【前編】生涯現役で、誰かの役に立ちたい。国際ボランティアを経て平島へ

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プロローグ

屋久島と奄美大島の間に点々と連なる島々を、ひとつの行政区として扱う鹿児島県十島村。有人7島・無人5島からなる島々はトカラ列島と呼ばれ、南北約160kmの海域に浮かぶ「日本一長い村」でもある。今回の舞台、平島(たいらじま)はトカラ列島中央部に位置し、平家の落人伝説が残る島。「生涯現役で、人の役に立ちたい」と、この島に来た宮井美津子さん。国際経験豊富な宮井さんが平島に来た経緯や、普段の様子について話を伺った。

インタビュー:泊亜希子 撮影:高比良有城 取材日:2023年

大浦展望台からの眺め

68歳、まだまだ働きたい。さあ、どこに住もう?

にこにこと穏やかな笑顔の宮井さん。2020年2月に平島に移住して3年が過ぎた。宮井さんは神奈川県横浜市出身。なぜ平島に来ることになったのか。宮井さんは記憶をたどり、ひとつずつ話してくれた。「看護師として、長く勤めていたところを59歳で退職しました。若い頃、身近な人が海外派遣に行くのを見ていて、憧れがあったんですね。それで、退職後にJICAのシニア海外協力隊に応募しました。看護教育の支援活動に携わり、ネパール、南太平洋の島国「バヌアツ共和国」、赤道近くのオセアニアの島国「ミクロネシア連邦」の3カ国に赴任しました」。

「バヌアツ赴任の時は、東日本大震災の直後だったんです。JICAの研修所から東京に戻るバスの中で、被災しました。私たちは『日本がこんな大変な時なのに、どうする?』という問いを突きつけられたわけです。それでも私はこんな時だからこそ行くと決めて、10日後にはバヌアツに向かいました。到着すると、島の人々が歓迎してくれて。『日本はあんな大きな地震があって大変な時なのに、来てくれてありがとう』と、言うんですよ。ああ、やっぱり来て良かったなと思いましたね」。

ご主人の後方支援もあって、宮井さんは3カ国で足かけ10年間の支援活動をやり遂げた。「帰国した時、私は68歳になっていました。幸いなことに体も健康だし、まだまだ働きたい。看護師として、どこか働けるところはないかな、と看護協会の人材募集を探しました。そこでぱっと目に付いたのが、“十島村、看護師募集”。すぐに面接を受けて、ここに来ることになりました。移住したいと思って来たのではなく、看護師として仕事がしたくて、平島に来たんです」。こうして、宮井さんは十島村の地域おこし協力隊として平島の介護予防拠点施設に着任し、高齢者の支援活動を担うこととなった。

ご主人と美津子さん

まるで海外にいるよう?平島初体験

島に来た時は2月。最初の印象は「南の島なのに寒い!島の人はみんな、こたつを使っているのに驚きましたね」と笑う宮井さん。バヌアツもミクロネシアも暖かく過ごしやすい島だったので、鹿児島の南の島にも同じようなイメージを持っていたという。鹿児島県が日本有数の離島を抱える県だということは後で知った。「離島で船便しかなくてアクセスが良くない。それからネットの高速回線が開通したのもわりと最近のことでした。その点はバヌアツやミクロネシアと似たような状況だなと感じましたね。この環境ではやはり、何らかの支援がないと厳しいな、と」。移住当初は島の人たちが話す言葉を聞き取れなかった。

さらに、平島では今でも旧暦で日常生活を送っている。面食らったが、これはネパールも同じだった。現地ではネパール暦という暦を使って、人々は生活していたという。「最初は本当に、外国に来たみたい。習慣が理解できない、言葉が理解できない」。宮井さんの豊かな経験が、そのハードルを好奇心へと変えてくれた。

