海に囲まれた日本には、大小問わずさまざまな離島が点在し、それぞれに独自の文化や風土がある。特に鹿児島県は離島人口15万9486人、離島面積約2485平方キロメートル、有人離島数26(※1)という全国でも有数の離島県だ。
茨城県出身の伊藤佳代さんは、旅行で訪れた屋久島に魅了され、30代で移住を決意。旅館、燻製店勤務を経て、島で唯一の女性漁師になった。高校卒業以来、ずっとやりたいことをやってきて、屋久島でようやく天職に出会えたと話す。未知なる土地で、自分らしい仕事を得るまでの軌跡を明かした。
(※1)パンフレット・かごしまの島々(鹿児島県企画部離島振興課・鹿児島県離島振興協議会発行)より抜粋
コラム:里山 真紀 撮影:高比良 有城 2018年8月取材
多様な自然と人が共生する世界自然遺産の島・屋久島
鹿児島市から南へ約135kmの洋上に浮かぶ屋久島。周囲約130kmのほぼ円形の島で、九州最高峰の宮之浦岳(標高1936m)を主峰として1000m以上の高峰が連座し、「洋上アルプス」とも呼ばれている。
海岸部の平地から中央部の山岳地帯までの標高差が大きいことから、亜熱帯から冷温帯までの気候と植生を有しているのも特徴の一つ。特に樹齢数千年に及ぶ屋久杉などの世界的にも貴重な自然が残っており、平成5年、日本で初めて世界自然遺産に登録された。
そんな屋久島には、「集落」という暮らしの基本的な単位が継承されている。それぞれの集落独自の文化、習慣が残っており、行事なども集落単位で行なわれる。
伊藤さんの仕事の拠点があるのは、島の東部に位置する安房(あんぼう)集落。屋久島の南の玄関口・安房港と、トビウオ漁獲量日本一を誇る安房漁港があることから、観光の拠点となる宿泊施設や飲食店が点在し、役所や金融機関などの公共施設も整備されているので、島の中でも生活がしやすい地区だ。
暮らすように旅して、募らせた移住への思い
南国特有の日差しが自然を色濃く映し出す8月某日、夕暮れが近づく安房漁港に一艘の船が戻ってきた。伊藤さんが乗る一本釣り漁船・ひゆき丸だ。船長の指示を受けながら岸壁に船を寄せる伊藤さんの表情は真剣そのもの。停泊し、エンジンを切ると、テキパキと片付けを終え、笑顔で船を降りた。
茨城県出身の伊藤さんが初めて屋久島を訪れたのは2009年。料理人として屋久島の宿で働いていたお姉さんに会いたいと、旅行を兼ねてやって来たのだ。「もともと山が好きで、当時はいわゆる山ガールだったんです」と笑う。
約1ヶ月の滞在中は、宮之浦岳に登ったり、白谷雲水峡で清流のせせらぎと森林浴を楽しんだりしながら、お姉さんの知人が経営していた安房の居酒屋を手伝うこともあった。
「山・川・海と自然がすべて揃っているところに魅了されて、ここに住みたいという気持ちが湧いてきました。また、宿泊していたのは姉が働いていた宿だったんですが、そこがとても素敵で。私もここの一員になれたらいいなと思ったんです」
家族のサポートで叶えた屋久島移住
お姉さんと一緒に宿で働きながら、屋久島で暮らすイメージができた。しかし、宿の人員は足りていて、すぐに働くことはできなかった。後ろ髪を引かれながらも、泣く泣く茨城に帰ったが、移住への思いは募るばかり。1年後に再びお姉さんを頼って屋久島を訪れた。
「その時にやっぱりここに住みたいと言ったら、その後しばらくして姉が“一緒に宿で働かない?”と声をかけてくれたんです」
移住を願う妹の熱意を受けとめたお姉さんが、宿の人員に空きが出たタイミングを見計らって、段取りをつけてくれたのだ。
「2人姉妹が2人とも屋久島に行ってしまうことは、茨城の両親としては寂しい思いもあったと思います。でも、うちの両親は昔から“好きなことをやっていいよ”と言ってくれていたので、理解して快く送り出してくれました」
こうして念願だった屋久島移住を決断した伊藤さんだったが、引っ越し直前に大きなアクシデントに見舞われた。2011年3月11日、東日本大震災。引っ越し予定日の5日前のことだった。
「実家のある茨城県北部で、震度5強の地震がありました。それでライフラインが1週間止まってしまって。両親のことが心配だという気持ちもあり、このまま移住していいものかと迷ったりもしましたが、仕事も決まっていたので、結局1ヶ月延期して4月に屋久島へ行くことにしました」
予想だにしなかった大震災を体験してなおも、屋久島に住みたいという思いを貫いた。
天職を求め、転職。山ガール、海へ向かう
移住1年目。宿に住み込みで働きながら、さまざまな仕事を覚えた。そして3年が経った頃、自ら宿での仕事に区切りをつけた。接客業にどうしても完全に馴染みきれない自分がいた。
次は何をしようかと考えていたら、屋久島で知り合った友人から燻製屋で働いてみないかと誘われた。当時は魚をさばくことはできなかったが、魚を食べることは好きだったし、燻製もまた好きだった。そこで誘われるままに働き始めた。結果的にこの選択が漁師への第一歩になった。
「その燻製屋さんの看板商品がトビウオの燻製だったんです。最初はトビウオをさばくだけだったのですが、社長が昔、トビウオ漁の乗り子をしていたつながりで、船の水揚げの手伝いも頼まれるようになりました。ちょうど“このトビウオはどうやって獲れるんだろう”と興味が湧いてきた頃だったので、船長に“今度船に乗せてください”って頼んでみたんです」
初めてのトビウオ漁体験。それが伊藤さんの転機になった。
◎続く〈中編〉では、トビウオ漁を体験した伊藤さんが天職をつかむまでの過程にフォーカス。屋久島の海の魅力もたっぷりとお伝えします。