「自然のものには自由があるアートと自身のルーツへの想い」(前編)

「自然のものには自由があるアートと自身のルーツへの想い」(後編)

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プロローグ

両親の他界をきっかけに、両親の故郷である鹿児島県南さつま市大浦町へと移り住んだ狩集広洋さん。移住して3年。拠点が大阪から鹿児島に移ったこと以外、依頼があれば国内外あちこちを訪ねて創作するという仕事のスタイルは変わらないが、大浦町をはじめ鹿児島での縁は少しずつ広く厚くなっている。

インタビュー:奥脇真由美 撮影:高比良有城 取材日:2022年2月

「自然のものには自由があるアートと自身のルーツへの想い」(前編)

地元で個展を開催

大浦町のなかでも狩集さんの両親の地元は久保集落という場所。ここには昨年12月にオープンしたばかりの『books&cafeそらまど』という古民家を再生させてできた小さなカフェがある。オーナーは『南薩の田舎暮らし』という屋号で南さつま市を中心に農業・食品加工業のほか様々なイベントを手掛けている窪壮一朗さん。

窪さんは狩集さんがちょうど移住を決めた2019年、大浦町のとなりまちにある笠沙町の笠沙美術館で自身が主催するイベント「海の見える美術館で珈琲を飲む会 Vol.6」に合わせ、狩集さんに個展開催を勧めた人物だ。出会いはその数年前。窪さんがたまたまネットで狩集さんの存在を知り、地元に多い姓だったことから周囲の人に尋ねたところ、大浦にゆかりのある人物だと分かった。そこでコンタクトを取り始めたのが今に続いているという。

「自然のものには自由があるアートと自身のルーツへの想い」(前編)

『books&caféそらまど』にて。語らう狩集さんと窪さん

窪さんも狩集さんと同じく、親の故郷に移住してきた孫ターン。狩集さんの移住を

「やっぱり人が増えると嬉しい。アーティストというのもここら辺では珍しいから、凄い嬉しかったですね」と振り返る。せっかく移住してきてくれるんだったら活躍してもらいたい。そんな想いもあり、イベントでの個展開催に誘った。

一方の狩集さんも同じころ、創作の場として笠沙美術館を使えないか、市の教育課に働きかけていたそう。二人のタイミングが合いコラボ開催が叶った同イベントで、狩集さんは美術館の壁面3面を使った4日間にわたるライブドローイング(一発描き)を披露した。

「自然のものには自由があるアートと自身のルーツへの想い」(前編)

「海の見える美術館で珈琲を飲む会 Vol.6」でのライブドローイング

アートは理由なく生まれる“表情”のようなもの

狩集さんの作品は、ラフや下書きのないまっさらなキャンバス(壁や襖、スーツケースやサーフボードなど描く場所は多彩)に、独特の線運びで一発描きするライブドローイングというスタイルが特徴。線だけで描くのでシンプルなようにも思えるが、緻密であり、また押し寄せるような不思議な迫力もある。
もともとはデザインをやっていたが、芸術家としてアートをやりたかった狩集さんにとって、デザインの仕事はストレスを抱える日々だったという。

「デザインとアートは違う。でも何が違うのかというのかは分からなくて、それは何やろうなと思っていた」

狩集さんが気づいたのは「デザインは機能しなければならない」ということ。何かに対して機能するために、「コンセプト」や「テーマ」、「カッコよさ」や「使いやすさ」といった何かしらの枠や概念が先立っているということだ。一方でアートは、

「概念や言葉より先に生まれて社会に機能するもの。頭で考えた表現というようなものよりも自然の表情。表情に理由はないから」

と狩集さんは言う。枠にとらわれず幼児が初めて描く絵がそれぞれ違うように、概念に囚われずに何も考えずに描いたものから何が生まれるのか。デザインを離れそんな試みを始めた。

「道は長いですけど、何も考えんとばーっと描こうと思って。とにかく何も考えないように、手先の感覚に神経を集中して猛スピードで線を繋いで何万枚も描いた。今だったらカフェギャラリーみたいに披露しやすい場所もあるけどその頃は無かったので、知人の居酒屋やバーやクラブで描かせてもらったり、路上で描いたり。1日8時間は描くようにしていました。それを続けていって『これ(線)何かに見えるな』と感じたものをかたちにしていったら、そのうちに一発で、線で具象表現が描けるようになったんです」

