いちき串木野の人々とのご縁を感じながら、幸せな暮らし方を模索していく(後編)

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プロローグ

山梨県から、いちき串木野市初の地域おこし協力隊としてやって来た小林さん。3年の任期を終えた現在は、同市で編集者・ライターとして活動しながら、市と共に地域おこし活動に従事している。
小林さんが協力隊の任期中から続けている代表的な仕事に「ALUHI(アルヒ)」というフリーペーパーの制作がある。いちき串木野市の魅力を生活者目線で紹介する冊子だ。このALUHIの第1号は小林さんが任期2年目に取り掛かり約4か月の時間を掛けて発行した。任期終了後も小林さんは制作を継続し、現在は3号目の発刊を目前に控えている。後編では、このALUHI誕生の経緯とそこから繋がっていった出会い、そして任期終了後の活動とこれからの展望について、「僕は運が良かった」と語る小林さんのお話を珈琲堂ジャマイカでコーヒーを飲みながら伺った。

インタビュー:今田 志野 撮影:高比良 有城 取材日2020年2月

地域の出会いの中で、新たなタウン誌を生み出す


いちき串木野市の地域おこし協力隊として2年目を迎えた2017年、移住を促す市のパンフレットを作るという話が持ち上がり、小林さんはその制作を担うこととなった。ここから小林さんの任期中の代表的な仕事のひとつとなった冊子「ALUHI(アルヒ)」の制作が始まるのである。

そもそも小林さんには編集や印刷といった出版に関するノウハウはなく、編集者としてもライターとしても全くの初心者だったそうだ。ところが結果的に第1号は「日本タウン誌・フリーペーパー大賞2018」で、無数にある全国のタウン誌とフリーペーパーの中から「ReaderStore賞」最優秀賞、「自治体PR部門」優秀賞のふたつの賞を受賞する。B5サイズで20ページ以上にも及ぶ冊子を、初心者の小林さんがどのようにして作り上げたのか。これに関しても「すごく運が良かった」と小林さんは語る。

ある時、街で小林さんは鹿児島の情報が掲載されている「Judd.」というフリーペーパーを手に取る。鹿児島市内で制作されているこの冊子は鹿児島のデザイン業界や印刷業界では名の知れた存在で、東京在住で大手出版社出身の有名編集者が編集長となりワークショップ形式で制作された回が過去3回あった。ALUHIが誕生する少し前に、ちょうどこのワークショップが行われることを知り小林さんも参加した。そこで、小林さんは1冊の冊子を作る流れを知ることができた。ワークショップでは、いちき串木野市の造船所を取材し初めて記事を書いたところ編集長からものすごくダメ出しをされるかと思いきや、意外とそこまではなかった。この仕事は自分に合っていて楽しいと思えた。

記事の執筆を含めや冊子の制作を一度経験し、自身でも冊子を作れるかもしれないと考えていた時、いちき串木野出身で木村伊兵衛写真賞の受賞経歴を持つ女性写真家から、同じいちき串木野出身で東京で活動するグラフィックデザイナーを紹介された。これでデザインもできる、写真も撮れる、そして市の予算もあると条件が揃い、小林さんはいよいよ動き出すのである。

通常の移住促進パンフレットとは一線を画す内容


市から依頼されていたのは移住を促すパンフレットの制作であるが、そこに例えば移住した夫婦のインタビュー記事などを載せるのは「違う」と小林さんは思った。

「移住すると決めている人にとっては移住者のインタビューは良い情報だけど、鹿児島にちょっと行ってみたいなという人に対してはハードルが高い気がしました。いちき串木野市の名前すら知らない人がいっぱいいるから、まずはそういう人たちがちょっと行きたいなと思うきっかけになるものを作りたいと考えて、移住促進パンフレットを作ると言っておきながら、中身は観光情報に近い内容にしようと思ったんです」タイトルのALUHIは日本語の「ある日」のようでもあるが、ギリシャ語で「始まり」という意味もあるという。いちき串木野市への興味のきっかけ、誰かの何かの「始まり」となればいいという思いも込めた。

第1号のテーマは「コーヒー」である。実はいちき串木野市は鹿児島のコーヒー文化発祥の地とも言われる。小林さんによると港町のこの地には外国航路のお土産としてコーヒー豆が持込まれ、県内でも早くからコーヒー文化が根付いていったのだとか。以前は同市内にたくさんあったという自家焙煎の喫茶店は現在は3軒のみだという。全国から人が訪れるジャズ喫茶の名店「パラゴン」、温泉施設の3代目がUターンして始めた「SHIRAHAMA COFFEE STAND」、そして今回のインタビュー場所となった「珈琲堂ジャマイカ」。ジャマイカは1975年に串木野で最初にできた自家焙煎珈琲専門店という老舗だ。小林さんとジャマイカとの関係はこのALUHIの取材から始まったのである。

いちき串木野をはじめとした鹿児島の人たちで大部分を作れたこと、この制作を通して交友関係はいちき串木野市にとどまらず鹿児島全域、はたまた県外にまで広がったことが良かったと語る。
「僕は本当に友達が欲しかったんです。いちき串木野だけじゃなく県内の他の地域の人とも友達になりたかったから自分から会いに行ったり。仕事を通して友達をつくりにいろいろなところへ出歩いていましたね」

