2011年に茨城県から屋久島に移住した伊藤佳代さん。もともとは山ガールだったが、2016年にトビウオ漁を体験したことから、島で唯一の女性漁師になった。
現在はトビウオ漁と並行して、一本釣りも行っている。
20代の頃からずっと自分に合った仕事を探し、30代最後にしてようやく漁師という天職に出会えた伊藤さん。なぜ好きな仕事にこだわり続けてきたのか、その理由を紐解くとともに、屋久島の魅力と移住への第一歩の踏み出し方について聞いた。コラム:里山 真紀 撮影:高比良 有城 2018年8月取材
投入と釣り上げを繰り返し、大漁を狙う一本釣り
「屋久島は月のうち、35日は雨」。林芙美子の小説「浮雲」の一節だ。事実、屋久島は地形と黒潮の影響により、年間降水量がとても多い。山に降った雨は、森から川を通じて海に流れ込む。その海には黒潮の本流にのってたくさんの魚がやってきて、沿岸から沖合にかけて好漁場が形成されている。
伊藤さんは、船の上から空と海と島を眺めるのが大好きだ。
「海から望む屋久島は、日々違った表情を見せるし、空と海の色は刻一刻と変わります。朝から夜までいても全然つらくなくて、どちらかというとずっと海の上にいたいくらい。きっと性に合っているんでしょうね」
一本釣りの師匠・中島さんと漁に出ると聞いて、同行させてもらった。一本釣りは、釣り針が複数本ついた釣り糸を海底付近まで落として、流し釣りにより漁獲するというシンプルな漁法だ。エサにはサンマなどの切り身を使い、釣り機と呼ばれる自動巻き上げ機を用いて、釣り上げと投入を繰り返す。
魚群探知機を使いながら漁場を探して、潮を見ながら魚の動きを予測して釣り糸を落とすのだ。どうすれば魚の興味を引けるか、想像力を働かせながら、工夫して釣るのだという。この日は、真っ青な海の中から、チレやアオダイなどが次々と船上に上がった。
漁師歴25年。佐賀県出身で移住者の先輩でもある中島さんに、伊藤さんの仕事ぶりについて尋ねてみた。
「努力家だし、研究熱心で、すごいですよ。海にいるだけで楽しいと言っているから、そういう人は向いています。漁師として、やっていけると思いますよ」
そう言って、後継者の成長ぶりに目を細めていた。
漁師とは、遊びを兼ね備えた最高の仕事
漁師の収入は、獲れ高に応じた歩合制だ。
決して安定しているとは言えないけれど、大きな贅沢をしなければ屋久島では十分生活することができるという。
また、大型漁船のいない安房集落では、漁師がマイペースで海に出る。ガツガツしない雰囲気も肌に合っていた。
「私にとって漁師は、遊びも兼ね備えた最高の仕事なんです。釣りって趣味でもできるじゃないですか。
それで食べていけたら最高だなって。魚は資源なので獲り過ぎればなくなってしまいます。だから、お金を儲けようというよりも、生活できる範囲で獲れればいい。船を持ったら、そうも言っていられなくなるかもしれませんが、みんな楽しそうに仕事をしています。好きだからからこそ、しんどい時があっても続けられるんだと思います」
高校を卒業してから、ずっと自分に合った仕事を探してきた。特に20代はつまずくことが多く、苦しい時期だったという。パン屋、大工、アウドドアショップ店員、さまざまな職を転々としてきた。でもその苦しさを乗り越えたからこそ、漁師という仕事に出会えたのだと今なら思える。
「自分にぴったり合った仕事をしている人は、そう多くはないかもしれません。でも1日のうち仕事をしている時間って結構長いじゃないですか。だからストレスを抱えながら、ただしんどいと思ってやるのは嫌だなって思うんです。
苦しくても乗り越えられる仕事、それもまた楽しいと思える仕事をずっと探してきました。それが私にとっては漁師だったんです」
時間がかかっても探し続けてきた。不安があっても挑戦し続けてきた。だからこそ、天職に出会えたのだろう。
「私が漁師を始めたのは39歳。どこまでできるかなという不安はありました。でもやってみなければわかりません。20代ほどの体力はないけれど、経験を積んできたぶん、壁を乗り越える力も身についています。すべての経験が糧になって、今につながっているんだと思います」
今後の目標は、釣りの知識と経験を積み上げること。そして船を持てる自信がついたら、一人で海に出ることだ。
心優しい島人と自然に溶け込む暮らしを
移住して8年、これからも屋久島の漁師として暮らし続けたいという伊藤さん。今感じる島の魅力とはどんなところだろう。
「移住者が多く、島の人たちも受け入れてくれるので、住みやすいと思います。観光客も“屋久島の人は優しい”とおっしゃる方が多いです。付かず離れずで見守ってくれる雰囲気がいいんですよね。
また、海に限らず、山、川もあって、遊ぶところも尽きません。新しいお店もどんどん出来ていますし、8年いてもまだまだ知らないところがたくさんあります。あと、魚だけでなく、野菜もおいしいんです」
漁師になる前は、農業がやりたくて畑を借りていた時期もあるという。
いずれは農業にも再チャレンジして自給自足的な生活をしたいと考えている。
では逆に不便なところは、ないのだろうか?
「離島なので、天候が悪いと飛行機や船が出なくなって、万が一の時、すぐに実家に帰れないことくらいでしょうか。両親には時々、携帯電話でムービーを送っています」
インターネットがある今、情報・物質面で不便に感じることはほとんどない。屋久島に興味がある人には、まず足を運んで、その雰囲気を確かめてみてほしいという。
「屋久島は観光地なので、夏の繁忙期はアルバイトの募集があります。夏に来ると、きっと仕事も見つけやすいと思います。どちらかというと難しいのは家探しです。人に聞いたり、歩き回ったりして、根気強く探すのがおすすめです。住み込みのアルバイトをしたり、長期滞在ができる民宿に安く泊まりながら、家を探すといいと思います」
年齢も、条件も、関係ない。諦めなければ、いつかすべて超えてゆける。はつらつとした伊藤さんの笑顔が、すべてを物語っていた。
伊藤さんの鹿児島暮らしメモ
かごしま暮らし歴は?
8年です。
U•I•Jターンした年齢は?
33歳の時でした。
U•I•Jターンの決め手は?
ここで働きたいと思ったからです!
暮らしている地域の好きなところ
山・川・海と自然がすべて揃っているところ。
かごしま暮らしを考える同世代へひとこと!
やりたいことを諦めないことが大切だと思います!