プロローグ
インタビュー:泊亜希子 撮影:高比良有城 取材日:2022年
さつま町宮之城屋地。町のメインストリートにある是枝商店の朝は早い。5時半に起床し、樹さんと両親の亘さん、ひとみさんの3人で、その日売る分のいちごまんじゅうを仕込む。餅皮の米粉からあんこまで、材料はすべて自家製。もちろん、まんじゅうも一つひとつが手づくりだ。樹さんは「手はかかるけれども、この味を守るためには」当然のことと、ニッコリ。
このいちごまんじゅう、いちごが入っているわけではない。手のひらほどの丸い白餅をピンクと黄色で可愛らしく色づけし、うるち米の粒でいちごを表現したのが名の由来といわれている。皮はうるち米を練って蒸したもので、もちもち感と歯切れの良さが特長。あんこは黒砂糖を練り込み、塩をきかせる。さっぱりとした皮と塩味のきいたあんこのハーモニーが後を引き、「一度食べたら忘れられない」「また食べたい」とファンを生んできた。
いちごまんじゅうの生みの親は、樹さんの曾祖母セキさん。是枝商店の歴史は古く、創業明治31年。染めもの屋を営むかたわら、セキさんの作るまんじゅうが評判になり、菓子屋となる。それからおよそ120年、樹さんの祖母英子さん、ご両親、そして樹さんへと4世代に渡り、受け継がれてきた。「昔はこのあたりに菓子屋が3,4軒あったそうです。今はうちだけになりました。これだけの長い年月、続くお店も少ない。続けていきたい、と思いますよね」。樹さんの言葉に、家業への誇りと責任感が強くにじむ。
コロナ禍での決断
樹さんは地元の小中学校、高校で学生生活を過ごし、鹿児島市にあった専門学校の調理科に進む。卒業後、都内のパスタ専門店に就職し、料理の腕を磨いた。「イタリア研修に惹かれて就職したものの、東日本大震災があって研修は中止に。それでも知らない料理を知り、都会の流行を学べました。家族や友人に習った料理を作ってあげられたのが良かったかな」。上京して約10年間、飲食業に携わってきた樹さんだが、大きな転機を迎える。2020年早春、新型コロナウイルスにより飲食業の様相は一変。営業もままならず、先が見えない。帰省さえ難しい状況となり、「帰るなら今」との決断に至る。
「両親も心配だし、コロナもあり。自分も30歳を目前にして、節目だった」と振り返る。是枝家は三人兄弟。樹さんと4つ上の兄、2つ下の弟とで、何かあるたびに三者会談を行ってきた。「上京の時も、自分が帰るか?という時も兄弟で会談しました。飲食業、接客業をしてきたので、向いているのでは?と。気がついたら自分が跡取りになっていました」と笑う。ちなみに弟さんもパティシエとして活躍しているそうだから、血は争えない。
心をこめて。ひとつずつ手づくり
樹さんが帰郷して2年。料理の経験はあるものの菓子は初心者。「手伝いながら、少しずつ仕事をおぼえて。一番大切なあんこの仕込みを中心に、両親と作業しています」。子どものころから、祖母と両親のまんじゅう作りを見て育ってきた樹さん。「小さい時は、ばあちゃんが面倒を見てくれて。お出かけはいつもばあちゃんとでした」。その祖母が数年前に亡くなり、まんじゅう作りを両親二人だけでやるのは大変だろうと感じていた樹さん。母親のひとみさんも帰郷を願っていたという。「世の中がコロナで騒然となり、次いつ会えるかもわからないという時でした。無事に帰って来られて良かった」と、一緒に仕事ができることが何より嬉しそう。
父の亘さんは「母親とはずっと連絡を取っていたみたいだけど。男の親子は何も言いませんよ」と笑う。「一個一個、手づくりするまんじゅうで、大きく儲かる仕事ではないから。これを継いで、とは言えなかったですね」。実は亘さんが是枝商店を継いだのも30代になってから。もとは機械をいじるエンジニアだった。そんな父親を「畑違いの業界から、よく飛び込んだなと思います」と樹さん。職人としての父親、母親をどう見ているかと問われると「長く続けてきているぶん、味の誤差に敏感ですね。自分も毎日同じ状態に仕上げられるように、努力しないといけないなと感じます。何十年もの経験がある。両親が続けてきたことに尊敬します」と素直に敬意を表した。その背中を見つめながら、まんじゅう作りに勤しむ日々が続く。
「一日に300個から350個、多い時で400個くらい」仕込む、いちごまんじゅう。開店とともにお客さんが来ては、自分で食べる用にひとつふたつ、お土産に10個20個と買っていく。顔見知りのお客さんと世間話をしたり、旬の野菜や果物をあげたり、もらったり。そうこうしているうちに、朝から仕込んだまんじゅうは、早い時には午前中に完売御礼となる。確実に手に入れるなら、予約がおすすめだ。
地元のみなさんは親しみを込めて「いっごまん」「いごまん」と呼ぶ。いちごまんじゅうが縮まって、このように変化するのも鹿児島弁ならではの面白さだが、それほどにいちごまんじゅうが愛されてきた証拠でもある。「買ってくれる人、食べてくれる人、お客さんそれぞれにストーリーがあるんですよね。愛されているからこそ、続けてこられたんだと思います」と感謝する樹さん。
お葬式の時に「あっちでも食べてね、と棺に入れました」というお客さん。いちごまんじゅうをピラミッドのように積んでウェディングケーキに見立て、結婚式を挙げたというお客さん。どちらも「出席者と一緒に思い出の味を楽しみました」と喜ばれたという。この町の暮らしに寄り添ってきた是枝商店のいちごまんじゅう。今も昔も変わらぬ味で、お客さんを迎えている。
後編では樹さんのかごしま暮らし。帰郷後の心境、今後の目標についてお話を伺います。