プロローグ
インタビュー:奥脇真由美 撮影:高比良有城 取材日2020年1月
見上げた露頭に、貝殻のたくさん詰まった層がある。それは、かつてここが海中にあった証だ。桜島の浦之前港から船で10分。港から北東へ約1.5kmの場所にある新島は、江戸時代・安永年間に起きた桜島の大噴火によって、海底が持ち上がり生まれた島。目の前には桜島、それも活動活発な昭和火口を望み、島内には木根の垂れ絡み合うアコウの巨木が森を成す。大地のパワーと自然の生命力をそこはかとなく感じられる島だ。
ここにはかつて小学校の分校があり、多い時には約250人の住民がいた。島の中心部にある井戸へ水汲みに行くのはたいてい子どもたちの役目だったそうで、駄菓子屋もあり、一体は社交場としてにぎわっていたという。砂浜は現在よりずっと広く、分校の運動会が賑やかに催されるほどだった。
そんな新島で生まれ育った佐々木和子さんは、分校を卒業後、鹿児島市内の中学・高校に進み、そのまま鹿児島市内で就職。結婚を機に、ご主人・直行さんの生まれ故郷である北九州市へと移り住んだ。
連絡船が無くなるかもしれない
時代の流れとともに過疎高齢化が進み、2013年、新島は無人の島となった。それから数年たったある日、和子さんのもとに、鹿児島で暮らす姉・ひろ子さんから知らせがあった。
「新島への連絡船が通わなくなるかもしれない」
新島には、無人島になったあとも行政連絡船が残されていたが、それが無くなるかもしれないというのだ。帰郷手段を失う危機を感じたひろ子さん・和子さん姉妹がまず気になったのは、島に祀られていた五社神社のことだった。
「島の神社はどうなっているだろう」
そんな想いに駆られるやいなや、「神社の花と水を替えに行こう」と島へ向かった。
新島の五社神社は桜島横山町にある月読神社の分社で、祭事の時には月読神社から宮司が島へ渡ってきて、和子さんたちの実家で着替えなどをするのが常だった。実家は祭事で使う太鼓など道具類の保管場所にもなっていたのだという。祖母や父親は日ごろから神社の世話もしており、和子さんたち姉妹も幼い頃はそれについて回っていたそうで、五社神社は姉妹にとって思い入れの強い場所だった。また父親が島を離れたあともずっと神社のことを気にかけ、最後まで自分の手で守れなかったのを悔やんでいたことも思い出された。
和子さんは5人姉妹。姉・ひろ子さんからの知らせを受け、他の姉たちもそれぞれに新島へ向かい目の当たりにしたのは、かつての道路や住宅がジャングルのようにやぶに覆われ、恐怖すら感じるほど荒れ果てた故郷だった。
広がる有志の輪
神社に花と水をあげようと降り立った故郷・新島は、鬱蒼としていて女性だけで分け入るには勇気が要り、次の訪問時には知人の男性にも用心棒として来てもらった。神社に花と水をあげにいくと、今度は帰りの船が来るまでの時間がもったいなく、「歩く道だけでも」と訪れる度にやぶを刈っていくうち、島は少しずつ明るさを取り戻していく。そんな故郷の状況を周囲に話すうち、二人の想いを応援したいと次第に協力者も増え、ついには仲間とともに五社神社を再建することに。それをきっかけに夫の直行さんも月に2,3度北九州から新島に通うようになった。
姉・ひろ子さんが中心となって立ち上げ、直行さん・和子さん夫婦もメンバーとして取り組む「NPO法人ふるさと再生プロジェクトの会」によって散策道も少しずつ整備され、島には畑も復活。「新島クルージング」と銘打った新島の自然体験ツアーも催すようになり、和子さんたち姉妹はいつしか「新島を子どもたちの体験学習の場に」という夢を思い描くようになった。
「NPO法人ふるさと再生プロジェクトの会」メンバーによってやぶが払われ、階段が作られるなど、散策道が少しずつ整備されている
想定外だった新島への移住
姉や仲間とともに故郷・新島の再生に取り組んできた直行さん・和子さん夫婦。新島に描く新たな夢に向かって、直行さんの定年後は鹿児島へ移住することを考えていた。しかし実は、新島に暮らす選択肢は全く頭になかったそうで「まさか島に住むことになるとは」と二人とも口を揃える。
新島の再生活動はボランティアであり、現実的にはお金がかかる。そのため移住先は仕事がしやすいエリアにして、定年後もアルバイトで収入を得ながら、新島へ通って故郷の再生に取り組もうと考えていたのだそうだ。
「鹿児島への移住は伊集院(日置市)とか国分(霧島市)あたりで考えていました。できるだけ(桜島の)灰が届かないところがよくて」
と笑う直行さん。火山灰どころか、桜島の噴火の様子まで目の当たりにできる新島に暮らすことになったのは、まさに想定外だったことだろう。
しかし、「新島を子どもたちの体験学習の場に」という夢は片手間ではかたちにできるものではなく、また、父親が気にしていた五社神社も、「自分たちが引き継いで守らなければ」という使命感がどこかにあった。元島民からも背中を押され、
「『もう(お金も)尽きたよね、どうしましょう』という状態だった。でもここまでやって、周りの人たちも応援してくださって、もう辞めるわけにはいかんよねと。言い出しっぺの私たちがきばらんな(がんばらなければ)いかんよねと」(和子さん)
そうして二人は、新島への移住を決意した。
―後編へ―
無人島と化した故郷への移住を決めた佐々木さん夫婦。後編では、想像を超える苦労を経験した引っ越しの様子や、これまでと違いすぎる環境での新たな暮らし、島に描く未来について話をうかがいます。