枕崎で、茶農家になり叶えた理想の暮らし

鹿児島県、枕崎市で、茶農家になり叶えた理想の暮らし (前編)

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プロローグ

鹿児島若い頃から憧れを抱いてきた“農業に携わる暮らし”を、妻の縁の土地・枕崎市で叶えた近森章さん。「あるものを生かす」という無駄のない暮らしぶりや「住んでいるところは自分でパラダイスにしていきたい」と前向きに人脈を築いていく姿勢が印象的だ。
そんな今の暮らしにつながっているのが、青年海外協力隊としてラオスで活動した経験、そして堆肥工場に勤務していた時に感銘を受けた資源循環の考え方だ。移住のいきさつと今の暮らしについて話を聞いた。

インタビュー:奥脇真由美 撮影:高比良有城 取材日2019年7月

薩摩半島の南端に位置する枕崎市は、古くからカツオ漁の基地として栄え、生産量日本一を誇るかつお節で有名なまち。鹿児島県民にとっても、「カツオ」や「港町」というイメージが強い枕崎だが、市の北部は緑豊かで農業も盛んだ。特にお茶は枕崎市で生産される農産物のなかでも突出した生産額を誇る特産品。近森さんはそんな枕崎市の北部に位置する駒水町に12年前に移住し、お茶農家を営んでいる。もともとは神奈川県出身。父親は自動車部品製造の技術者で農業には縁がなく、山や茶畑に囲まれた現在の環境とは全く異なる横浜市のベッドタウンで育った。

自然を相手に生きる人たちへの憧れ

若い頃から農業への憧れを抱いていた近森さん。農業や自然というものに魅力を感じたのは、父親の転勤で福島に暮らした時。田んぼで稲を刈り取った後の稲株を踏んで遊んだ想い出が、今もずっと心に残っている。大学時代には自転車で、そんな想い出の地・福島をはじめ日本中を旅し、林業や漁業、農業など、自然相手の仕事を生業にしている人々との出会いを楽しんだ。旅の中で感じたのは、彼らが持ち合わせていた、自然とともに生きるための知恵やスキルへの憧れだ。

「あるとき林業を営むお宅にお世話になったことがあって、雨が降ってたんですよ。自分だったら乾いた木でもなかなか火をつけられないのに、その方たちは、雨でもこの木なら火を起こせるというのが分かっていて、そういう木を選んでたき火を始めた。それがすごくかっこよかったですね」

自分もこんな環境で生きてみたい…そんな想いを募らせた近森さん。当時、大学では機械工学を学んでいたが、なんとか自然に近い仕事に就きたいと、農業機械メーカーに就職する。実際に田畑に接する機会を得るため、機械の製造ではなく外回りの営業を希望。主に田植え前に田んぼを整地する代かき機の営業だったが、次第に「稲作について一から学ぶべき」と感じ、入社して2年後、岩手県の農業大学校で学ぶことを決意した。全寮制で2年間みっちり水稲や畑作を学ぶと、今度は栃木にあるNPO法人・民間稲作研究所で、さらに農薬や化学肥料を使わない環境保全型農業について知識を深める。「環境保全型にこだわったというよりも、自分の身の回りにあるものを上手に生かして作物を育てるとか、自然の循環を意識しながら作物を育てるということに興味が沸いた」と当時を振り返る。

「生き方」に影響を受けたラオスでの経験

ケーン(ラオスの民族楽器)を奏でる近森さん

ケーン(ラオスの民族楽器)を奏でる近森さん

稲作の研究後は青年海外協力隊としてラオスへと渡った。東南アジアは大学時代の卒業旅行で訪れて以来数年に一度足を運んでいた場所であり、自分が学んだことを生かしてこの地域に貢献できたらという想いがあった。ラオスでは農業アドバイザーとして、日本の合鴨農法を取り入れた稲作の普及に取り組む一方で、自身も地元民のライフスタイルに影響を受けるところが大きかったという。

「ラオスで出会った人たちは、ほとんど皆が自給自足の生活。稲作だけでなく、家畜の世話も漁もこなすし、家も服も自分たちで作る。ある一つの分野にプロフェッショナルであることが評価されがちな日本とは違って、『生活』という一つの括りの中にいろんな作業を抱え、皆がすべてのことを当たり前のようにこなしていた。自分にとってはそれがとてもバランスよく思えたし、そういう生活に憧れましたね」

ラオスで農業アドバイザーとして活動していた頃

ラオスで農業アドバイザーとして活動していた頃

募る「就農」への想い

そんなラオスでの日々を経て、再び栃木へ戻った近森さんは、農業大学校時代に出会ったちひろさんと結婚し、民間稲作研究所勤務時代に関わりがあった堆肥工場に就職。そこは「ゴミを宝に」をモットーに、生ゴミ等の有機物を堆肥化し地元農家に提供、その堆肥で育てた農産物を学校給食に取り入れてもらうなど、自治体や地域を巻き込んで自然循環システムの構築に取り組んでいる会社だった。そのモットーや取り組みに感銘を受け入社した近森さんだったが、一方では就農への想いも募らせていた。しかし近森さん夫婦にとって栃木は血縁も地縁もない土地。農地を得るのはなかなか難しかった。同じ頃、妻のちひろさんに新しい命が宿ったことが分かり、就農の夢を叶えること、そして新しい命とともに暮らす家族の生活を考えたとき、選択肢として浮上したのが、妻の伯父・叔母が暮らす枕崎市への移住だった。

―後編へ―

就農への想いを募らせ、妻の親戚が暮らす枕崎市への移住を決意した近森さん。後編では、枕崎での暮らしや地元の人たちとの活動についてお話をうかがいます。

近森章さんの鹿児島暮らしメモ

かごしま暮らし歴は?

12年

Iターンした年齢は?

36歳

Iターンの決め手は?

親戚がいたこと。就農できる環境があったこと

暮らしている地域の好きなところ

行政との距離感も近く、必要なことが手の届く範囲でできる、まちのコンパクトさ。
住民どうしの「おたがいさま」の精神。稲わらをあげた農家から、数か月後に野菜をもらったり、お茶をあげた農家からみかんをもらったりという、ゆる~い物々交換の経済循環。生活を豊かにするうえで助かっています。

かごしま暮らしを考える同世代へひとこと

地域の活動にも積極的に参加してつながりを築いていくと、より暮らしも豊かになるのかなと思います。

後編へ

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