意外にも市内の人からの反響が大きかった


この街はコーヒー文化をはじめ、人材も素材も豊富で何でも揃っている街だと小林さんは言う。しかし山梨の人が富士山に驚かないのと同じで、地元の人は「何もない」と言いがちだそうだ。
「だから外から来た僕が、この街のここが魅力だよって伝えることも大事だと、ALUHI第1号を発刊して分かりました。当初は県外の人に向けて作ったつもりでしたが、市内の人の反応が意外に大きくて、ジャマイカさんも近隣に住んでいても行ったことがなかったと言う人がしました。結構みんな地元の知らないことが多かったんだな、外から来た人の気づきが内部に大きく響くことがあるんだなって実感しました。掲載されているお店に地元の人が行ってみようって、ALUHIをきっかけにもっと自分の町に興味を持ってくれたら嬉しいです」

こうして市内の人々からも好評を得たALUHI。2号目でもいちき串木野の人々に手に取ってもらいたいとの思いも強くなり、串木野の名物である「つけあげ(さつまあげ)」というストレートなテーマにした。協力隊として最後の年となる任期3年目はこの2号目の制作を中心に行い、2019年4月の任期が終了した直後に2号目は発刊になった。制作中は4月から無職になるという悲しい気持ちを抱えながらもそれを考える暇がなかったが、制作がひと段落した時、改めて「仕事がない」と落ち込むことになる。しかし任期を終えても山梨に帰ることは考えなかった。

いちき串木野を去る理由がなかった

いちき串木野市は鉄道も高速道路も通っていて、鹿児島市内までの交通の便も良い。海も山もあって暮らしやすい。だから小林さんはいちき串木野を出ていく理由がなかったと言う。
「これもまた運がいいことに」と小林さんは振り返る。任期終了と同時に空き家を貸してくれる人が見つかり、生活に関して不自由はなく、後は仕事を探すだけだから「どうにかなる」と思ったそうだ。
「みんな優しいし、何となく鹿児島だったら生きていけそうだなって思って(笑)。市役所内でも市役所外でも応援してくれる人がいるし、大和桜酒造の杜氏さんも協力してくれるし、そういう人たちがいるからこの町にいようと思いました」

冠岳芸術文化村構想の中心メンバーとして

任期を終えてからは就職の話もあったがフリーランスの道を選び、市と地元の会社とチームとなって移住支援と地域おこし活動、編集者・ライターとしての仕事をしている。ALUHIも市の事業費から予算が出ることになり、引き続き小林さんが中心となって制作を行なっている。もうすぐ3号目が発刊される。いま、小林さんは新しいテーマとして市の関係人口創出事業に携わっている。関係人口とは、移住した「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない、地域や地域の人々と多様に関わる人々のこと。いちき串木野市では「冠岳」という自然豊かな山の周辺エリアに関係人口の人々が地元の人々と一緒に集える環境を作ろうと整備。そうした動きに注目してもらうため3号目は「冠岳」をテーマにしている。温泉など県外の人にも自信を持ってお勧めできるスポットから、地元の人も気づかないようなスポットをピックアップした、市内の人も市外の人も楽しめる内容になっているという。事業の一環として「冠岳芸術文化村構想」も始まった。小林さんはその中心メンバーとしても活動する。

「この構想は観光資源というよりは、市内の人たちが楽しく暮らしていくために、生活にちょっと芸術を添えるというような発想。このくらいゆるい方が地元で暮らす人々に無理がないのかなと思っています。打ち上げ花火的な盛り上げ方もいいけど、僕としては線香花火みたいに息の長い持続可能なことをやっていけたらと思います。外から人を呼び込むことより、地域の人の幸せ度がどうしたらアップするのかが重要ですから」
小林さんは地域おこし協力隊の任期を終えてた最近になって、やっと地域おこし協力隊らしい活動をしている気がすると語る。協力隊の任期は3年と定められているが、それでは足りないと感じているそうだ。

小林さんにこのままいちき串木野市に住み続けるのかと問うと、長期的な目標は故郷の山梨と鹿児島の二拠点を行き来する生活だと答えた。山梨で仕事もして、また鹿児島に戻ってくる。それぞれの場所で何かを得て、他の場所で活かしていくというのが理想だそうだ。まさに関係人口として山梨と鹿児島を繋ぐ存在ということになる。当面の目標は、現在携わる冠岳エリアの事業をカタチにすること。そして鹿児島市にも拠点を作りたいとのこと。

「僕は鹿児島に来て人との良いご縁の中で生かされている感じがしています。鹿児島の人がいなかったら、今の環境に自分は存在していないのでありがたいです。本当に運が良かったです」

小林さんの鹿児島暮らしメモ

かごしま暮らし歴は?

4年目です。

Iターンした年齢は?

36才。

U•I•Jターンの決め手は?

地域おこし協力隊の採用が決まり、死なない程度のお金をもらえると思ったから。

暮らしている地域の好きなところ

いちき串木野市含め鹿児島の人たちの寛容な人柄が好きです。 あと、海の無い山梨出身なので、海に囲まれている鹿児島にはテンションが上がります。

かごしま暮らしを考える同世代へひとこと!

一度来て、鹿児島の人たちと触れ合ってみてから、移住を考えてみても遅くはないと思います。 鹿児島は広いので鹿児島の中でもどのエリアにするのかをじっくり考える時間があるといいと思います。 僕で力になれることがあれば協力します!


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