プロローグ
2021年、喜界島へと移住する谷川さんご夫婦の船出を鹿児島市から見送り、その約半年後喜界島で再会した。新型コロナウイルスの感染拡大は第5波を過ぎた頃だった。
その土地ならではの生活や、共同体(集落)での暮らし、これまでの生活に無かった「自然と生きる」という予感。全てが移住をして「経験したい」と思うと同時に、未経験ゆえの大きな不安があった。そしてコロナ禍で移住するということも、不安要素のひとつだったはずだ。多くの人の後押しやサポートがあって実現したという移住生活。喜界島へ向かう直前のお二人の期待と不安が入り混じった表情を思い出した。理想と現実の乖離はあったのだろうか?島での生活は?・・・お話を伺った。
インタビュー:藤村 朗生
撮影:高比良有城
取材日:2021年5月,11月
集落ではじまった生活、不安は杞憂だった
ここで言う『集落』とは、言葉がイメージするような人里離れた民家の集積エリアという意味ではない。イメージとしては「●●小学校の校区」とか「●●地区」、あるいは「●●町内会」といった住む場所のエリアを差す。島ではそれを『集落』と呼ぶことが多い。それぞれの『集落』(地区)には公民館があったり、地域の清掃活動などがその集落単位で行われる、といったイメージだ。
お二人は自主的な隔離期間の2週間を終えてすぐ、暮らす集落内に挨拶に回ると「本当によく来てくれたねー、うれしい」と歓迎され、もてなされたという。そして、「とにかく甘えなさい」と移住前にもらった助言はその通りだったと早速痛感したと理さんは話す。
「集落の最年長のおばあちゃんの家に伺ったとき、まず『家に上がりなさい』と言われ、お菓子とかお茶とかいっぱい出してもらって・・・最初だったので遠慮してしまったんですけど、やっぱり早速怒られましたね、遠慮していることに(笑)。」
そして移住前に不安だったという「島・集落で暮らす」ということに対する懸念について伺うと、お二人は笑顔で即答した。「無駄な心配でした、とその一言ですね。本当によくしてもらっていて・・・」と語る。
「島の人たちの知恵とか、例えば植物の知識とか、それを普段の会話でいろいろと聞くんですけど、皆すごく普通にそれを知ってて・・・教えてくれる人がたくさんいるのでちょっとだけ私もわかってきたと思います。先生がいっぱいいて助かるというか、このことだったらあの人に聞こうとか。」と友里さん。
共同体の一員という感覚が芽生えてきた
ただ、集落で暮らしていくのと、東京で生活するのとでは考え方が少し変わったという。どちらかというと東京にいる時は自分たちの暮らしことを優先した尺度で動いていた。一方で島の中ではコミュニティが大きい様で小さい部分もあるので、「しっかりと甘えもするが、甘えてばかりでもなく自分たちの意見だけを言うということでもない」ということを感じたそうだ。
「共同体の中で生きているって感覚が生まれるというか、自分たちだけじゃなくて誰かのために自然に手を差し伸べられるというか、そんな風になりたいな、と思えるようになってきましたね。」
まだまだこれからですけど、と言いながら理さんが気付きを教えてくれた。
自然と共に生きることを感じられるという「贅沢」
理さんは喜界島の地域おこし協力隊としての活動をスタートさせていた。主に喜界島観光物産協会の仕事として、前職の経験も活かして喜界島のPR・情報発信を担っていくという。友里さんも予定通り喜界島の保育園で保育士として活躍している。
事務所は「喜界町農産物加工センター」内にある。加工センターには立派な加工室が3室もあり、日々、豊かな島の農産加工物がここで生産されている。
「離島に移住するっていうと、東京とかと比べると無いものが多すぎて不便だったらどうしようとか、地域になじめなかったらどうしようとか、移住する前は実は最悪なシナリオも頭に浮かべながら島に入って来たんですけど、どれも杞憂で本当に生活もしやすいし、地域や職場の人たちにも受け入れてもらって溶け込めたと思います。」と理さんは明るく話す。
「充実してるかな、前よりも。『暮らしている』っていう感じが強い暮らしができていると思います。」
そう語る友里さんの表情は、晴れやかだ。
友里さんが移住前に話していた『自然とともに暮らす』という点についても実感できているという。「海を見たりとか空を見たりとか、自然と目が行くというか・・・『自然』に目が向くようになって。空の色とか、『あ、夜って暗いよな』というのを再認識したり。あと音も・・・鳥の声とか、虫の声とかも普通にそれが当たり前にあっていいな、と思います。」
