奄美市教育委員会は5月28日付で、鹿児島県同市住用町青久集落にある「青久の防波壁」を文化財指定した。1950~55年にかけて建築された高さ2・5~2・8メートル、総延長278メートルに及ぶ巨大な石垣。市教委文化財課の喜友名正弥学芸員は「米軍占領統治時代に実施された公共事業の構築物で、現在の護岸の先駆けとも言える。現存する同様の建築物は他にほとんど認められず、貴重な構造物」としている。
防波壁は、青久集落の浜から採れる丸石を積み重ねて台形状に造られている。幅は上面が1・6~1・8メートル、底面が3・6~3・7メートル。地元では防波壁全体を指して「テンバ」と呼んでいる。
青久集落は高潮による農作物被害に長年悩まされ続けた歴史があり、米軍統治下の1950年に、公共事業として海岸の防波壁建設事業が開始された。奄美群島日本復帰(53年)を挟んで5年間にわたり工事が実施され、55年3月に完成した。
記録によると、工事に従事した人は青久集落や市集落、龍郷村(現龍郷町)の住民など延べ8180人に及んだとされる。旧住用村の指定文化財だったが、奄美市の文化財指定はこれまで受けていなかった。
青久には、同集落で生まれ育った森山キミ子さん(93)が今も一人、「青久の灯」を守り暮らしている。長男の森山繁敏さん(70)は「自分たちの生活を守るため、シマンチュ(集落の住民)の力を結集し完成させたところに価値があると思う。米軍統治下に工事が始まり今も残る青久の防波壁を、多くの人に見て、知ってもらえたら」と話した。
市文化財課によると、市文化財の指定は2013年10月に「名瀬小学校敷地内の石段」を指定して以来、10年半ぶり。奄美市文化財は青久の防波壁を含め40件となった。