多くの尊い命を奪った阪神大震災から1月17日で29年。能登半島地震は1月1日の発生から2週間余りが経過したが、いまだ多くの行方不明者がおり、捜索が続いている。記録をひも解くと、鹿児島県奄美群島でも人や住家の被害、津波を伴う大きな地震が過去に発生しており、防災業務に携わる行政担当者らは「本土で起きている震災は、奄美にとっても対岸の火事ではない」と口をそろえる。
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名瀬測候所の記録によると、奄美近海で20世紀以降発生した被害を伴う地震は12件。うち1911年に奄美大島近海で発生した地震はマグニチュード8・0。17世紀以降、南西諸島周辺で発生した地震では最大規模とされる。
名瀬測候所で震度6に相当する揺れを観測。喜界町誌によると、被害が大きかった喜界島では、住家の全壊が401戸、半壊が533戸。1人が亡くなり、9人が負傷した。伝承などから最大波高は10メートルと推定されている。
95年10月18日には奄美大島近海でマグニチュード6・9の地震が発生。喜界島では震度5を観測し、1人がけがをしたほか、7カ所で崖崩れ、91カ所で石垣が崩れた。広い範囲で津波が観測され、喜界島では津波の遡上(そじょう)高が約2・7メートルに達したと推定されている。翌19日にも、ほとんど同規模の地震が立て続けに発生した。
また、60年のチリ地震で発生し、奄美も襲った津波では死者、けが人はなかったが、旧名瀬市と笠利村(当時)で床上・床下浸水被害が1800戸余りあったとされる。
当時、本紙は「海岸に面した住家や事務所は高さ1メートルを超す濁流に洗われ、名瀬海上保安部や本町通りは一面どす黒い海に囲まれ、あふれた川が激しく逆流した」などと報じている。そのことを裏付ける写真も名瀬測候所に資料として保管されている。
県が14年2月にまとめた地震等災害被害予測調査結果では、奄美群島太平洋沖(北部)を震源とするマグニチュード8クラス、最大震度7(喜界島)の地震を想定している。
被害想定の最大ケースとして、冬の深夜の発生で奄美大島5市町村では死者370人。地震による液状化や揺れ、土砂崩れ、津波、火災などによる建物被害は全壊1790戸、半壊5130戸と推定されている。
名瀬測候所地域防災官の阿見隆之さん(48)は「国土がプレートの上に位置する日本では、どこにいようと、今回の能登半島クラスの地震は起こりえる。それが50年後、100年後か、あるいはあすか。それはだれにも分からないが、奄美もけっして対岸の火事ではない」と語った。
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