1953(昭和28)年2月4日未明に鹿児島県沖永良部島の知名町屋子母(やこも)沖で沈没した旅客船「新生丸」(18・5トン)の犠牲者慰霊祭が4日、同集落の慰霊碑前で執り行われた。地域住民ら16人が参列し、犠牲者の冥福を祈った。
知名町誌などによると、新生丸は定員51人を上回る82人を乗せて沖縄県那覇市から知名町小米港へ向けて航行中、高波を受けて沈没。生存者は2人で、乗員乗客80人が死亡・行方不明となった。当時、奄美群島は米軍統治下にあり、船には出稼ぎ先の沖縄から旧正月に合わせて帰省する人らが多く乗船していたとされている。
屋子母集落は、事故から60年の2013年から毎年同日に慰霊祭を開催。14年には、島民や出身者の協力、寄付を得て集落内の越之山神社境内に慰霊碑を建立した。
この日、参列者は午前6時に集合。沈没現場とされる方向を向いて黙とうをささげた後、慰霊碑前で焼香し手を合わせた。
青木経二区長(70)は「だんだん事故の記憶が薄れていく中だが、節目の年には遺族、関係者にも声を掛けながら今後も続けていきたい」と話した。
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慰霊碑に手を合わせる参列者=4日、知名町屋子母