「いつか使うかも」と保管していた紙おむつを譲ってくれた。

「そういう備えは私たちより上の世代の皆さんはすごく上手です。もったいない、いつか使うかもしれない、というのが徹底している」と中村さんは感じている。船の性能が上がり、1週間以上船が来ないということは、今ではほとんどないそうだ。それでも船が着かないという時には、島の人々の連帯感はさらに増して、互いに助け合っている。

奇岩「赤立神」とその名を冠した海水浴場

幻想的な島の風景に惹かれて

中村さんお気に入りの場所は、港のすぐそばにある。「フェリーが着くところを私たちは接岸港と呼んでいて、接岸港のある岸壁の上、ここが私のお気に入りスポットです。海を背にして建つと、ちょうど島の半分を見渡すことができます。いちばん端は通常、立ち入り禁止になっていますが、私は仕事でもあるので入って見て回ります(笑)」。定期船が着く岸壁の港の防波堤の上から、島のほうを向くと広がるパノラマ。「すごく幻想的で、現実離れしているような風景ですね。時間帯、季節によって、いろんな顔を見せてくれる。毎日見に行っても、同じじゃない」。

小宝島は一周歩いて30分、ゆっくり見て回っても1時間という周囲4㎞の小さな島だ。サンゴ礁が隆起してできた島で、風化したサンゴの奇岩をあちこちで見ることができる。青い海、白い波、黒い岩、濃い緑が島を成す。そこをゆっくりと牛たちが歩く。アダンやソテツなど南国特有の植物が自生し、まさに秘境の楽園といった風情だ。

コロナ禍を経て、動き出す島

2020年から日本でも広まった新型コロナ感染症。十島村では、人口密集地とはまた別の、離島ならではの緊張感が走った。「今までにない3年間でしたね。誰も経験したことのない事態。行政も含めて、みんな手探り状態でした」と振り返る中村さん。感染拡大時、十島村は来島自粛の呼びかけをせざるを得なかった。島の医療体制を思えば当然のことだろう。子どもたちはフェリーで鹿児島市に出向き、ワクチン接種をしてきた。その甲斐あって、十島村では感染が拡大せずに済んだ。中村さんもこれにはホッとしたそうだ。

2023年2月以降も、十島村では感染対策と経済活動の両立を図り、来島者には検温、PCR検査の陰性証明書と健康申告書の提出を求めている。少しずつ、旅行者も訪れるようになった。「3年間、観光客や移住者との交流がほぼ断たれてきましたが、ようやくここから再スタートです」と期待をかける。「移住を視野にリタイヤ世代が夫婦旅行で来るというのが今までの主流でした。コロナ禍を経て、リモートワークも現実的に可能になった。現役世代から『家族との時間を持ちたいが、都会にいるとなかなかそうもいかず、移住で実現したい』という声もあり、変化を感じましたね」と、問い合せにも手ごたえを感じている。

さまざまな相談を受け、中村さんも自身の過去を思い出すそうだ。「東京で10年ほどの社会人生活でしたが、ただただ仕事をして生きていたな」と。今では家族との時間も取れて、仕事とメリハリのある生活ができている。リモートでも仕事ができるようになり、ワ―ケーションという言葉も生まれた。島にとってはチャンス到来、追い風が吹き始めたのかもしれない。

島の良いところも悪いところも見てほしい

地域に目を向ける人は増えていると感じる中村さんに、移住を検討している人へのメッセージを聞いてみた。「移住によって、今までにない経験が間違いなくできます。私自身がそうでした。今まで出会ったことがないような人たちに出会い、自分の考え方もどんどん広がっていった。もし移住するなら、自分が経験したことがない、今までまったく知らない場所を思い切って選択するのが、良いのかなと思います」とエールを送る。「ただし、短期間でもいいから、滞在して島の良いところも悪いところも見てほしいですね。1日2日の旅行では、島の良いところしか見えない。不便さを知り、島暮らしのデメリットも理解したうえで、移住することをお勧めします」。

離島の中でもさらに小さな小宝島、溶け込むにはそれなりのコツが必要だ。「移住希望者に伝えているのは、島の人たちの最初の反応で判断しないで、ということ。最初はどうしても警戒心が表に出てしまいます。そのうえで、まずは自分から島の人たちに話しかけてください。入っていく人たちが心を開けば、島のおばあさんたちが相手をしてくれます。あの人は大丈夫、とおばあさんたちが受け入れると、島の人たちも安心して、打ち解けていくんです(笑)。おばあさんたちはすごいですね。昔のことも知っていて、島の人たちのことも全員知っている。私も役場の人間として、ひとりの移住者として、橋渡し役になれたらと思っています」。

中村さんのかごしま暮らしメモ

かごしま暮らし歴は?

31年(18年(奄美大島生まれ、高校卒業まで)+小宝島移住して13年)

Uターンした年齢は?

31歳

Uターンの決め手は?

父親が奄美大島から小宝島へ、家族に内緒で移住した。やがて、体調を崩した父親の介護をするために自分も移住し、父親を看取った。そうしているうちに島に愛着が湧き、結婚し、子どもも生まれた。

小宝島の好きなところ

島の人全員が、この島を無人島にしないために真剣に考えている。時に衝突もあるが、島人みんなが顔見知りで、助け合って暮らしているところ。

かごしま暮らしを考える同世代へひとこと!

子育てをするには抜群の環境です。親だけでなく、島みんなで育てるのが当たり前のこと。出産に伴うサポートも手厚くなっています。仕事と家族と触れ合う時間、メリハリのついた生活が可能です。

-移住者インタビュー動画, 十島村(小宝島)に住む中村勝都志さん, 鹿児島, 動画アーカイブ, 移住者インタビュー