犠牲者を追悼、平和へ祈り 「対馬丸」遺族らが慰霊祭 生存者の髙良さん参列 宇検村船越海岸

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 太平洋戦争中、多くの学童を乗せて沖縄を出港した後、鹿児島県のトカラ列島近海で米潜水艦により撃沈された疎開船「対馬丸」の犠牲者を悼む慰霊祭が8日、奄美大島・宇検村宇検の船越(ふのし)海岸であった。対馬丸記念館(沖縄県那覇市)を運営する対馬丸記念会主催。同会役員や生存者、遺族、同村関係者ら計約100人が参列し、慰霊碑を前に犠牲者を追悼、平和への祈りをささげた。

 対馬丸は1944年8月21日、国民学校の児童や一般疎開者ら約1800人を乗せ、那覇港から長崎に向けて出港した。翌22日、トカラ列島の悪石島沖で米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受けて撃沈。判明しているだけで集団疎開の学童784人を含む1484人が犠牲となった。

 奄美大島の大和村、宇検村、瀬戸内町の海岸には遺体や生存者が流れ着き、住民が埋葬や救護に当たった。特に多くの犠牲者が漂着したという宇検集落では、史実を後世へ残そうと、村の協力も得て2017年に慰霊碑を建立した。

 慰霊祭では、参加者の中で唯一の生存者である同会の髙良政勝代表理事(85)が「生存者、遺族でこの地を訪れ、慰霊碑を前に手を合わせることができることに深く感謝。犠牲となられた方々のみ霊の安らかでありますように」と追悼の言葉を述べた。
 元山公知村長と同集落の津田政俊区長の弔辞に続き、つしま丸児童合唱団と琉球古典音楽愛好会「五(い)つ餘(よ)の会」が合唱と音楽を奉納した後、参列者が慰霊碑に献花した。

慰霊碑に献花する参列者=8日、宇検村宇検

 慰霊祭の前には海岸で手を合わせる遺族らの姿も。祖母のきょうだい2人が犠牲になった那覇市の照屋有植希さん(35)は初めての来島で「やっとお迎えに来られた。(事件については)対馬丸記念館や母から聞いていたが、慰霊祭を通して身近な先祖が乗った船が撃沈されたことを実感した。こうした悲劇が二度と起きてほしくない」と話した。

海岸で手を合わせる生存者の髙良政勝代表理事=8日、宇検村宇検

 慰霊祭は、内閣府の補助を受け実施。同村湯湾の元気の出る館で村民との交流会もあった。参加者の一部は11日に、悪石島で慰霊祭を行う予定だという。

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