プロローグ
インタビュー:奥脇真由美 撮影:高比良有城 取材日2019年7月
初めて向き合うお茶栽培
枕崎市は妻の親の地元で、伯父・叔母が専業で茶農家をしていた。近森さんはまず伯父・叔母から茶園を分けてもらい、また伯父の紹介で農地を借りるなどしてお茶農家としてのスタートを切った。それまで農業と向き合ってきた近森さんだが、お茶の栽培は初めての経験だ。
「稲作や野菜の場合は、田植えや種まきから収穫まで1年以内に結果が出る。お茶の場合は、お茶の木が育つまでに数年かかるところがまず難しかったですね。自然な成長を手助けする稲作や野菜と違って、お茶の場合は新芽が出るとそれを摘んで、二番茶が出るとまたそれを摘む。そうやって、お茶の木にストレスを与えながら栽培していくというのも、稲作や野菜とは違うところでした」
お茶の木は、他の樹木と同様に自身を大きく育て、花を咲かせ、実をつけて子孫を残していくことが本来の姿だ。しかし、飲料のお茶として必要なのは葉の柔らかい新芽の部分であり、あえて花が咲かないように栽培していく。また、機械化の体系に合わせるために、せまい間隔に木を植え、高さも人の腰の位置くらいまでで抑える。自然の育ち方では出ない時季に新芽が出るように調節するため、季節によっては他の植物よりも虫に狙われやすくなる。そのためお茶の栽培は、これまで経験してきた稲作とは違った考えで向き合う工夫が必要だった。
お茶農家となって12年。栽培にも次第に慣れ、借り受ける茶畑の規模も広がり、お茶摘み時期には茶工場での荒茶づくり(摘んだ葉を蒸し、揉みながら乾燥させていく工程)も担当するという近森さん。茶畑で使う肥料には、地元のかつお節加工工場で出るカツオの残さや、となり町の養鶏場から買った鶏糞を活用するなど、かつての堆肥工場勤務で学んだ資源循環の考え方も、今に生かしている。
枕崎で叶えた理想の暮らし
現在は夫婦と子ども4人の6人家族で暮らしている。自宅は屋根に大きな太陽光発電機を載せ、庭先にはニワトリの住処、その奥には菜園もある。自分たちが食べる分の米や野菜は自分たちで作り、玉子も自給自足。風呂は薪風呂で、薪は地元の製材所から端材をもらってきたり、近くの森から調達したりしている。家庭から出る生ごみは、十数羽飼育しているニワトリのエサになるためゴミステーションに出すことがなく、鶏糞は肥料として菜園畑で利用。また、卵からかえったヒヨコがオスだったときは大きく育ててから鶏肉としていただく。そのとき羽をむしるのは子どもたちの担当だそうだ。
「生きる」ために自分たちでできることは、極力自分たちでやってしまおうという暮らしぶりは、青年海外協力隊時代に影響を受けたというラオスの人々のライフスタイルとも重なる。それは、長く農業と向き合い、自然との付き合い方を知り得た近森さんだからこそできる生き方のようにも思えるが、近森さんは言う。
「お茶に関しても生活に関しても、周りには先生がいっぱいいる。野菜を育てるなら近所でもやっている人がいるし、薪が欲しいときには薪に詳しい人がいて、そういう人たちに教えてもらえばいい」
その土地で長く暮らしてきた「地元住民の知恵」という宝に気づくことも、移住には大切なことかもしれない。
人生を豊かにするためにつながりを築く
「自分が住んでいるところは自分でパラダイスにしていきたい。そのためにはやっぱり周りに住んでいる人たちと一緒に街を良くしていけたらいいなと」
そう語る近森さん。移住して間もなく、市が異業種交流団体を立ち上げるためメンバーを募集しているのを知り、知り合いを広げていけたらと応募。異業種交流団体「結の会 枕崎」のメンバーとなった。農業、漁業、食品加工品販売業、製材業、飲食業、宿泊業、印刷業、IT関連など、集まった有志は14名。応募者の第1号だった近森さんが会長を務めることになった。
結の会では異業種間の交流促進のほか、新製品の開発・販路開拓、枕崎市街地の通り会連合会など他団体との連携などで地域を盛り上げ、会員数も最終的には23名まで増えた。団体としての活動は8年ほどで終了したが、今でも当時の仲間とは、一緒にワークショップを開催したり、ご当地グルメの食材提供で関わったりと、違うカタチでつながりが続いている。
「枕崎は多様な人材がバランス良く揃っている」という近森さん。横のつながりを太くして生かせば、まだまだ活性化すると感じている。また、外国からの研修生も増えている昨今、まち全体で国際感覚を身に付けていくことも必要と考えている。
自らの経験を伝える活動も
農業や、地域を元気にすること以外にもう一つ、大切にしている活動がある。小中高校で行う出張授業だ。小学校を中心に、年間4~5校ほど回り、青年海外協力隊時代の体験を伝えている。
「自分がラオスで感じたことを子どもたちに伝えたいですし、子どもたちの世界観も広がってほしい」
自分の経験が、次世代を担う子どもたちの肥やしになればと願い活動する姿にも、どこか「あるものを生かす」精神が垣間見える近森さん。
「出張授業で県内のいろんな場所を訪ねることができ、私自身“かごしまライフ”を満喫しています」
そんな今現在の活動や経験も、また次の何かに「循環」していくのだろう。
近森章さんの鹿児島暮らしメモ
かごしま暮らし歴は?
12年
Iターンした年齢は?
36歳
Iターンの決め手は?
親戚がいたこと。就農できる環境があったこと
暮らしている地域の好きなところ
行政との距離感も近く、必要なことが手の届く範囲でできる、まちのコンパクトさ。
住民どうしの「おたがいさま」の精神。稲わらをあげた農家から、数か月後に野菜をもらったり、お茶をあげた農家からみかんをもらったりという、ゆる~い物々交換の経済循環。生活を豊かにするうえで助かっています。
かごしま暮らしを考える同世代へひとこと
地域の活動にも積極的に参加してつながりを築いていくと、より暮らしも豊かになるのかなと思います。