プロローグ
インタビュー:瀬戸口奈央 撮影:高比良有城 取材日:2022年
苦労してきたからこそ、今がある
肥後さんの牛舎で島バナナをみつけた。「牛にも食べさせています。飼料の点でいうと、口之島は充分ではないんです。山が多くて平地が少なくて、牧草を育てる土地が足りない。親が食べる分の草は放牧で足りても、仔牛が食べる分の草を育てる畑がなくので、購入している農家がほとんど。北海道とか鹿児島本土の大規模農家は、その草の分の土地まで持っていることが多いんですよ」
口之島には、現在畜産農家が8つあり、そのほとんどが家族経営。母牛30頭を超える牛舎も多く、離島における畜産農家としては規模が大きいのも特徴の1つ。
「放牧場が整備されていたり、施設が整っているのは、口之島の特徴だと思います。親世代など、昔から悩んでやってきた農家さんが多いから、そのおかげです。みんな少ない人数でやっているからこそ、何かあったときには助け合える体制ができているんですよね。共同の放牧場で、よその牛のことでも“お産が始まってるよ”とか、気づいたことがあれば、牛の様子を教えあっています」
獣医がいない島。「助かる命を守りたい」
さらに、生き物を相手にする仕事をしていて悩ましいのが、島内に獣医が常駐していないこと。
「いま十島村には獣医の先生が2人いるけれど、電話一本でいつでも来られるわけではないんです。天候が悪くて船が出られない、ということもあります。もしかしたら助かっていたはずの命を失ってしまうこともある。それが一番辛い」そうした思いを少しでもしないようにと、肥後さんは「十島村家畜衛生補助員」として登録。これは家畜が病気の時など緊急時に獣医師の指示を受け応急的措置を施す役割で、十島村では特別に設置されている。
「いろいろ勉強して帰ってきたというのもあって、みんなお産のときや牛の調子が悪いとき、相談してくれます。夜中でも構わず連絡が来て走っていくことも、もちろんあります。繁殖農家にとって、親牛はパートナーであり、仕事仲間。家族と同じ存在です。命の重みを感じることができる仕事です」
島の人と移住者の橋渡し役に
肥後さんが、島を出て畜産について学び、人工授精師の資格を取ったこと、十島村家畜衛生補助員になったことなど、全ては、両親が大切に育ててきた牛たちを守り、この十島村全体の力になりたいとの思いがあったからこそ。畜産業界の一員である前に、島で暮らすひとりとして、大事にしている思いがある。
「自分の母親は、鹿児島市の出身で、口之島出身の父との結婚を機に島に来ました。当時は島出身者同士の結婚が多かった中で、移住者はあまりいなかったみたいで。馴染んでいくのが結構大変だったと聞いています。だから、うちは母親から“よそから来た人には優しくしなさいよー”と言われて育ちました。便利なところから来ると島の暮らしは大変だと思し、相談するところもないと思うから。移住されてきた方には、自分から声を掛けるようにしています」
島ならではの小さなコミュニティは、育まれてきた歴史があり、個々のつながりが濃厚であるがゆえに、外から入ってゆくには難しい面があると思われがちだという。
「自分も一度島の外に出た経験があるので、そういう気持ちも少し分かる。受け入れてもらえるか不安だ、という声も聞きますが、人情味のある人が多くて、人と人との関わりは深い。本当に大事にしてもらえる。助け合わなきゃ暮らせないので。自分がそういう人たちと、島に昔からいる人たちのコミュニケーションの橋渡しになれればいいと思う」
なにかと頼りにされることが多い立場に、疲れることはないか、と尋ねると「やりがいを感じますよ。もちろん疲れちゃうこともありますけど、私が助けてー!と言えば、みんな集まってきて応えてくれる人たちばかりですから。そのときは、うちが助けてもらいますよ」とお茶目に笑い飛ばした。口之島のこれからを担ってゆく、とても頼もしい笑顔だった。
肥後さんのかごしま暮らしメモ
かごしま暮らし歴は?
口之島で生まれ育ち、高校進学と同時に島を出た。Uターンして6年目。
J・Iターンした年齢は?
26歳
口之島にUターンした理由は?
いつかは戻って家業の牛飼いを継ぐつもりでいたが、父親が体調を崩したことをきっかけになった
口之島の好きなところ
手付かずの自然があり、四季折々に楽しみがある。昔ながらの伝統文化や地域行事があって、人情味のある人が多いこと。
かごしま(口之島)暮らしを考える同世代へひとこと!
便利ではないし、厳しい環境ではあると思うけれど、その分助け合って、人と人との関わりが深いのは魅力。時間を感じさせない、しばられないような空気が流れているので、都会で時間に追われて疲れている人には、島の暮らしを体験してみてほしい。