プロローグ
鹿児島市の中心部から北へ約40kmに位置する霧島市。2005年に国分、溝辺、横川、牧園、霧島、隼人、福山の7地域が合併し誕生した。面積は県の市町村では2位の大きさ、人口は鹿児島市に次ぐ規模を誇る。国分と隼人は商業施設やホテルなどが立ち並ぶ比較的賑やかな市街地で、その他は、霊峰・高千穂峰など霧島連山を望む山間の地域で田園や茶畑が広がる長閑な場所だ。清水さんご夫妻は移住後1年で霧島の中山間部に霧島市の山間部移住手当(ふるさと創生移住定住促進制度)を利用して新しく家を建てた。
霧島は奥様の美希さんの故郷であり、ご主人の大将さんは埼玉県出身。しかし意外にも鹿児島への移住を積極的に先導したのは大将さんのほうだった。ご夫妻がU・Iターンするまでの経緯はどのようなものだったのか。今回は隼人にある大将さんの職場でお話をうかがった。
インタビュー:今田 志野 撮影:高比良 有城 取材日2018年12月
東京で忙しく働いていたクリエイター夫婦
二人の出会いの地は東京である。当時それぞれ東京に住んでいて、大将さんはウェブ制作会社でウェブデザイナーを、美希さんはパッケージデザインなどを手掛ける会社でデザイナーやイラストレーターをしていた。結婚が決まり、美希さんのご両親へ挨拶をしに大将さんは生まれて初めて鹿児島を訪れる。それが2012年頃のことだ。その時、大将さんはお義父さんに観光に連れて行ってもらった。鹿児島空港のある溝辺から、鹿児島市まで車を走らせ桜島フェリー乗り場へ行き、フェリーで錦江湾を渡って桜島まで行って、そこからまた溝辺へ帰るというルートだったが、大将さんはここで鹿児島に魅せられる。
豊かな自然と、あたたかな家庭に惹かれて
「溝辺から車で走っている時に桜島が見えてきて、ドーンと噴煙を上げて噴火したんです。それがすごく衝撃的だったんですが、お義父さんも妻も平然としていて。こんなにすごいことが鹿児島の人にとっては日常なんだと思うと感動して『いいな』って思ったんです」海と山がある自然豊かな環境、ゆったりと流れる時間。それらは大将さんの故郷・埼玉の風景にも似ていた。そして漠然と「いつかは鹿児島に住みたい」と思ったという。また埼玉で育ったこともあり、海のある町で暮らすことに憧れもあったのだそうだ。美希さんには二人の妻子あるお兄さんがいる。それから大将さんが鹿児島を訪れるたびに皆が集まってくれ、お正月には家族全員でワイワイとおせち料理を食べて過ごした。大将さんにも兄弟がいるが静かな家庭環境だったという。美希さんの実家の賑やかな雰囲気もまた大将さんを鹿児島へと引き寄せる一つの要因となった。
都会での子育てを想像できなかった
その後も東京で忙しく働く日々を過ごしていたご夫妻。いつかは鹿児島に...、ぼんやりと描いていた夢が大将さんにとって現実味を帯びてくる。そのきっかけは2015年の第一子の誕生だった。ご夫妻はこの頃から「都会での子育てを想像できないね」という話をお互いにしていたというが、美希さんによると妊娠中までご主人から移住の話は全く出なかったそうだ。子供の顔を見たら移住したいという気持ちがグッと強くなったのだろうと美希さんは語る。しかし当時まだ美希さんはご主人の移住の意思に半信半疑だった。
鹿児島での職場がすんなりと決まる
「最初はただ言ってるだけでしょって思ってました(笑)。そうしたら主人から、もう鹿児島での職場を決めてきたって言われて。事前に相談もなかったので、いつから住むの、私の仕事はどうしようって。当時私は東京の会社で育休を取得中だったんです」と美希さんは当時を振り返る。第一子の女の子が生まれてから、鹿児島での職探しを東京にいながら少しずつ始めた大将さん。ウェブ制作の仕事を続けたく調べてみるとウェブ制作会社はやはり鹿児島市に多かった。「海も山も近くて、妻の実家も空港も近い。やはり働くのも住むのも霧島市内しかないと思っていました」と大将さん。霧島市限定で探していたところ、現在も務める「株式会社ブレイブ」のデザイナー募集にたどり着く。地方には希望通りの仕事が見つかりにくいと考える人も多いだろう。しかし大将さんの場合はトントン拍子で事が進み、すぐに就職が決まった。
ところで、自身の故郷に移住する選択肢はなかったのかと大将さんに聞くと「全くなかった」という。移住するなら新天地が良かったのだとか。美希さんのご両親は大将さんの親御さんのことを案じていたそうだが、大将さんのご両親は「自分たちの好きなところに住みなさい」と鹿児島行きに賛成してくれたとのこと。ご夫妻の東京の同僚や友人たちも移住を応援してくれた。「大きな決断をしたね」と言われたそうだが、ご夫妻にとってはそれほど大きな決断という意識はなかったという。美希さんも自分の故郷ということもあり抵抗はなかった。そうしてついに赤ちゃんを連れて鹿児島にやって来た。美希さんの産後5ヶ月の頃、東京での育休を途中放棄してのことだった。「ちょっと、もったいなかったかな」と美希さんはあっけらかんと笑う。現在、娘さんは3歳。さらに第二子ももう1歳になる。取材中、子供たちは美希さんと大将さんの間できゃっきゃっと元気に笑っていた。
< 後編 >では、霧島市の「ふるさと創生移住定住促進制度」で家を新築したご夫妻の霧島での暮らしやお仕事についてご紹介します。