何かが生まれるかどうかも、どのくらいの時間を費やすことになるのかも分からない、実験のような試みの末にたどり着いた現在のスタイル。何の枠にもとらわれない、正解も不正解もない自由さのなかで、自らの新しい可能性に辿り着いた瞬間だった。

「自然のものには自由があるアートと自身のルーツへの想い」(前編)

アートは概念や言葉より先に理由なく生まれるもの。だからこそ、言葉では表すことのできない“凄さ”や“感動”を生むと狩集さんは言う

それから少しずつ、作品を求めてくれる人が増えていき、地に足がついてきたという狩集さん。移住後は鹿児島での縁も広がり、地元の飲食店や企業、個人宅などで描く機会も増えている。

「自然のものには自由があるアートと自身のルーツへの想い」(前編)

鹿児島市内にて。シャッターにライブドローイングする狩集さん

大浦に思うこと

両親の故郷とはいえ、それまで幼い頃に数回しか来たことがなかった大浦町。当初は親しい人も少なかったが、ルーツなだけに遠い親戚があちこちにいることが分かったり、町内会やPTAの活動なども通して地元に馴染んできている。子どもが保育園に通っていた頃には、保育園でデザインの基礎を教えたりもしたそう。そんな大浦町への想いは

「できればこのまま。自然を残すというよりは、逆に元に戻るのがいい。僕が生まれてから自然はなくなっていくばっかりで、世間ではポジティブに生きようという言葉をよく聞くけど、実際自然は逆にネガティブになっていってる。生き物も自然の木もどんどんなくなって、どんどん逆方向に行っている。それが回復に向かっていってほしい」

南さつま市には奇跡的なほど手つかずの自然が残っていると語る狩集さん。それでも狩集さんの両親が子どものころは、近くの干潟には今よりもずっとたくさんの貝が獲れていたのだという。

「今まで減ってきた貝が増えたとか、魚がどんどん増えてきたとか、自然のものが増えてくるようなまちができたらいいなと思っている。そうなれば、自然が好きな人や子どもをそういうところで育てたいという人も増えて明るくなっていくと思うんですよね。昔は高いビルが建てば子ども心によく見に行ったりしたものだけど、世界一高いビルをつくろうとか今はそういう時代じゃない。そろそろ転換期で逆になっていかなあかん時代。僕はこれからは田舎の時代だと思ってるんです」

「自然のものには自由があるアートと自身のルーツへの想い」(前編)

狩集さんの地元のお気に入りの場所・亀ヶ丘。手つかずの自然が織り成すダイナミックな景色が広がる

そんな狩集さんに、移住で大事に思うことを尋ねてみた。

「まず目的を決めること。目的が何かというのが決まっていなかったら、田舎に暮らしても都会に暮らしても一緒だと思う。それが明確に分かる人は、周りの人たちも協力してくれるだろうし、この人はこんな人だからと安心してくれるだろうし。そこがいちばん大事なこと。試しに移住してみるというのも大事だけど、やっぱり来る限りは、ある程度何をするか、どこまで自分が何をできるかというのにチャレンジしてほしい。それがあると周りにもいいつながりができて、まち自体もそういう人がいっぱい来てくれると活性化するんじゃないかな」

狩集さんの鹿児島暮らしメモ

かごしま暮らし歴は?

3年

Iターンした年齢は?

59歳

かごしまに移住した理由は?

亡くなった両親を両親の故郷である南さつま市大浦町で供養していくため。自身のルーツを子どもたちにも伝えていきたいと思ったため。自然が凄く、また身近にあり、自分のアートを追求するうえで好環境だったため

鹿児島や南さつま市で好きなところ

亀ヶ丘。人工物が全くない絶景が見渡せる。磯間岳という地元の人たちが毎年お参りする山があるんですが、そこの険しさも凄い。また南さつま市は釣りスポットとしても最高。半島なので身近にたくさんのポイントがある。

かごしま暮らしを考えている人へひと言

目的を持ち、特に若い人は自分がどこまで何ができるかチャレンジしてほしい

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