その一方で、夜が暗くてすぎて慣れない運転が怖かったり、海が近くいので窓や車が塩でべたべたしたりといった側面ともうまく付き合っていかないといけない・・・まさに「自然と共にいきる」ということを暮らしの中で身をもって感じているという。そしてそれは不快さやストレスではなく「それも含めて贅沢なこと」と口を揃える。
新たな生活と新たな体験、生きる力の実感
コロナ禍で移住して約半年、生活は充実していると話すお二人だったが、例えば島特有の梅雨時期の強烈な湿気や夏の暑さ、そして台風の接近で海が荒れると船の航行がストップし生活用品や食料が島のスーパーから減っていくという不安さ、コロナ禍で思うように行動できないもどかしさなど、楽しいばかりではない体験もあった。それでも、着々とこの経験が自分たちの生きる力にもなっていることが実感できているという。その実感もまた、生活の充足感へとつながっているようだ。
「これまでは生活環境を自分たちの手で整える、というのが結構楽しくて。時間はかかったんですけど、充実して生活できるスペースが増えていく実感が良かったですね。」そう話す理さんは、最近になって誘われて釣りをはじめたという。友里さんも家庭菜園をもっと充実させたり、趣味の楽器も落ち着いたら再開したい、そのためには体力づくりも必要かなと意気込む。
踏み出した一歩が引き寄せた、移住の実現
「・・・あと5年早くてもよかったな、と思います。」
生活がはじまった今、移住するための活動を振り返って「もっとこうしておけばよかった」ということは無かったか改めて伺ってみたところ、長考の末出てきたお二人の答えがこれだった。
「移住したいと漠然と思うことは簡単で・・・。それを一歩行動に移したというのはやってよかったことだった、と思っています。一歩というのは『移住』って検索するだけでもいいんですけど。」と理さん。踏み出した一歩が、出会いを、人との縁を引き寄せたと確信しているという。
「私も都会の生活に疲れてたんだなと思ったんです。(多くの人が)コロナで大変だったり仕事が大変だったり、『心が疲れる』という状況がいっぱいあると思うんですね。人生の選択肢の中に『移住』というものを入れて、疲れた心も癒されながら新しい暮らしができるということも考えてもらうと移住の幅も広がるし、移住イコール永住ではないと思うと少しの間でも都心を離れてみるっていう経験をもっと多くの人にしてみてもらえるとすごくいいんじゃないかな、と思います。」
そう話す友里さんの顔に半年前の不安げな影は無い。
そして移住前にも漠然とイメージしていた、「移住後は、移住の経験を伝えられる側」にもなりたいという想いは変わらない。理さんは、日々、地域おこし協力隊としても喜界島の魅力の発見・発信に邁進して、ちょっとでも喜界島に目を向けてもらえるチャンスを増やしたいと話す。コロナ禍が落ち着けば、まずは自分達の家族や友人から島を案内する日を楽しみにしているという。
ちょうど取材時は小笠原諸島近くの海底火山噴火による軽石が漂着し、ビーチに打ち上げられていた。今後、島民が協力して白いビーチの姿を取り戻していくという。
移住という選択肢へ向かって大きな一歩を踏み出し、約半年前、いい意味の「勢い」をもって移住を決断し喜界島へやってきたと話したお二人。今は自分達のペースで一歩一歩、島での生活を自分達のものにしようとしていた。
初めて奄美を旅行で訪れた時に感じたという「特別感」は徐々に「日常」へとなっていく。そしてその「日常」の生活は自分たちだけのものではなくて、島の人々とありのままの自然がきっと共にある。ゆくゆくは、遠慮がちで甘え方知らずな島外からの旅行者や移住者を笑顔でもてなし、島の魅力を案内しているお二人の姿が想像できる気がする。
谷川さんの鹿児島暮らしメモ
かごしま暮らし歴は?
約6カ月
Iターンした年齢は?
理さん:38歳、友里さん、36歳
お気に入りの場所は?
家の近所のビーチ/サトウキビ畑の1本道/まだまだ探している最中です
かごしま暮らしを考える人へ
理さん/今はどこも外から来てくれる人を温かく迎えてくれる土壌がすごくあるんじゃないかと思います。不安はありますが、気兼ねなく飛び込んでいってみるのがいいと思います。
友里さん/人生の選択肢の中にそういう移住というものを入れて、ぜひ、一歩踏み出す選択をしてもらえるといいな、と思います。