第6回「糸を辿る旅」

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砂利の一本道をゆく郵便屋さんの赤い車

 その昔、屋久島暮らしを切り上げる決意をした僕は、「石の上にも3年」という諺をもじって「島の上なら4年」と自分に言い聞かせて区切りをつけたが、もうかれこれ「鹿児島の上にも(足掛け)20年」という歳月が過ぎようとしている。

 20年前にザックひとつを背負って屋久島へ移り住み、15年前には再びザックを背負い直して鹿児島市へ拠点を移した。「かごしま暮らし」の再スタートは、甲突川のほとりに建つ、六畳一間のアパート。不動産屋の窓ガラスに貼られたチラシ中から、(まるでハンバーガーでも注文するかのように)「これください」と一番安い部屋を指差して入居を決めた棲み家だ。いまだ電気も水道もガスもとおっていない部屋に、ザックをボトンと下ろしただけであっけなく引越しが完了したっけ。

煌々とした電飾をつけて「おはら祭り」の開催を告げる花電車

 それにしても“ゆるい時代”だったのだろうか、(第3回のコラムで記したように)鹿児島に来たばかりの僕は、なんのアテもツテも“仕事”も“家”もない旅人の状態。求人情報誌と賃貸情報誌を両手にもって仕事と家を同時進行で探していたため、仕事(出版社)の面接を受けた時点では住む家がなく、家を借りようと不動産屋を訪ねた時には面接の合否もわからない無職の状態だった。当時は「どっちも決まってラッキー」ぐらいの軽い気持ちで受け止めていたが、今思えば行き当たりばったりにも程がある危うい綱渡りである。いや、綱渡りどころか、もっともっと細い一本の糸の上を歩いていたのかもしれない。

寄せる波の向こうから走ってくるサブレッド(鹿児島は競走馬の産地でもある)

 かねがね、僕は自分のことを「運がいい男」だと思っていた。ところがそれは大きな勘違いであり、すべては“自分の運”ではなく“人の縁”のおかげだった(そんな大事なことに気づくまでにはずいぶんと時間がかかったが)。
 「縁」はときに「糸」という言葉に置き換えられ、「赤い糸」などと呼ばれることもある。「縦の糸はあなた、横の糸は私」とも歌われているし、漢字においても「縁」や「絆」や「結」「組」「繋がる」など人と人の関係を表す言葉には糸の字が多く使われている。

種子島のライフセーバー。様々な場所で出会う人の姿を写真に収めていく日々

 「かごしま暮らし」の取材で「この町に住むことを決めた理由」を聞くと、ある人は「ルーレットの目がこの場所に止まっただけ」と語り、ある人は「すごろくのようにマスを進んでいるだけ」と例えたが、僕の場合はさながら「目の前の糸(縁)を辿っているだけ」といったところか。

火山灰(へ)が降り積もった、グレー1色の道を急ぐ人

 20年に渡る「かごしま暮らし」は、一本の細い糸を辿る旅であり、糸を縒(よ)り、糸を紡ぎ、糸を織る旅でもあった。いつの日か細い糸が太く強くなり、やがて丈夫な綱となることができれば、(不安定な生活は仕方がないにしても)今よりもう少しだけましな「綱渡り」ができるだろう(地に足をつけ、根を張ることができるのはまだまだ先になりそうだが…)。完

PROFILE : 高比良有城 Yuuki Takahira
1978年、長崎市生まれ。九州ビジュアルアーツ専門学校・写真学科卒(福岡市)。写真学校在学中より屋久島をテーマに撮影し、卒業後、移住。島の情報誌づくりに携わりながら作品制作を続け、丸4年を過ごす。25歳から鹿児島市に拠点を移しフリーランスのフォトグラファーとして活動。

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