ダンスも暮らしも 心とからだがおもむく方へ(前編)

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プロローグ

コンタクト・インプロビゼーションというダンスがある。1972年にアメリカで生まれた、体を使った対話形式のダンス。決まった振り付けはなく、人と接触したり関わったりしながら即興で踊る。その自由さや、即興がゆえに生まれる創造性の豊かさに惹かれ、コンタクト・インプロビゼーション・グループC.I.co.を立ち上げ、その普及活動や国際フェスティバルの運営等に取り組むダンサーの勝部ちこさんと鹿島聖子さん。

東京を拠点に国内外で活動していたが、グループ設立12年目の2012年、鹿児島県の伊佐市に拠点を移した。「鹿児島は全く縁がなかった」という二人が伊佐市に移住したいきさつ、現在の暮らしや幅広く展開している活動について話を聞いた。

インタビュー:奥脇 真由美 撮影:高比良有城 取材日2019年2月

山に囲まれた平たんな盆地が広がる鹿児島県最北の地・伊佐市。米どころ、焼酎どころであり、また、盆地という土地の特性から冬は特に寒いことで知られ、「鹿児島の北海道」の異名も持つ。そんな伊佐市の南部に位置する菱刈地区で、勝部さんと鹿島さんは暮らしている。

山の木々を揺らす風の音が静かに響き渡り、手入れのされた田んぼが広がるのどかで気持ちいい場所。6年前にここへ移住した二人だが、コンタクト・インプロビゼーションとの出会いがなければ、この地には来ていなかったかもしれない。

川内川水系に潤う伊佐市

コンタクト・インプロビゼーションとの出会い

「ダンス」という枠にとどまらず、「食」や「住」も含めトータルにコーディネートし、国内外で幅広く活動している勝部ちこさんと鹿島聖子さん。幼い頃から、勝部さんはバレエに、鹿島さんはダンスに親しみ、二人はお茶の水女子大学大学院の舞踊教育学科で出会った。その頃6歳年上の勝部さんは同科を卒業し、助手として戻ってきており、鹿島さんは在学中だった。二人がコンタクト・インプロビゼーション(以下C.I.)に惹かれ始めたのは、それぞれにニューヨークへ留学した時。発祥の地アメリカでは、C.I.に触れる機会が多かったのだという。

勝部さんは、それまでいわゆる振り付けのあるダンスをダンサーとして踊ったり、自分が振り付けを考えて誰かに踊ってもらったりしていた。それにどこか不自由さ、想いが表現しきれていないようなもどかしさを感じていたとき、C.I.と出会った。

「自分は自分で踊りたいように踊り、人は人で踊りたいように踊るというC.I.の手法は、その時の自分が抱えていた問題を解決してくれるものでした」(勝部)

鹿島さんもまた、自ら踊るのはもちろん振り付けを考え作品を作るという活動をしているなかでC.I.と出会う。

「即興というのがすごく新鮮でした。それも人と関わって即興する。誰が創っているというわけでもなくて、でも作品が出来ていくという状況が今までにない初めてのことでした。動きの質もそれまでやっていたダンスとかなり違っていたので、受け入れ切るのには段階が必要でしたが、徐々に惹かれていきました」(鹿島)

当時まだ日本ではあまり知られていなかったC.I.。ワークショップへの参加を重ねるうち、自分たちも勉強会のようなものから立ち上げてみようと、2000年、コンタクト・インプロビゼーション・グループC.I.co.を東京で設立する。

ダンサーそれぞれが発想のままに踊るC.I.。「ダンス」というコミュニケーションのなかで即興の表現が次から次へと紡ぎ出され、最後まで目が離せない

自然豊かな環境でダンスをやりたい

自宅前に広がる田園風景

その後国内外各地でのワークショップ開催や、国際的なC.I.フェスティバル参加など意欲的に活動していった二人。各地へ足を運ぶなかで、次第に拠点としている東京が、はたしてどれくらい自分たちのやっているダンスや活動に見合っているのか、ということを考えるようになる。

「各地の土地の魅力、地元の人の魅力に出会うなかで、田舎的な自然豊かな場所もいいなあと。海外でも、郊外や地方で国際フェスティバルをやっているところもあって、そういう場所でやるのって気持ちいいなとか、見合ってるなと感じていました」(勝部)

そんな想いを抱いている時、東日本大震災が起こった。

大都会のもろさを痛感「生きる力」を身に付けたい

東日本大震災では、当時の二人の拠点であった東京でも震度5~6を観測。住宅の損壊や工場等での火災が発生し、街には帰宅困難者が溢れかえり、スーパーやコンビニは商品の買い占めで品切れの状態が続くなど大混乱だった。

「震災の経験は色々と考え方が変わるきっかけになりました。都会では何かにつけお金を出せば誰かが作ったものを簡単に手に入れられるような生活で、『生きる』という根本的な力は皆弱い。放射能の問題も、自分たちに大きく関わってくるんだということを実感しました。自分たち自身で少しでも生きる力を身に付けたいとか、食べ物も、農薬に頼らない自然農法のものを口に入れたいというところまで、震災をきっかけに考えるようになりました。」(勝部)

二人がそんな想いを抱くなか、知人に鹿児島への移住者がいたことを知る。共通の友人からは「すごくいいところみたいだよ」との情報。場所は伊佐市だった。

「聞いたことないところだけど、ちょっと行ってみようか」

そんな「即興的」な流れで、二人は足を運んでみることにした。

Iターンを現実的なものとして考え始めた勝部さんと鹿島さん。後編では、初めての土地での住まい探しや地元の人との関係、拠点を移したことでの活動の変化についてお聞きします。

後編へ

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