大隅半島の特殊なエネルギーを感じながら、曽於市から価値ある「食」を発信していく(後編)

投稿日:2019年3月20日 更新日:


プロローグ

曽於市の庭先で平飼いされる鶏の有精卵をマイナス1℃の環境において美味しさを引き出した「氷温熟成なま卵」と、その卵を原材料にした「陸の孤島マヨネーズ」を通信販売する川原さん(50歳)。それら商品は、養鶏方法も氷温熟成という発想も珍しく、その品質の高さからたびたびメディアにも取り上げられている。
後半では、鹿児島に移住後「土や自然、食を数珠繋ぎにしたようなソリューションビジネス」を思いついた川原さんが、どのような道をたどって現在に行き着いたのか伺った。

川原さんが運営するサテライツ株式会社のホームページ
http://satellitesinc.jp/
インタビュー:今田 志野 撮影:高比良 有城 取材日2019年2月

山奥で平飼いの自然養鶏を始める


川原さんは、鹿児島県で農業系ベンチャーを起業し、鹿屋から曽於郡大崎町に1年、そこから志布志市1年と移り住んでいった。

その間、微生物を活用した土壌改良剤の販売を始め、大隅半島の各農家に営業して回っていたが、農家の人々と接していく中で自分でも何か生み出さないといけないと思うようになり、養鶏を始めることにした。それが2010年の夏のことである。曽於市の山奥の広々とした養豚場の跡地を借り、荒れ果てていた場所をひと夏かけて廃材を活用し、自分の力で鶏舎を建てた。そこで平飼いの自然養鶏を始める。最初は鶏肉を売り始めた。朝に鶏を山に放して夜に小屋に戻すという中で、周囲のそこら中にある草や虫などをついばむ鶏たちは良質の肉になったという。川原さんは毎日のように自ら鶏をさばき鶏肉を顧客へ発送した。この鶏肉販売の事業は軌道に乗ったが、ある時からその仕事ができなくなってしまう。

顧客に販売するために必ず通る工程。鶏をさばくために命をいただく。そういう作業を毎日しているうち、夜寝ている時に悪夢を見るようになったそうだ。

「当時ずっとそばにいた愛犬を、鶏と間違えて殺してしまう、そういう夢を毎日見るようになったんです。これは辛い、もう鶏をさばくのは無理だと思いました」鶏肉販売をやめた川原さんは、仕方なくそこから現在の事業の礎となる鶏卵の販売を開始することにする。最初は道の駅などで販売したが、多くの売れ残りを「やけ食いしたり、廃棄したりしていた」という。卵が全く売れない日々。やけになっている時、鹿屋の商工会議所の紹介である人物に出会う。食品加工の世界で著名なその人は、川原さんにマヨネーズの製造をすすめた。

「卵は賞味期限が2週間だけど、その卵でマヨネーズをつくれば賞味期限が6ヶ月に伸びるから、その卵の価値をより広く届けることができる。だからマヨネーズをつくったらいいよって言われたんです」

2012年に、このひと声から現在の主力商品「陸の孤島マヨネーズ」が生まれることになる。その人物の協力を得て、原材料を吟味し半年ほどかけて開発した。原材料にこだわったため価格は市販のものに比べて高価にならざるを得なかったが、その分美味しいのはもちろん、安全で身体に良く好評を得た。

そして鶏肉販売をやめて以来、また事業が徐々に成り立ち始めていく。それまでは志布志市から曽於市の養鶏場に通っていたが、マヨネーズの製造が始まると曽於市に住居も移し、本格的に拠点を置いた。

地域のいろいろな家の庭先で生まれる卵が商品になる


マヨネーズの販売が順調に進み出した頃、悩まされていたのは野生動物による鶏への被害である。どう対策を講じても、自分の養鶏場の鶏たちは次々とイタチやタヌキに食べられていく。そこで考えたのが、現在も川原さんが行っている庭先養鶏という養鶏方法であった。

庭先養鶏はかつて日本の農村ではどこの家でも行っていた方法で、昔は家で食べる卵を家の周りの空き地などで放し飼いにして自給していた。鹿児島の農村にもそうやって鶏を飼っていた背景がある。川原さんは自分の養鶏場1箇所だけで卵を生産するのではなく養鶏場を分散させるという発想で、地域のいくつかの家で庭先養鶏をやってもらうことを考えた。

