武家屋敷群で営みを ツリーハウスで憩いを薩摩川内、入来町で生きる術を創る<前編>

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40.7%。この数字は、東京都在住者で、今後移住する予定または移住を検討したいと思っている人の割合だ。2014年に国が東京在住の18歳から69歳までの男女を対象に行ったインターネット調査(※1)によるもので、特に30代以下の若年層と50代の男性の移住に対する意識が高い。

実際に50代で移住を選択し、第二の人生を満喫している人がいる。鹿児島県薩摩川内市入来町に暮らす中川功さんと宮原郁さんは、ともに東京生まれ。
千葉県からIターンして七年目、二人三脚で農業と飲食業を営みながら、中川さんはツリーハウスの手作りにも取り組む。自分たちの居場所を見つめ直した2人に、その暮らし、仕事、生き方について聞いた。

※1 内閣官房 まち・ひと・しごと創生本部「東京在住者の今後の移住に関する意向調査」(2014(平成26)年9月公表)

コラム:里山 真紀 撮影:高比良 有城 2018年8月取材

 

中世・近世の街並みと武家屋敷が残る薩摩川内市入来町

見どころは街並みすべて 入来麓武家屋敷群に暮らす

鹿児島県の北西部に位置する薩摩川内市入来町は、三方を小高い山々に囲まれた盆地にある静かな町。700年の歴史を持つという入来温泉と国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている入来麓武家屋敷群など、多くの史跡があり、温泉と歴史の町として知られている。

中世から近世の遺構と、山・川・田などの自然が一体となった、ノスタルジックな景観が広がるのは入来麓武家屋敷群。屋敷は今も民家として使われ、美しい玉石垣や生け垣が往時をしのばせる。

玉石垣と生け垣で区切られた武家屋敷の街並み

玉石垣と生け垣で区切られた武家屋敷の街並み

通りを散策していると、武家門の下にはためくのれんが見えた。武家屋敷を改装した店内で、日本料理のランチとカフェメニューを提供する「武家茶房Monjo」だ。

主に料理は中川さん、スイーツと接客は宮原さんが担当している。人気メニューは、繊細な味付けと盛り付けを松花堂スタイルで味わえる御膳。入来産の掛け干し米や無肥料無農薬で育てた野菜、自家飼育の有精卵など、こだわりの食材がたっぷりと盛り込まれている。

季節替わりの重箱に、茶碗蒸し、サラダ、漬物、味噌汁、デザート、自家焙煎珈琲がつく“おごじょ御膳”

都会に生きる経営者から 田舎に生きる開拓者へ

かつては東京の老舗料亭で料理人として腕をふるっていた中川さん。10年間の修業後、「店のおやじになるか、社長になるか」と悩んだ末に、事業家を志し、30歳で弁当店を開業した。その後、順調に事業を拡大したが、40代になると都会暮らしに少しずつ違和感を感じ始め、地方への移住を考えるようになったという。

「もともと自然が好きでしたが、とは言っても山奥で仙人暮らしをしようということではなくて、里山暮らしですよね。でも、そうすると商売は辞めなきゃいけないから、どこで整理できるかを考えていました」

一方、宮原さんはOLを経て、千葉県で小さなカフェを開業。ところが、店舗が長屋にあったため、近隣の焼肉店の火災で延焼するという不幸に見舞われた。念願だったカフェを突然失った宮原さんに、救いの手を差し伸べたのが中川さん。

「彼の仕事を手伝うようになった経緯で、徐々に親しくなり、のちにパートナーとして一緒に暮らすようになりました」

もともと半農半X(自給規模の農業と生きがいとなる仕事=Xを両立した生活のあり方)のライフスタイルに憧れていた宮原さんも移住には賛成だった。そこで、中川さんは55歳になったのを機に商売をたたみ、移住の準備に取りかかった。新天地での暮らしを夢見て、じっくりと取り組んだのは家探しだ。

当初は信州の安曇野市や和歌山県が候補に挙がったが、信州は雪が多く農業をできる時期が限られること、和歌山は親戚が多くしがらみを感じてしまうことが気になった。他にどこかいいところはないかと探していた時に、宮原さんの目に止まったのが鹿児島だった。

「ちょうどテレビで種子島の移住促進活動が紹介されていました。それで一度種子島を見てきたいとわがままを言って一人で出かけたんですが、前後に鹿児島市にも泊まってみたところ、すごく良かったんです」

第一印象が良かったとはいえ、第二の人生を踏み出す地をそう簡単には決められない。さらに九州地区にエリアを絞り、情報収集を続ける中で、不動産屋から紹介されたのが入来町の家だった。

「“入来は雪がほとんど降らないんです”と言われたので、調べてみると、山奥ではなく、集落もある。何よりも武家屋敷群の中というのが、雰囲気が良さそうで気に入りました」(中川)

すると、タイミングよくテレビで入来の特集が放送されていた。

「温泉もいっぱいあっていいですよ、と紹介されていたので、一度見に行ってみようかということになったんです」(中川)

2人が初めて入来町を訪れたのは、2011年9月。東日本大震災を経験し、移住への思いが加速している頃だった。

「やはり人間は動物として地球上に生きているので、人工物の多い都会にいると、それだけで毒されていく、壊されてくような気がしていました。そういう意味でも田舎っていいなって思ったんです。木のエネルギーとか、山のエネルギーとか」(中川)

ここなら、経済的なことだけを必死に追いかけることなく、思い描いた暮らしができる。そう考えた2人は、初訪問から半年後の2012年3月に住宅を購入。そして、2012年6月に満を持して千葉県から入来町に移住してきた。

パラグライダーの発信基地を備える「愛宕ビスタパーク」からは町内を一望できる

DIYの精神で 心地いい居場所を築く

希望に胸を膨らませてスタートした新生活は、順風満帆とはいかなかった。購入後、3カ月間もほったらかしだった家がメンテナンスを要する状態になっていたのだ。

「まず、庭に僕たちの背丈よりも高い草がぼうぼうと生えていて、それをかき分けて玄関にたどり着きました。室内へ入ると、今度は雨漏りしていて。屋根を見ると瓦が一枚壊れていたんです。それで次の日に草刈機とはしごを買ってきて。庭の草を刈って、燃やすことから始めました。次に屋根に登って瓦を修理して、水に濡れた天井も張り替えて、壁も変えました」(中川)

初日にして感じた移住生活への不安を吹き飛ばしてくれたのは、地域の人々の温かさだった。自治会の歓迎会には40名以上が集まり、2人を笑顔で迎え入れてくれたという。

「“ずんばいたもいやんせ(たくさん食べてください)”と言われて、何が始まるのかと思いました」(中川)

生まれて初めて聞く鹿児島弁に戸惑ったのも、今ではいい思い出だ。

◎続く〈中編〉では、畑の開墾から始めた農業のエピソードを中心に、自ら生業を創り出してきた6年間の歩みをご紹介。地に足をつけた、かごしま暮らしのヒントが満載です!

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