「コロナ禍で踏み出した一歩、不安を乗り越えはじめた島暮らし」(前編)

投稿日:2022年2月10日 更新日:

プロローグ

鹿児島市から南へ約380kmにある喜界島(きかいじま)。8つの有人島がある奄美群島のひとつで、奄美大島からは東へ約25kmの位置にある。奄美群島の与論島や沖永良部島と同じく隆起サンゴ礁の島であるが、とりわけ喜界島は今でもも尚年間数ミリ隆起し続け、その隆起速度は世界トップレベル。サンゴ礁研究の聖地としても知られている。

この島に移住した谷川理(おさむ)・友里(ゆり)さんご夫婦は、東京生まれ・東京育ち。2021年、お二人の喜界島での移住生活がスタートした。理さんは現在喜界町の「地域おこし協力隊」として喜界島の情報発信やPRを手掛け、友里さんは喜界町の保育園の保育士として働いている。

二人が移住について興味を持ち情報収集をはじめた矢先に新型コロナウイルスの感染拡大の波が訪れた。コロナ禍で移住を検討する人が増えたと言われているが、情報が欲しい移住検討者にとっても移住者にPRしたい地方自治体にとっても、コロナ禍は情報収集・情報発信の一つの転換点となった。そんな中、いわゆる”コロナ禍移住”、そして”離島移住”を実現した谷川さんご夫婦に、まさに移住する直前、そして移住して約半年後の2回にわたり、移住するまでのプロセス、そして移住前後の心境の変化など、話を伺った。
今回のかごしま暮らしでは、移住して●年後・・・ではない、リアルタイムの「移住活動」に迫る。

インタビュー:藤村 朗生 撮影:高比良有城
取材日:2021年5月,11月
撮影協力:奄美海運(フェリーあまみ)

コロナ禍で変わった移住活動

2020年に入り新型コロナウイルスの感染拡大は世界中に大きな影響を及ぼした。ニューノーマル、外出自粛、そして国内でも県境を跨いだ往来が難しくなったことから、様々なイベントや催しがオンラインで開かれるようになった。地方自治体が開く移住相談会や移住セミナーといったイベントも従来は対面開催が常であったが、2020年の夏前頃から一気にオンライン化した。

谷川さんご夫婦に初めて話を伺ったのは鹿児島県ではじめて開かれた”オンライン”移住セミナーで、モニター越しのインタビューだった。

喜界町に住む谷川理・友里さんご夫婦

020年7月に開かれたオンライン移住相談会に参加していた谷川さんご夫婦。鹿児島のはじめてのオンライン移住イベントの参加者としてニュース取材のインタビューを受けていただいていた

それから数カ月後、喜界島へ移住することになったと連絡をいただき、2021年5月、これから喜界島へと向かうフェリーのターミナルでお会いした。そこで「移住」に至るまでのプロセスについて、そして移住で始まる新たな生活の幕開け前夜のリアルな心境を伺った。

喜界町に住む谷川理・友里さんご夫婦

鹿児島本港北埠頭ターミナル(鹿児島市)から出航するフェリー奄美。夕方に出航した船は翌朝、喜界島~奄美大島~徳之島~沖永良部島と奄美群島を巡る。

「地域と一緒に年をとっていく」という生き方を考えた

奄美群島の各島へは飛行機あるいはフェリーでアクセスすることができる。
鹿児島市の鹿児島本港から出航するフェリーは、喜界島を含む奄美群島の各島を結んでおり、その航路は人の輸送だけではなく物資の輸送も行う。離島で暮らす人々の生活や産業を支える大事な航路だ。
そのフェリーターミナルで出航の直前に話を伺った。

「2~3年おきに全国転勤を繰り返す中で、転勤先で地域の人と知り合ったり、つながりが広がっていくのは面白いんだけど、(次の転勤で)必ずお別れがきてしまうんですよね。都心や市街地のマンションだとやっぱり隣に誰が住んでいるかもわからなかったり、地域でのつながりみたいなものが全く無い十数年を過ごしちゃったな、と」
鹿児島、そして離島に縁もゆかりもないお二人。「移住」を考えはじめたきっかけについて伺うと、理さんはそう振り返った。

「次の10年、20年後というのを考えた時に、少なからず自分たちが興味のある『地域と一緒に年を重ねていく』という生き方と、(これまでやっていた)やりがいのある仕事をしながら生活するのを比べた時に、日に日に移住してみたいという気持ちが強くなったので、移住を本気で考えたという感じです。」

