出撃前の遺書など寄贈 伊仙町=特攻隊員・樺島氏の親族、「悲劇繰り返されぬよう」

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 太平洋戦争中、亀津国民学校教員から陸軍に入り、特攻隊員として出撃、戦死した伊仙村(現鹿児島県伊仙町)出身の樺島資彦(すけひこ)氏の遺品が24日、伊仙町に寄贈された。出撃前に記した遺書や書簡などを寄贈した親族の樺島裕子さん(57)=伊仙町=は戦後80年を迎え、「二度とこのような悲劇が繰り返されることがないよう、一人でも多くの人に知ってもらい活用してほしい」と話している。

 樺島氏は1920年、伊仙村伊仙の出身。亀津国民学校の教員となった後、陸軍特攻第78振武隊の指揮官となり、県本土の知覧飛行場から出撃。沖縄海域で敵艦に突入し、25歳で亡くなった。

 寄贈されたのは樺島氏の書簡や出撃前にしたためた巻紙の遺書、写真が貼られた直筆のノート、国民学校教育の方針をまとめた「学級経営案」など複数点。

寄贈された樺島資彦氏の資料(手前)と、感謝状を受け取った樺島裕子さん(左)=24日、伊仙町歴史民俗資料館

 寄贈した裕子さんにとって樺島氏は大叔父に当たり、遺品は長年、裕子さん宅に保管されていた。6年前、東京で特攻隊の舞台を上演していた女優の池田恵理さんが徳之島を訪れた際に樺島氏の遺品が開示され、昨年から池田さんが靖国神社で遺書の解読に取り組んでいた。

 遺書には「行ク日マデ」と書かれた忠誠心や樺島氏の死生観、責任についての心構えが記されており、9月13~15日、前里屋敷(伊仙町阿権)で開かれる展示会で展示する他、同15日に同所であるトークイベントで解説する予定。

 寄贈に伴い伊仙町の幸田順一郎教育長から感謝状を受け取った裕子さんは「多くの方に見て感じ取っていただきたい」と話し、同町町誌編纂(へんさん)室の松岡由紀室長は「資彦さんから受け継いだ大切なバトンを、世代を超えて若い世代へもつなげたい」と語った。

 

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