冒険心を駆り立てる海や山 手付かずの自然が残る 父親のふる里へ(前編)

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プロローグ

人口減少や高齢化が著しく進む地域に、地域外の人材を自治体の委嘱職員として誘致し、地域協力活動に従事してもらいながら定住・定着を図ろうと設けられた「地域おこし協力隊」。実施自治体数31、隊員数89名からスタートしたこの取り組みは、9年目となった昨年、実施自治体数997、隊員数は4830名へと広がり、そのおよそ6割が定住につながっているという()

4年前、鹿児島県は大隅半島の中核都市・鹿屋市ではじめての地域おこし協力隊の一人として就任した繁昌孝充さんもまた、任期終了後、定住を選んだ一人だ。

総務省「平成29年度地域おこし協力隊の定住状況等に係る調査結果」より

鹿児島県の大隅半島には、かつて「日本一海に近い学校」と言われていた小学校があった。鹿屋市立菅原小学校。校庭から浜辺へ下りられ、キラキラと水面輝く海が目の前に広がるロケーションは開放感に溢れ、その素晴らしい立地から映画のロケ地にもなった。平成25年に閉校し120年という長い歴史に幕を下ろしたが、風光明媚な魅力ある立地は観光資源として大きな可能性を秘めているとして、鹿屋市は閉校後、新たに活用策を募集。そして今年の6月、様々な体験プログラムで大隅半島の大自然に親しめる宿泊施設「ユクサおおすみ海の学校」として、ふたたび「開校」した。繁昌さんは現在、そこでマネージャーを務め、シーカヤックやSUPのインストラクターもしている。

旧鹿屋市立菅原小学校。学び舎の面影を色濃く残したまま、宿泊施設「ユクサおおすみ海の学校」として再活用されている

自らのルーツである土地へ地域おこし隊として孫ターン

 神奈川県相模原市で生まれ育った繁昌さん。地域おこし協力隊として鹿屋市に来たそもそもの理由は、祖父母がこの土地に暮らしていたことにある。いわゆる「孫ターン」だ。小さい頃は毎年夏休みやお正月に遊びに来て、祖父母の手伝いで牛のお世話をしたり、海水浴場に連れて行ってもらったりと鹿屋の自然のなかで過ごし、馴染みのある場所だった。中高生の頃からしばらく足が遠のくなか、7年前、可愛がってくれた祖父が他界。一人残された祖母が心配だったこともあり、祖父が亡くなった翌年の法事の時に、鹿屋に1か月ほど滞在した。短期間の「かごしま暮らし」を体験し、色々と考えるなかで、「ここに住んでみたい」という想いが沸いてきたという。鹿屋市の地域おこし協力隊募集の情報を家族が見つけてきたのは、ちょうどそんな時だった。

気持ちの赴くままに応募した繁昌さんは、平成24年に鹿屋市の地域おこし協力隊に就任。高隈地区を担当することになった。鹿屋市の北側に位置する高隈地区は、1000m級の山々が連なる高隈山地の麓に広がる地域だ。鹿屋に馴染みがあるとはいえ、首都圏で生まれ育った繁昌さんにとって、自然溢れる田舎での暮らしは馴染みにくくはなかったのだろうか。

「神奈川でもけっこう田舎の方に住んでいましたし、前職は森林組合で山梨県の山奥に暮らしていたので、そこに比べたら、鹿屋は便利なまちと感じていましたね」

山梨県での森林組合時代には、ふだん人が入らないような山に分け入って木を伐採するなどの仕事をしていた繁昌さん。山地に近い高隈という場所には当初から親しみを感じており、地域の方の受け入れ態勢もあたたかく、新たな環境に慣れるのに時間はかからなかったようだ。

経験を生かし地域活性化に一役

地域おこし協力隊として課せられた仕事は主に、300年前から続く高隈地区の代表的な神事「かぎ引き祭り」をはじめ、地域の行事やイベント等を地元の人たちと一緒に盛り上げること。舞台メイクの経験もあった繁昌さんは、第一線で活躍しているプロのメイクアップアーティストを招いてフェイスペイントの講習を開き、地域の子どもたちで特殊メイクをして鹿屋市の祭りに参加する企画でイベントを盛り上げたり、森林組合や木工家具製作にも携わっていた経験を生かし、木材の活用や木製品の製作を行ったりと、独自の取り組みにも力を注いだ。

地域おこし協力隊3年目の9月には、これまで遭遇したことがないような強烈な暴風雨を経験。台風16号の上陸に見舞われた。このとき大隅半島では橋が流されたり家屋が倒壊したりと甚大な被害が出て、高隈地区も河川が氾濫し大量の流木が発生した。繁昌さんは、それらの流木を活用し、北欧式の焚火・スウェーデントーチを「タカクマトーチ」として製作・販売。撤去と同時に活用することで、地域に貢献した。

 

「海の師匠」に出会い鹿児島の海に惚れ込む

地域おこし協力隊として精力的に活動する一方で、「海の師匠」とも言える人物との運命的な出会いもあった。鹿児島を中心に、各地でシーカヤックや登山の講座やツアーなどを企画運営している「かごしまカヤックス」の野元尚巳さんだ。大隅半島の南端・南大隅町でのカヤックガイド養成講座へ参加し出会ったのをきっかけに、桜島や本土最南端の佐多岬周辺、薩摩半島の長崎鼻周辺など鹿児島のあちこちの海へ連れて行ってもらった。

「鹿児島には桜島という象徴的な活火山があって、煙を吹いている姿を海抜ゼロメートルから見上げたときに、日本で、鹿児島で、こんな景色が見られるんだ、とすごく感動して。ほかの場所も、それぞれに特徴的な景色が広がっているのに感動しましたね。もともとは山が好きで、前職や高隈でも山に関わることが多かったんですけど、野元さんに出会って、鹿児島の海にすごく魅力を感じるようになりました」

そんな「海の師匠」との出会い、そして鹿児島の海に魅せられた経験が、その後の仕事や人生の大切な糧となる。

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続く<後編>では、地域おこし協力隊後の仕事や鹿屋での暮らし、繁昌さんが感じている鹿児島の魅力をさらに紹介。気負わず暮らし続ける移住のヒントも探ります。

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