喜界町に住む谷川理・友里さんご夫婦

とにかく足を運んで、話を聞いた

理さん、友里さんは共に東京生まれ、東京育ち。理さんは大学卒業後、流通・小売業界の企業に就職して広報・PRの仕事に。友里さんは同じく東京で保育士として働いていた。結婚後は、理さんの転勤にあわせて首都圏や地方都市へ何度も転勤を繰り返していた。九州では大分市(2005年~)・熊本市(2016年~)と2か所延べ4年間を過ごし、なんとなく九州が暮らしやすいと感じていたが、その後また転勤で東京に戻った。東京での生活が嫌というわけではなかったが、芽生えた想いと移住に対する興味が日に日に増していった。そしてそのタイミングは二人とも同じだったという。

移住について、「興味がある」という段階を過ぎ、積極的に情報収集をはじめてから移住に至るまでの期間は、「全体で2年くらい、候補が絞られてきてから1年弱くらいでした。」と友里さん。最初はまず単純にネットで「移住」と検索するところから、と振り返る。「検索して調べたら、東京で開催される移住セミナーの情報が出ていて、無料だしとりあえず行って話を聞いてみよう、というノリで行きました。」

話を直接聞くと理解が深まる。そうするとさらに知りたいことが増える。とにかくもっと足を運んで話を聞こうと思ったという。全国規模のセミナーイベントや、ふるさと回帰支援センター等で開かれる市町村毎のセミナーなど何度も足を運ぶうちに以前話を聞いた市町村の担当者に覚えられ、声をかけられることもあった。

お二人ははじめから島暮らしだけを候補に思い描いていたわけではなく、この段階では喜界島の存在ははっきりと認識はしていなかったという。比較のためにも九州や四国など幅広いエリアの移住セミナーや相談会に赴いては話を聞きながら候補を絞り始めていこうとしていた。
そしてその矢先に、コロナの第1波が訪れた。

コロナ禍でも積極的に情報収集をした

「コロナ禍になって、在宅ワークや時短勤務もあって、逆に時間ができたのでじっくり考えることができたというか。そういった時間もフル活用して、もうまさに片っ端からオンラインのいろんなイベントに参加しました。」と振り返る。
コロナ禍でオンラインのコミュニケーションが開かれたことで、逆にエリアや離島・本土関係なく情報収集がしやすくなったと同時に、往来自粛の傾向ですぐに直接足を運ぶことはできないという割り切りも後押しとなって、徐々に候補を絞っていった。

奄美群島は移住先の候補に当初から挙がっていたというが、お二人ともかつて旅行した時のフィーリングが良かったと思い返す。さらに理さんは高校時代の修学旅行先が奄美大島だったとか。

「昔、旅行添乗員をしていたことがあったんですけど、奄美は行ってみると『こんないいところがあったのに知らなかった!』と一気に気に入ったんです。奄美に行くこと自体に、『特別感』のようなものを感じられる。」と友里さん。

そんなある時オンラインで参加したイベントに喜界町が参加していた。
「オンラインであっても説明される担当の方がそこの第一印象になるというか、私たちにとっては第一島民じゃないですか。それはやっぱり印象に残ります」と理さん。これまで詳しく知らなった島、担当者の説明や質問への丁寧な対応、オンラインを通じてではあるが魅力的な島の情報が二人の琴線に触れた。

島の海の夜明け(志戸桶ビーチ)

自分たちも踏み出した、すると背中も押された。

そうして喜界島が候補にあがって約4カ月、お二人ははじめて島を訪れる。仕事のこと、家のこと、生活のこと、コロナのことなど気になることは、「足を運ぶ前にオンラインでいろいろと踏み込んで聞くことができたのがよかった。」という。

気軽に往来ができる状況ではなかったことから、理さんは地域おこし協力隊の、友里さんは保育士の求人について事前に相談をしていた。あくまで下見というつもりで訪れながらも、お互いの面接・面談までもすることができたそうだ。
「オンラインイベントだけだと見えない部分の方が正直多いです。そこでもう一歩踏み込むという部分のイメージまでは湧きづらいんですが、オンラインであっても自治体の担当者さんや現地の人とのつながりができれば一歩踏み出せる。」と理さん。友里さんもその点は強く頷く。

オンライン中心の情報収集の中で、「最初はちょっと遠慮してたんですけど、興味がわいてきた自治体に対してはどんな些細なことでも聞いていくと、たぶん自治体の方も興味持ってくれてるんだな、ということが伝わるのか細かいことも丁寧に教えてくださるので、そこのファーストコンタクトが大事だなということをすごく思いました。」と振り返る。

