【episode11】島暮らし、漁師、魚醤づくり 52歳から新たな挑戦を次々と(前編)

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プロローグ

屋久島と奄美大島のあいだに連なるトカラ列島の平島へ移住し11年、その後、薩摩半島の西南端に位置する南さつま市坊津町に移り住んで6年目となる村主賢治さん。高校生の頃からずっと胸に抱いてきた島暮らしへの強い憧れを定年間近の52歳にして叶え、さらに「人の役に立ちたい」という自己実現のために挑戦を続ける現在までの道のりには、人生を切り開くヒントが、たくさん詰まっていた。

インタビュー:奥脇 真由美 撮影:高比良 有城 取材日2018年12月


坊津の港から望む夕景

坊津の港から望む夕景

薩摩半島の西南の端を目指し、鹿児島市内から車を走らせること1時間強。山間を下ると視界に海が開け、小さな港が見えてきた。

その昔、海上交通の要所とされ、江戸時代には薩摩藩の密貿易の地として栄えていた南さつま市坊津町。平日の夕刻前に辿り着いた港は人影少なく静かで、広い空に旋回する鳶の姿が目を引く。村主さんは、そんな港のすぐそばにある工房で、魚醤や燻製を製造。商品は現地で手にして買って欲しいとの想いから基本的に地元の物産館等にしか置いていないが、生産が追い付かないほどの人気ぶりだ。

村主さんが手掛けている魚醤「さかな醤油」

村主さんは、もともと兵庫県芦屋市の出身。鹿児島との縁は、屋久島と奄美大島の間に位置するトカラ列島に移住したところからはじまる。

長いあいだ温めてきた“島暮らし”の夢

鹿児島へ移住する前、村主さんは長く水産加工品会社の営業マンだった。受け持つ先々で大幅に売り上げを伸ばしてきたやり手。「自分のやり方次第で成果が数字に表れるのが、病みつきになるほど楽しくて」と語るほど、営業という仕事が性に合っていた。しかし一方で、若い時から常に胸に抱いている夢があった。それは「島で暮らす」こと。

「高校生の時、小笠原諸島の返還の様子をテレビで見て、島の人たちの目のきれいさにすごく惹かれて。どうしてこんな表情ができるんだろうと。それ以来、島に住んでみたいとずっと思っていました」

村主さんは、いつか来るであろうその日のために、会社員時代から船舶やフォークリフト、調理師の免許などを取得し、島暮らしに着実に備えていった。
52歳のとき、2人の子どもがそれぞれ大学院と大学を卒業。定年退職まであと数年だったが、「今がタイミング」と、会社に退職の意向を伝えた。会社からは再三引き留められたが、村主さんの決意は固く、憧れの島暮らしを始めるべく動き出したのだった。

若い頃から抱いていた島暮らしの夢に備え、船舶免許を取得していた村主さん。フォークリフトや調理士、介護関係の資格も会社員時代から取得してきた

なかなか決まらない移住先

移住先としてまず当たったのは、行動のきっかけとなった小笠原諸島。知人に地元の組合長を紹介してもらうも、まず「どうやって生活するのか?」ということを心配された。寝食を忘れるほどの釣り好きだった村主さんは、漁師として暮らすべく修行する覚悟を決めていたが、組合長からは「自分の息子ですら、(漁師として生活するのが厳しく)島から出したのに、あなたみたいな年寄りが来てどうやって生活するの?」と、受け入れてもらえなかった。

諦めきれず、漁師になる方法を探すと、今度は山口県が開いている「漁師養成講座」なるものを発見。連絡を取ると「応募が多く、40歳までの年齢制限を設けた」とまた断られてしまう。

「会社も辞めてしまったし、もうどうしようかと。会社からは戻って来いと言われ説得もされましたが、今更意思を変えるわけにもいかない。失業保険も満額もらって、いよいよどうしようかとなったとき、釣り仲間から『トカラ列島って知ってる?面白そうなところだよ』という話があって」

とにかく島暮らしを叶えたかった村主さん。魚が良く釣れる面白い場所と聞いて、今度は電話ではなく、とにかく足を運んでみようと、さっそく鹿児島から十島村(トカラ列島)行きの船に乗った。
十島村は屋久島と奄美大島の間に位置する7つの有人島と5つの無人島から成っており、村主さんが降り立つ場所に選んだのは小宝島。10日間の滞在中、お世話になっていた宿の女将が「あなたみたいな人は、島暮らしが合っているかも」と背中を押してくれたこともあり、鹿児島市内にある十島村役場へ移住を相談しに行った。ここでもやはり、どうやって生活するのかを問われたが、どうにか漁師の修行先を見つけてもらい、最終的にはトカラ列島の中央部に位置する平島への移住が決まった。

後編では鹿児島県の十島村・平島での生活や漁師修行、そして魚醤づくりについて、さらに話をうかがいます。

後編へ

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