プロローグ
その美しい山並みを贅沢に望み、大きく広がる茶畑の中にひっそり佇む日本茶カフェ、「年輪堂」。
こちらのカフェを運営している新里さんご夫妻は2016年から大阪と霧島市牧園町で二拠点生活を始めた。生まれ育った大阪から鹿児島へと拠点を移すことになったキッカケや現在の暮らしについて話を伺った。
インタビュー:満﨑千鶴 撮影:高比良有城 取材日:2022年7月
自然そのものが教材
虫網を手に、楽しそうに山中を駆け回る新里一青(いっせい)君、小学1年生。
今回、新里さんにお話しを伺うため、私たちがまず訪れたのは新里さんの息子さん(一青くん)が通う中津川小学校だった。
同行させて頂いたのは生活の授業。校庭に出ると担任の先生が子どもたちに虫網を渡し、虫除けスプレーを振る。「さぁ、みんな行きますよ。網を振り回したら危ないから気をつけましょう。お友達に当たらないように十分注意しようね。水分補給も忘れずに!」
そう言うと熱中症対策となる塩飴を一つずつ配り食べさせると、早速山を上り始めた。
子どもたちが向かうのは、「教育の森」。今日の目的はそこにあるブルーベリーを摘みに行くことだった。
慣れない山登りに息を切らしながら目的地へ向かう間、新里さんに話を伺うと、この中津川小学校との出会いが、この町への移住を決意する大きなキッカケになったと、その経緯を話してくれた。
「移住と言っても仕事の関係上、大阪と鹿児島の二拠点生活になるので、空港周辺で住む場所を探していました。暮らす場所ももちろん大事だけど、上の子が小学校4年生になるころだったので、小学校の環境は親としてとても気になるところで。
敏感な年頃の子どもにとって、転校というのはとてもストレスが掛かることなので、なるべく良い学校に通わせてあげたいと思っていました。
ネットで色々調べていたら中津川小学校に行き当たり、移住する前に電話して、当時の校長先生に話を聞きに伺いました。中津川小学校は、全校生徒16人という小規模校なので、複式クラス(2つ以上の学年で構成される学級)。
1年生〜6年生までみんな仲良く、とても伸び伸びしている印象でした。自然の中で授業しているという話も聞いて、とても良い学校だなと。人数が少ない分、一人一人の役割も大きく、きっと主体性も育まれるのではないか?と感じました。
校長先生も親近感がありとても距離の近い先生だったこともあり、この町で暮らすことを決意しました。実はその時話を伺った校長先生は2年前に引退され、現在は息子の担任の先生なんですけどね(笑)」
生活の授業の目的は「自然と遊ぶこと」。目的地へ着くと、みんなでブルーベリーの木へと駆け寄る。
この日は残念ながらブルーベリーの実はまだ熟していなかったけれど、新たな課題が子どもたちに与えられる。「よし、じゃあみんな!1人一匹は虫を捕まえてください。蜂と蛇以外だったら何でも良いよ!よーい、スタート!」先生の掛け声と同時に、子どもたちが一気に駆け出す。
「バッタ見つけた!」「カマキリ捕まえた!」自慢気に捕まえた虫を見せにくる子どもたち。誰1人虫を怖がる様子はない。学校への帰り道、たくさんの実をつけたブルーベリーの木の前で立ち止まると先生が再び声を掛ける。
「ここにあるブルーベリーは食べてもいいよ!おうちの方には許可を取っているからね。」そう伝えると、嬉しそうにブルーベリーを摘んでは口に運ぶ子どもたち。
摘んでは食べての繰り返しでいつの間にか子どもたちの口はブルーベリーで一杯に。一通り食べ終えると競争するかのように手に持った袋に詰め始める。
小さな手で集めたたくさんのブルーベリーは“お母さんへのお土産”だと、コッソリ教えてくれた。
自らのルーツを辿り、気付かされた“故郷”の尊さ
2016年に霧島市牧園町へとやってきた新里さんご家族。現在は、新里さんご夫妻と大輔さんのお母さま、そして4人の子どもたちの7人で暮らしている。
生まれも育ちも関西だった大輔さんが移住を考えるようになったのは、父と旅した“ルーツを辿る旅”だった。
「幼い頃から私は、父の仕事の関係上、大阪や京都など関西を転々とする生活をしていました。私の父は沖縄県宮古島出身で母が鹿児島県姶良市の出身。幼少時代から両親の故郷(海と山)に時々里帰りしていて、両祖父との思い出が心の中に強く残っていました。
大学を卒業後、大阪で仕事をしながらデザイン・アート系の専門学校に通っていたのですが、そこに文化人類学の先生がいて。その先生が宮古島に伝わる「ウヤガン(山籠りをして祈りを捧げる)」という神事の研究をされていたのです。
当時の私は26歳くらいだったでしょうか?何度も訪れたことのある父の故郷にそんな文化があったことを全く知らなかったことが恥ずかしくて…。同時に違和感を感じました。この事がきっかけとなり、私は父と一緒にルーツを辿る旅を始めました。
それから2.3年後、職場が同じだった妻と結婚し、長女が生まれたのですが、間もなく父が他界。父の死と子供の誕生が重なり、その時改めて“自分の役割”というものを考える様になりました。自分のルーツである故郷の歴史や文化、営みなどを子供に伝えて行くこと、見てきた景色や思い出を次世代に継承していくことが私の役割なのではないかと…。
私自身が色んな地を転々とする転校生で、“地元”と呼べるものがない幼少時代を過ごしてきました。“地元”や“幼なじみ”というものに憧れていたこともあり、自分の子供たちにはちゃんと“故郷”を残してあげたい!そんな思いから移住を考えるようになりました。」と話す。その後大輔さんは、移住することを前提に32歳で独立。2016年に霧島市へと移り住み、かごしま暮らしがスタートした。
後編では、新里さんご夫婦の現在の活動と、これからの目標についてお話しを伺います。