「まちの人から見た『移住者』の位置づけは?とか、ぶっちゃけコロナ禍で行くことは本当に大丈夫なの?とか踏み込んだことも途中から積極的に聞くようにしていました。それがお互いの安心にもなっていたと思うし、遠慮しちゃうとお互いに後悔しちゃうかな、というのはすごく感じました。」

移住したい側にとっても、来てほしい側にとっても「ミスマッチ」は絶対に避けたい。お互いに遠慮をしないコミュニケーションが大事だ、ということは当たり前の様でも、移住を目前にしたお二人の言葉は実感として力強く響く。

下見から約3か月後、二人は移住前にもう一度島を訪れた。移住することは既に決断しており、具体的な家のことや生活の下見のためである。引っ越しの準備など離島移住ならではの苦労やコロナ禍で活動しにくい面もあったというが、いよいよ、移住の日を迎える。

不安が期待を上回る。出発直前のリアルな心境。

「楽しみの方が大きいはずなんですけど、正直不安が上回ってます。」
と友里さんはおもむろに出航直前の心境を打ち明けてくれた。

「『島・集落で暮らす』という経験がこれまでの人生で無かったので・・・その空気感とか、島や集落の行事とかに全く馴染めないということはないと思うけど、外から来た私たちがどう思われるのかという不安はあります。」

それでも、移住を決断してから職場や友人そして家族に移住することを打ち明けると、反対されるどころか皆「いいね」と背中を押してくれたという。
「たぶん皆もこういう暮らし(移住)っていいな、ってきっと心のどこかで思ってるんだと思います。それが実現できるっていうのは恵まれているし幸せだと思うので、不安を拭い去って楽しみたいな、というのが一番ですね。」

理さんも不安が無いわけではないという。
「『社交性』の尺度というか、たぶん土地ごとで違うと思うので、僕らがもっている感覚の当たり前と島の当たり前はもしかすると違うかもしれない・・・とにかく皆には『甘えなさい』と言われましたね。」

遠慮、謙遜・・・これまで特に意識することなく持っていた当たり前の感覚。それは島での新たな生活ではあまり必要ではないと多くの人からアドバイスされたという。そうは言ってもそれは一体どう振舞えばいいのだろう、という戸惑いがあるのを感じられた。
その時、この取材でお二人を撮影をしていた、島暮らし経験があるカメラマンはそれを『遠慮をしないという努力』と表現した。

自然の中で生きていく、という期待。

今日と明日が、人生の新たな転換点であることはお二人の口振り、そして期待と不安がさいまぜになったような表情からも伝わってきた。不安だが期待も大きい。その期待についても教えてくれた。

「コロナがあってからわりとスピード感を持って決断して、引っ越しや退社の段取りやって、ばたばたと“勢いのまま“今日ここにいる感じなんですよ。この勢いのまま、まず島に行って、島の人と会って、とにかく島のことを知りたい・・・そう思います。」と理さん。

「狭い庭とか、ビルに囲まれた立地ではなく、島の広い空や自然の中で(保育士として)やれるのは楽しみですし、今後の可能性を探しながらというのはとても楽しみなんです。庭いじりというか農業とか、今まで全くやったことのない『自然の中で生きていく』というのをやってみたいですね」と友里さん。

これまで家庭菜園やDIYといったことはやってこなかったというお二人。新たにはじまる生活ではそういったスキル不足までもが不安だけど同時にそれが楽しみだと笑いながら顔を見合わせる。

移住に至るまでの不安も、大変だったことも様々ありながらお二人は、「これからわたしたちが体験することを次につなげていきたい」とも考えているという。これまで先輩移住者たちの話をたくさん参考にし、また助けてもらった。

「移住を考えている、という人にぜひ今度は相談されてみたい」と笑う。

喜界町に住む谷川理・友里さんご夫婦

不安と期待のせめぎあい。インタビューを通じてそれが垣間見えた。移住を決断するまでの間にコロナ禍が世の中を取り巻く環境を変え、思うように情報収集が進まないこともあれば、オンラインというツールの普及で出来たこともあった。そのどの場面でも「人の縁」が二人の歩みを後押しした。

夕方に鹿児島本港から出航するフェリーが喜界島へ到着するのは、翌明朝。喜界島での再会を約束し、お二人の船出を見送った。

喜界町に住む谷川理・友里さんご夫婦
後編では、コロナ禍に移住して約半年後、喜界島で二人の生活、そして思い描いていた暮らしと現実との隔たり、心境の変化などを伺う。

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