現在、周辺の7軒の家の庭先で平飼いされる鶏の卵を、商品として通信販売している。川原さんのオフィスの周りでも40羽の鶏が平飼いされていて、それらの卵も商品となる。オフィスの向かいに住む人は毎日のように餌を持ってきて、鶏の世話してくれるそうだ。まさに地域一帯がすべて養鶏場で、地域のみんなで卵を生産している感覚でいると川原さんは語る。このように民家の庭先で生み出された卵を通信販売しているのは全国でも川原さんの会社だけだとか。

自然豊かな山の中の民家で、旬の野菜などを食べながら庭先を自由に動き回っている鶏の有精卵。それだけでも美味しいだろうと想像できるが、さらにその卵を氷温熟成しているというのが、川原さんが売る卵のもうひとつの特徴である。マイナス1℃という氷温の中で貯蔵することで熟成され卵の栄養価と旨味がより引き出されるそうだ。

先述のマヨネーズもこの卵が使われている。卵もマヨネーズも、現在では注文に対し生産が追いつかないほど人気となった。メディアにも度々取り上げられ、その度に注文が殺到するという。

ルーレットがたまたまこの地に止まった

「移住するということに、どういう価値観を持っているか」そんな話になった時、川原さんから興味深い話が返ってきた。

川原さんは、いわゆる“田舎の暮らし”をしたくて鹿児島に来たのではないという。そもそも鹿児島で暮らす予定も、起業する予定もなかった。スーツケースを持って動いている途中、そんな感じがずっと続いているのだそうだ。今はシンプルに仕事をするためにここにいるのだという。

「バーッと回っているルーレットがたまたまこの地に止まったようなものです。ルーレットが止まったこの場所が自分の場所なんだ、この地でやるべき事をきちんと立ち上げるんだ、そう決めたんです。卵の販売を仕事にしたのも目の前に卵があったから、それを一生懸命やろうっていう感じなんです」
自分の意思で選んだのではなく「そこに引き寄せられただけ」と川原さんは語った。

「でも、卵もこの土地も偶然に行き着いたものだけれど、それらは追求するに値するものだった。それはすごくラッキーだったと思います」

川原さんは「早い話が、場所はどこでも同じ」と言った。しかしそれは決してこの地に愛着がないというドライな姿勢ではない。他に良い場所があれば、そこへ移るかと問われれば「それはない」という。川原さんのオフィスのそばにある自宅の裏には共同墓地がある。「30年後くらいにそこの共同墓地に自分が埋まっていることをイメージして、この地で暮らしている」と語る。土地に根ざすことを強く意識するわけでもないが、この地を終の住処にして骨を埋めるイメージもある。

矛盾するようなふたつの思いを持って暮らしているこの状況を、誰にでも分かるように説明するのは難しいだろう。そこには、おそらくごく個人的で複雑な思いが伴っているからだ。しかしこういう複雑さに移住者のリアルを感じさせられた。

曽於市の卵の価値を広く発信して、地域の人に恩返ししたい

「この地で仕事を成立させることについては、まだもがいている最中です。曽於市の僕の周りの人にもまだ恩返しできていない。ここでのコミュニティを強化しながら庭先養鶏などの価値を都会と共有していったり、もっとできるはずです。僕が今やろうとしていることがちゃんと成り立っていけば、恐らく少しは周りの人に何か恩返しできるはず。それを目指しています」

現在、取扱う商品は鶏卵とマヨネーズを主としているが、今後はプリンの販売も始めるほか、卵かけご飯を充実させるスパイスやダシなども開発していく予定だという。顧客に愛されるような商品を発信しながら、鶏卵を提供してくれる地元の人をはじめ、いろいろな人たちと良い関係を築いていきたいと、展望を語ってくれた。
手の平にのる小さな鶏卵、その殻の中は宇宙のようだと川原さんはいう。曽於市の山の中の庭先から無限に広がるその価値をどのような形で世に伝えていってくれるのか、今後も期待したい。

川原さんの鹿児島暮らしメモ

かごしま暮らし歴は?

13年目です。

U•I•Jターンした年齢は?

37才。

U•I•Jターンの決め手は?

きっかけは父の病気。その後、農業系ベンチャーを起業するにあたり、この地がベストだと感じた。

暮らしている地域の好きなところ

人々の途轍もないおおらかさ。動物や人の生と死が暮らしの身近にあること。

移住を考えている同世代へひとこと

その土地でしっかり歯車が合うまでは時間がかかると思いますが、地域の良いところを見ながら、忍耐を持って「自分は自分でいる」ということが大事だと思います。移住を考えているなら、まずは現場へ行ってみてください。

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