プロローグ
インタビュー:泊亜希子 撮影:高比良有城 取材:2023年
自分の暮らしは自分でつくってみたい
蒼い山々に囲まれ、稲はまぶしいほどの緑を輝かせて風にそよいでいる。広い田んぼを見渡す小高い場所から、林さんは「ここでーす!」と手を振り、案内してくれた。伊佐市大口渕辺(ふちべ)にある「その火暮らし」の宿は2022年10月にプレオープン。手間をかけて、コツコツとリノベーションした宿の暖簾をくぐると、木をふんだんに使った内装、かまどと薪ストーブが旅人を迎える。カッコいい!そしてどこか懐かしい。壁には共にこの宿を作り上げてきた人たちとの写真が飾られている。
「宿のできは60点くらいですかね...」と林さんは謙遜するが、DIYのメーカー賞を取り、雑誌の表紙を飾るなど、なかなかの仕上がりだ。大工仕事は独学で覚えた。「とりあえずやってみる。やってみた上で職人さんにお願いしたり、一緒に作業して学ばせていただくこともあります。できることなら自分の暮らしは自分でつくってみたいな、と」。伊佐市に移住した理由もまさに「ほかにない、手づくりの人生」を求めてのことだった。
九州から北海道へ、そして海外へ
林さんは福岡県出身。父親が海上保安官だったため、幼少期より山口県宇部市、長崎県対馬市、北九州市と海のそばで暮らしてきた。「引っ越しは多かったですね。移動や移住を楽しめる素地はあったかも」と話すとおり、中学高校を長崎で過ごした後、北海道大学に進学。「北海道っぽいことをしたい」と、カヌー部に入った。
夏はカヌー、冬はスノーボードと北海道の大自然を楽しんでいるうちに冒険心はふくらみ、一年間休学して海外旅行を敢行。アフリカでの川下りやパタゴニアでのトレッキングなど世界を体験して回った。
卒業を控えたある時、企業の奨学金給付留学制度を見つける。留学先にはバックパック一人旅で初めて訪れたタイを選び、留学した。「東日本大震災もあり、バタバタと留学準備をした記憶です。内定込みの留学でしたので、帰国後はどっぷりビジネスの世界に浸かりました」。
林さんの勤め先は、国内外に家具や生活用品の生産・販売拠点網を持つ大企業。「あらゆる部署で仕事をしました。販売フロアから配達、生産現場まで。全国でも指折りの大型店でクレーム処理を担当したこともあります」。やがて海外事業部に移り、ベトナムやマレーシアで、制度設計や通訳などのバックオフィス全般を担っていく。
そんな順風満帆な生活を送っていた中、30歳を機に、林さんはこれからの人生について考えた。このまま海外コースに乗って、転々とするのか?それとも一か所に腰を据えて、地元の仲間たちと一緒に面白いことをしていくのか。祖母の最期に立ち会えなかったさびしさ。家族や近しい人たちとのつながりを大切にしたい。
林さんは6年半の会社員生活に別れを告げ、新たな道を模索すると決めた。会社員時代を振り返り「今では真逆のことをしていますよね、大量生産・大量消費の反動はあったかもしれません(笑)」。
「鹿児島の北海道」に縁を感じて
帰るなら九州と決めていた。福岡か長崎か、鹿児島。鹿児島は会社員として最初の赴任地だった。「いつか帰ってきます、とパートさんたちにも言っていたんです」。その言葉が実現したことになるが、伊佐市を選んだのは偶然。移住のリサーチをしているうちに、地域おこし協力隊制度を知った。
どうせなら一からやれるところがいいと、初めて募集するところを探した。そこに出てきたのが伊佐市。「鹿児島の北海道、カヌーが盛んとあって、おお!と思って」と笑顔になる林さん。初めて伊佐市を訪れると、市の担当者が案内してくれた。「担当の方がとにかく温かく熱心でした。地域のキーマンに会わせてくれたり、伊佐の黒豚を食べさせてもらって。胃袋をつかまれました(笑)」。
「民宿に泊まったら、いい意味でカオスでした。地域のおじちゃん、おばちゃんたちと一緒にわいわいして、焼酎も飲み放題。隣のテーブルから料理が流れてきて。人間くさい感じがして楽しそうだな、と」。こうして2018年7月、伊佐市の地域おこし協力隊一期生として、林さんの活動が始まった。
「知り合いばっかり、そういうのが苦手という人もいるが、僕は好きです。言葉は…今でもわからないことがあります。移住当初は菱刈のまごし温泉のすぐそばに住み、温泉でおじちゃんたちとしゃべっていました」。
幸いなことに、林さんが住み始めた集落にはちょうど同世代がUターンしてきた時期だった。「十数年間できていなかった六月灯を復活させるなど、勢いがありました。焼酎の国に来て、毎日酔うのかな?と思っていたけど、そんなこともなく(笑)。飲み会もちょうど良かったです」。
協力隊としての仕事は、観光振興と情報発信。「これをしてください、というのがなかったぶん、自分で探して自分で仕事をつくっていく必要がありました」。そこで最初に立ち上げたのが、ウェブサイト「イサタン」である。伊佐の自然や温泉を体験し、滞在してほしい。そのための情報を取材し、集約していった。
林さん自ら「SUPで川内川を川のぼり」した記録など、イサタンでしか読めない記事が面白い。テレビ番組にも出演し、地域情報の発信に一役買った。自然に親しむうち、これこそ伊佐の魅力満載なのでは?という企画を林さんは思いつく。
人も町も熱くする!サウナーワンダーランド
「ただ川で遊ぶ、だけではない、新しい自然の楽しみ方」として林さんが提案したのがサウナだ。「地元の人も巻き込んで、一緒に楽しみたい。そんな場をつくりたい」と思った林さん。もともとフィンランドのテント型サウナを持っており、2018年にはフィンランド政府観光局公認のサウナアンバサダーに選ばれるほどのサウナ好き。
「たまたま好きだったサウナがこんなに流行ることになるなんて...」と笑うが、ブームに先駆けた林さんのサウナ活動はメディアに多数紹介された。伊佐の水の清らかさ、森の美しさも相まって、サウナの魅力はより一層、映えるものとなった。
大人も子どもも森に集い、テントサウナで汗をかく。熱々になったら、冷たい川にそのままジャンプ!地元の猟師がイノシシ肉を用意し、石窯マイスターが石窯でイノシシ肉やパンを焼いて、たっぷりともてなす。「サウナイベントをきっかけに移住して来た人がいたくらい、盛り上がりました」。
火を囲む楽しさを改めて実感した林さん。その思いを形にして鹿児島県主催のビジネスプランコンテストに発表すると、大賞に輝いた。「情熱が通じたのかな。薪のチカラで地域を熱くする。不便を楽しむ場所を作っていく。みんなの思いが後押ししてくれました」。
賞金で作ったのは、移動できるトラックサウナ。余ったお金で友人とガンジス川でのサウナ体験旅行もしたというから、林さんのサウナ好きは筋金入りだ。後編では「その火暮らし」のこれからについて聞きました。