「みなさんの様子を見ていると、行事が多いな、餅をよくつくなと感じました。地域行事がすごく多いですね。神行事、と呼ばれているものです。家族の安全、健康を祈願している。ご先祖様をとても大事にしています。旧暦の1日、15日、28日には必ず墓参りに行く。それらの行事を取り仕切っているのは、家の奥さんたちで、みんな忙しそうにしていますね」。島の人たちにとっては、ごく当たり前の日常のことも、習慣を知らない宮井さんにしてみれば、わからないことだらけ。宮井さんは島の人たちを見つめ、島の人たちと話すことで、ひとつずつ学んでいった。

パソコン作業も手慣れたもの

島の人たちから「生きる」ということを学んでいる

3年かけて、平島の生活が少しずつわかってきたと話す宮井さん。島の言葉も「通訳になれるかな?と思えるくらいには、島の人たちの言葉遣いがわかってきました」と、うれしそうだ。地域おこし協力隊として活動した3年間を経て、引き続き、平島介護予防拠点施設の職員として高齢者支援活動を行っている。「高齢者が高齢者の支援して、と思うかもしれないけれど」と宮井さんは笑う。

午前中は2、3時間かけて、支援が必要な人の家を歩いて訪ね、見守り支援を行う。「まずは挨拶をして、声かけをして安否確認。それから家の様子を見て、何かお困りごとがないか聞きます。困っていることがあれば、対応します。食事の状況、ゴミ捨ての相談、携帯電話のチェック、電池の交換、暖房器具の点検…もう何でも(笑)。よろず相談屋さんです」。午後は、コミュニティセンターに集まった高齢者に、さまざまなアクティビティを提供している。お茶を飲みながらおしゃべりをしたり、手芸や工作で手を動かしたり、トランプやモルックなど、ゲームを楽しむことも。また、毎日15時には島内放送で流れる「としまの歌」や「ラジオ体操」に合わせ、みんなで体操をするそうだ。

毎日、宮井さんは歩いて回るので、道中すれ違う人たちと挨拶を交わし、立ち話もする。「島の人たちとお話するのが楽しいですね。話をすることによって、平島の人たちの生き方を学んでいます。私が担当している高齢者の方々のことを、お兄さん、お姉さん、と呼んでいましてね。私の実の兄、姉より、みなさん長生きしています。都会の人たちは生き急いでいますね…。ここに来て、生きる、ということを学んでいます」。

南之浜港沖を泳ぐザトウクジラ

海で世界はつながっている

平島の魅力について尋ねると、「この厳しい自然のなかに生きてきた人々の風景、でしょうか」と、宮井さんは答えた。「地形のくぼみに家が建っているなど、災害に対応しているんですね。最初はなぜ?と疑問に思っていたことが、住んでいると理由がわかるようになりました。災害に強い島なんだなと」。この島に来ると地球のことがよく見えるという。「大浦展望台からは、近隣の島々がよく見えます。視界が良い日にはトカラの有人島がすべて見えることも。それから東之浜は私の好きな場所です。ここからずーっと見渡すことができる。海で世界につながっている、地球は自分だけのものじゃないと、ここに来ると実感しますね」。

自分が働くことで何かできたら、と語る宮井さん。島の人たちに思うことは、ただひとつ。健康で長生きしてほしいということ。「私がそう思ってこの島に来たように、島のお兄さん、お姉さんたちも何かの役に立ちたいと思って生きている。人のお世話になって当然、と思っている人たちはいません。できる限りのことはみんなでしよう、そう思って毎日を生きているんです」。生涯現役で働きたい、その一心で平島にやって来た宮井さん。看護師としての経験、JICAのシニア海外ボランティアの経験をいかして、今ではすっかり島の生活に溶け込んでいる。ただ、高齢者の移住は慎重に、との見解だ。

まず自分が健康であること、そして、できれば何か役割を持てたらいいですねとアドバイスする。そのうえで「高齢でもやれることをやれて、世界はつながっているということを学ぶためには、平島は非常にいい場所だと思います」。慣れたらパラダイスですよ、とニッコリ笑う宮井さんであった。

後編では、島の社交場である温泉や、宮井さんの健康の秘けつなど、ご紹介します。

名前とは裏腹に起伏のある平島

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