大隅半島の特殊なエネルギーを感じながら、曽於市から価値ある「食」を発信していく(前編)

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プロローグ

鹿児島県の大隅半島にある静かな山間の町・曽於市で食品の通信販売業を営む川原さん(50歳)。2010年から自然養鶏を始め、現在は曽於市の家の庭先で放し飼いにしている鶏が生んだ有精卵と、その卵でつくったマヨネーズを主力商品としている。それらの商品は、原材料や製造方法品質へのこだわりの高さがテレビや新聞など全国的メディアに頻繁に取り上げられ、生産が追いつかないほどの人気を得ている。
20年以上東京に暮らし、Iターンで曽於市に移り住んだ川原さんが、どのような経緯でこの地で事業を立ち上げたのか。川原さんのオフィスに伺うと建物の周囲を40羽の鶏たちが自由に歩き回っている。今回はその鳴き声を聞きながらお話を伺った。

川原さんが運営するサテライツ株式会社のホームページ
http://satellitesinc.jp/
インタビュー:今田 志野 撮影:高比良有城 取材日2019年2月

父の最期を看取るため鹿児島へ

お父さんの余命がわずかだという知らせを受け、急に鹿児島に住まなければならない理由ができた。それが川原さんの移住のきっかけだ。今から約13年前のことである。

「父のそばで最善を尽くして、その最期を看取らなきゃいけないって思ったんです」

出身は鳥取県だが、東京の上智大学を出てそのまま東京で働いていた。お父さんは心療内科医で、晩年に自身の故郷である鹿児島の大隅半島で、地域で初となる心療内科医院を開業した。しかし開業直後に病に倒れたため、川原さんは医院を手伝うべく東京の会社を辞めて大隅半島の鹿屋に移住する。

東京では医療とは全く別分野の仕事をしていたが、医院では事務長となり経営を担った。そうして忙しく働く日々の中2年が過ぎ、お父さんは亡くなられた。

やむなく医院は閉めることになり、川原さんはこれから何をしようかという岐路に立つ。またどこかへ勤めるかなど、いくつかの選択肢の中で悩んだ末、自分で起業することを選んだ。

精神医療の現場を目にして「食・農・自然」に関わるビジネスを思いつく

川原さんは心療内科医院で働いた2年間で心を病んだ患者さんが回復していくのを見てきたが、そのプロセスに衝撃を受けたという。

「うちの医院は父の方針で、投薬に頼るのではなく患者さんの生活そのものや家族との関係など、人の根幹的なところに着目した統合医療的な精神医療を実践していたんです。患者さんたちに出す病院食も野菜など素材の全てが無農薬で水にもこだわっていました。明日は死にたいと言っているような心がズタズタになっている患者さんでも、睡眠、人間関係、そして食事が整っていくと病も治っていったんです」

睡眠・人間関係・食という条件の中でも、川原さんはとくに食が重要と感じていた。そして「食で人を強化していくような、土や自然、食を数珠繋ぎにしたようなソリューションビジネスを起せないか」と漠然と思いついたという。熊本の医師が「医は食から、食は農から、農は自然から学べ」と言っていた。食に関わるなら農業に関わることも考えた。

医院を閉めた時は、諸々の整理を終えたら東京に戻ろうとも思っていたそうだ。東京への名残惜しさもあった。しかし川原さんは東京には戻らなかった。どこで事業を始めるかと考えた時、大隅半島にいるのがベストだと思ったという。

「まず農業系のことをするなら、大隅は条件の良い土地を安く借りたり買えたりできる。東京だと例えば武蔵野などでやるのも手なんでしょうけど、まぁコストがかかるんですよ。出身地の鳥取も候補ではあったけど、冬が寒すぎるので寒がりの僕にとっては不向きで。こちらは気候も温暖ですし、父の故郷でもあるので全く縁がないわけでもない。あとは僕が起業を決意した頃、インターネットが普及してきて、それさえあればどこにいてもいろんな知識を吸収できる時代になり始めていました。だから、このまま大隅にいた方が良いんじゃないかと思ったんです」

この土地にある、途轍(とてつ)もないおおらかさ


川原さんはお父さんの仕事の関係で小学校6年生から中学1年生という多感な時期をアメリカのテキサスとカナダのバンクーバーで過ごした。アメリカ人でもメキシコ系、アフリカ系、中国系、インド系と多様な人種があふれる環境にいたが、そんな海外生活から帰ってきて感じたことは日本人は良い意味でも悪い意味でも“重箱の隅を突く”ところがあるということ。アメリカやカナダでは全てのことが“いい加減”だったそうだが、大隅半島にはアメリカやカナダに共通する、途轍(とてつ)もないおおらかさがあると川原さんはいう。

「大隅半島に来て最初にショックだったのは、台風シーズンの激しい雨風の中でも地元の人たちが普通に暮らしていたことです。一度本当に大きな台風が来て、ガソリンスタンドの大きな看板が壊れたり、道路にあふれた雨水でコンビニが冠水して電気も切れていたりするのに、みんな平気な顔をしているんですよ。それがなんか強烈に印象的でした」

さらに大隅半島にいて感じたことは、多様性を受け入れる気風だ。移住と聞いて私たちが想像しがちなストーリーは「最初は地元の人はみんな冷たかった」という類のもの。しかし全くよそ者の川原さんが大隅半島に来た時、特にいま暮らしている曽於市に移り住んだ時は最初から集落で受け入れられたという。集まりがあれば呼んでくれて、川原さんの事業にも協力的だった。

「大隅半島の人は懐が深くて多様性を受け入れる。それはこの土地の人の特殊性だっていう話をかつて父や同業者ともよく話題にしていました。これは地元の人たちは自分では気づいていないと思うけれど、この地域の美徳だと思うんです」ここには原始的なエネルギーが生まれる土壌があると川原さんは語る。とくに農業系の仕事をしてそこから価値を発信するためには、「生命力の本質みたいなものとリンクできるような場所がよかった」という。川原さんにとってそれがこの大隅半島という土地だったのだ。

「大隅半島は熊本の阿蘇山と含めて世界最大のマグマ地帯だそうです。この下にある大きなマグマ溜まりが、この土地の原始的なエネルギーとおおらかさに関係しているのかなと考えたら面白い」

そう言われると、この静かな山間の地に漂う空気、外から聞こえる鶏の小さな鳴き声すらも、ふつふつとした不思議なエネルギーを帯びているように感じられてきた。

<後編>では、川原さんが鹿児島で農業系ベンチャーをスタートさせてから現在に至るまでのお話をご紹介します。

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