生まれ育った島と牛たちのために生きる(前編)

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プロローグ

鹿児島市の鹿児島本港から、十島村の7つの有人島、そして奄美大島名瀬港を結ぶ、十島村村営船「フェリーとしま2」。鹿児島港を出発して約6時間後、最初に到着するのが十島村・最北にある口之島だ。

最も盛んな産業は畜産業で、広い放牧場があり、のびのびと草を喰む牛たちの姿を見ることができる。今回話を伺った肥後あすかさんも口之島で畜産農家を営むひとり。生まれ故郷へUターンし、家業を継いだ。そのきっかけと仕事への思いを聞いた。

インタビュー:瀬戸口奈央 撮影:高比良有城 取材日:2023年

島の北部にあるフリイ岳山頂からの眺め。晴れた日には屋久島や三島村も望むことができる

小さな頃から牛は友達

「あんなー、まりー、つぼみー、ひろみー、まみー…」

放牧場には毎日肥後さんが牛たちの名前を呼ぶ声が響き渡る。世話をする親牛約30頭全てに名前をつけており、牛たちもその声に応え、やってくる。「牛には一頭一頭に個体識別番号というのがあります。人間でいうマイナンバーカードみたいなものです。番号で識別している方がほとんどだと思いますけど、わたしはすべての牛の顔を見分けて名前で呼んでいます」

放牧場の牛たち一頭一頭に語りかけながら体調チェックをする

肥後さんは口之島で畜産農家を営む両親のもと、生まれ育った。「私は傷ついたり、辛いことがあっても、あまり人に言わず、気づかれないようなタイプ。でも、ずっと小さい頃から世話してきた牛は、辛いことがあった時には寄ってきて、ただじっとそばにいてくれて。同級生がいなかったこともあって、小さい頃から牛が友達みたいな存在でした」

牛たちと心通わせてきた思い出と、そんな牛たちを育てる両親の背中を見て育った肥後さんは、小さい頃からずっと牛に関わる仕事がしたいと心に決めていたといいます。

畜産農家になるために学びたい

十島村内には高校がなく、ほとんどの子どもが高校進学をきっかけに故郷の島を離れる。肥後さんは畜産について学びたいと、鹿児島本土のいちき串木野市にある市来農芸高校に進学。島を離れ、学生寮で3年間を過ごした。さらに、鹿児島大学農学部に進み、飼料米の分野を研究。卒業後は、薩摩川内市にあるJA鹿児島県経済連の東郷肉用牛繁殖実験センターに勤め、お産や交配など、より実践的な技術・知識を学んだ。

「働いて1年ちょっと経った頃。父親から“体調を崩してしまった。お母さんひとりでは厳しいので、島に帰って家の牧場を手伝ってくれないか”と相談されました。私がこっちで畜産のことを勉強しているのも理解してくれていたし、普段そういうことを言う父親ではなかったので。まだまだ勉強したい気持ちもありましたが、これは戻って私がやらなくちゃと思いました」

畜産業において安定した繁殖には人による管理が不可欠。その人工授精などを扱うためには、獣医師免許か、家畜人工授精師免許がなくてはならない。退職し、すぐに家畜人工授精師免許を取得する準備を始め、無事に試験をクリア。資格取得の後、口之島へ戻った。

「ひとりでやっていくためにも、あと、島でいま免許を持っている人たちもどんどん高齢になっていくから、絶対に自分が資格をとって帰りたいと思った。牛の世話が始まってからでは、島から講習を受けに行ったり、勉強する時間もないと思ったので、島へ帰るまでに取れてよかった」

標高約501m横岳山頂にある展望所も絶景スポット。島内最高峰の前岳が目の前にそびえ立つ

目指すのは、牛にとって幸せな環境づくり

26歳で口之島に戻り、畜産農家としての生活が始まった。
「お産のシーズンは朝5時に牛舎に来て、親牛の餌やりを8時ごろまでやって。そのあとに哺育牛舎の体調管理、放牧場の牛の餌やり・ダニ駆除などします。お昼は14時ごろには牛舎で餌やり、哺育牛舎の清掃など。夕方は親牛のための青草を切りに畑に行きます。競りの前は牛を磨く作業もあります」
子どもの頃から親の仕事を見てきたこと、そして、学校や職場で実践的に学んできたこともあり、スムーズに仕事に入っていくことができた。

実際に牛たちと向き合う中で、肥後さんが一番大事にしているのは、動物の幸せと清潔な環境づくり。
「牛はいずれ肉になってしまうのだけど、生きている間は牛たちに幸せを感じてもらいたい。そういう農家でありたいと思います」

牛たちが清潔で快適に過ごせる環境を整える

変わっていくもの、変わらないもの

いつかは戻ってきたいと思っていた故郷の島。いざ島民として再び生活が始まってみると、気付く島の変化があった。「やっぱり、高齢化はどんどん進んでいるなぁとすごく感じました。いま、島内には同世代はいなくて、8つほど上の先輩世代が数人Uターンで戻ってきていますが、その上の世代はもう60代、70代以上。だから率先していろんな役割もしなくちゃと思っていろいろやっています」

貴重な若者世代として、農業委員、畜産組合副組合長、ふるさとづくり委員会、消防団など、あらゆる役員を兼務している。

一方、時を経ても変わらないものもある。

「島の魅力は、時間を感じさせない島の空気。手つかずの自然があって。春はタケノコを採ったり、夏は貝を獲ったり。牛飼いは365日休みなしですが、ちょっとした隙間時間に、自然の中でその季節ごとの楽しみがあるのは、この島の好きなところです。都会で時間に追われて疲れている人には、こんな島の自然とか動物とか、ぜひ体験してみてほしいなと思いますね」

生命力あふれる大きなガジュマルの木

島北端のセリ岬の東にある赤瀬。人気の釣りポイント

後編では、働く場所・生活する場所として口之島が抱える課題と、この環境でしか味わうことのできない魅力について、お聞きしていきます。

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