プロローグ
インタビュー:奥脇真由美 撮影:高比良有城 取材日:2021年3月
地域の理解と応援を得て
道に迷いこの場所を見つけたという神園さん。山手から下ってきたとき、モミジの巨木やスギの木立ちの中にひっそりとたたずむ石蔵が目に入ったという。奥を覗いてみると馬小屋のような建物もあった。
「小屋の方はもう朽ちていたと言ってもおかしくない状態でした。瓦は落ち、シロアリに食われ、家は傾いている、雨漏りはするという状態だったんですが、建築の経験があったので、プロの手も借りながら自分で解体したり板を張ったりしました。何よりいちばん惹かれたのはこの環境。小屋は朽ちていても何とかなるんじゃないかという想いがありました」
この場所に惚れ込み工房を構えることを決意して、まずは公民館長をはじめ地域の人たちにここで染色をやりたいということを伝えた。しかし
「まず周りの人が思うのは、赤とか黄色とか化学薬品の染料。それが土壌に流れ出すんじゃないかということ。ここら辺の土地はお米がすごくおいしいんです。山から湧き出る天然水で作る米なので。だからそんな染色をされては困るということで(反対を受けたので)皆さんに集まってもらって」
神園さんは自らが手掛ける藍染への誤解を解くため、地域の人々を集め丁寧に説明した。
化学薬品を一切使わない天然の染色であること、排水を流しても水中の生物が死ぬことはないこと、環境に優しく、染色の役目を果たすと畑に撒く肥料になること…。
当時の想いを尋ねると
「もうやるしかなかった。もう進んでいるから。やっぱり覚悟が必要。その(目標を実現する)ためにはどんな壁があってもクリアしていくという想いがあるから、だめだと言われたら何回も話をしに行く、そんな想いでしたね」
説明の甲斐あって誤解は解け、励ましとともに受け入れてもらえたという。
「『それならがんばりなさい』と受け入れてもらえた。『地域の活性化のためならお貸しします』と喜んで頂いて。そういった人たちに巡り会えてようやく叶った。本当に感謝しかないですし、恩返ししたいという想いもあります」
藍に寄り添い伝統を守る
朽ちかけていた小屋は工房に、石蔵は藍染作品の展示販売を行うギャラリーに生まれ変わり、昨年(2020年)2月、ようやく藍染屋オープンに至った。工房の床には6つの大きな甕壺が埋め込まれていて、それぞれに時期を違えて藍が仕込んである。微生物の力を借りて発酵する藍は発酵の具合が違うと染まり方も違う。繊細な藍の状態を、神園さんは見た目や匂い、櫂で撹拌したときのひっかかり具合、時には舌でも確かめる。
「仕込んだ時がいちばんパワーがあって、1回布をくぐらせただけでも染まりがいい。今ここに仕込んでいる藍は、人間の年齢で言えば20代、40代、80代。80代は元気がないけれど、ちゃんとした管理をすると若い藍では決して出せないきれいな薄い色を出してくれます」
藍に元気がないときは、焼酎や生絞りの日本酒を“飲ませて”あげるのだそうだ。そうやって日々藍に寄り添い健康状態を管理する。
そんな天然灰汁発酵建の藍の魅力について尋ねると
「それはもちろん色。インド藍だとかジーパンを染める合成インディゴといった藍もあるが、それは石油などを原料とした藍。ここで作っているのは、日本で採れる天然のものを原料にして染めたものなので全くの別物」
と自負する。天然灰汁発酵建の藍は生き物であり、それを活かす人の技術があって生まれる色。深淵な中にも光をまとったような奥深い味わいが生まれる。染める回数を重ねると色が強くなるだけでなく、生地も強くなるそうだ。
また、服飾や染色の世界も今は持続可能なものづくりが求められているという。
「昔はこの伝統的な染色技術も、日本の開国後入ってきたインド藍や合成インディゴといったものに押されて忘れ去られたような時代があったけれど、今は持続可能ということが重視されて、こういった自然のもの、環境に優しいものが求められる流れがある。そういう意味では逆に最先端の染色技術だと思います」
藍染の文化で地域も元気に
これからの目標は、藍染の文化を鹿児島に拓いていくこと。そして技術の伝承だという。
「せっかく自分が持った技術を、次の世代にバトンタッチしないといけない。南さつまで拓いた藍染の文化をバトンタッチした人たちが、その先海外で展開したり勝負してほしいなという想いはあります」
そのためには、まず藍染を知ってもらうこと。藍染屋では、藍の管理と作品の展示販売、そして藍染体験もしている。神園さんも惚れ込んだ自然豊かなこの場所での藍染体験は好評で、藍染をしたあとお弁当を食べたり昼寝をしたりと、長時間のんびり過ごして帰る人も少なくないそうだ。
「ここら辺は宝物といった感じがする。自然豊かだし、鳥のさえずりはするし、夜は星がきれい、近くに海はある、川では蛍が見られる、お米も野菜も何もかもおいしい。本当にジブリみたいな世界」
と神園さん。金峰町の自然、そして何より理解を示してくれた地域の人たちに感謝する。そしてそんな地域への恩返しとして、また藍を広く知ってもらうため、藍染屋を交流の場にしていくことも目論む。
「まずここに来てもらうこと。人が来だしたら周り(地域)の人も巻き込んで、煮しめとかおにぎりとか作ってもらって来訪者をもてなしたい。もてなすことで、地元の人にとってはお孫さんにお小遣いをあげられる程度の収入が得られればいいし、来てくれた人たちには喜んでもらえたらいい。ステージもあるので、小さな音楽会だったり、たいまつを焚いたり、そんなイベントも開いて人が集まる場所になったらいいなと思います。」
神園さんのかごしま暮らしメモ
かごしま暮らし歴は?
8年
Iターンした年齢は?
54歳
Iターンの決め手は?
鹿児島に親族がいたこと。鹿児島が藍染に適した環境だったこと。鹿児島に藍の文化を拓きたいと思った。
南さつま市の好きなところ
藍染屋のあるこの集落。自然が豊かでお米も野菜もおいしい。理解ある地域の人たちも、何もかもが宝物のような場所。
かごしま暮らしを考える同世代へひとこと!
鹿児島は自然と人が魅力。行政自体が移住を応援していて、自分の場合は移住にあたって公民館長さんがすごく相談に乗ってくれました。おそらく鹿児島はどこに行ってもそういう方がいて、相談しやすい環境なのではないかと思います。