自分のキャリア、家族との暮らしと向き合い、決意したUターン(後編)

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鹿児島で新たな暮らしを始めた山下一家。孝一郎さんが夢見る「地方で活躍できる暮らし」はできるようになったのか。それを見守る家族はどのような暮らしをするようになったのかを伺いました。

自分の暮らしは自分で作る

鹿児島へのUターンが決まってからは、行政の移住関連情報や同級生など知り合いから情報収集を始めた。行政の移住サポート制度も調べてみたが、「県内の地方自治体では住宅関連などの補助が充実しているが、鹿児島市では僕たちに利用できそうなものがなかった」そう。そして鹿児島での新生活。新しい会社からは2017年秋には来てほしいと言われたが、長男の冬休みが終わる1月からになった。
プロゴワスは、印刷会社からBPO事業への転換を図っており、印刷事業以外での収益をあげられるよう、様々な事業に取り組んでいる。新規事業開拓、社内システム整備、経営計画作成、人材育成など、孝一郎さんも会社の成長の一端を担うように。やりたいことをやりたいようにやれる環境の中で大きな責任も背負いつつも裁量を持ち、やりがいのある仕事。「自分たちで会社を作っているという意識が強い」と孝一郎さんが語るように一緒に頑張る仲間と充実した日々を送るようになった。

 

新しい「安心感」

鹿児島へ引っ越すにあたり、鹿児島市内といってもどこに住めばいいか、治安、教育環境などが気になり、夫婦で付き合いのある孝一郎さんの同級生にアドバイスを求めた。その土地で暮らす友人からの情報ということで安心感があった。
最終的に山下家が居を構えたのが、再開発が進み、街の姿が変わりつつある鹿児島市谷山。人通りも多く、便利な地域だが、渋滞が多いなどの悩みもある。しかし、「どこに住んでも不満はつきもの」と今の生活を楽しむようになった。
また、両親がいる霧島・日南と車で日帰りも可能な距離に。子供を預けることもできるし、両親にもし何かあっても駆けつけることができる。月に一度は会えるようになり、「ちょっとした親孝行にもなったのでは」と悠子さんは語る。
週末は家族で温泉に行くなどゆっくりとした休日を過ごせるようになり、子どもたちものびのびと暮らすようになった。親の参加するイベントも多く地域との絆も深まった。「子供がおとなになって成人式に行けるところ“帰る場所”を作ってやりたかった」と語るように、山下家の帰る場所は鹿児島市谷山となった。
山下家のかごしま暮らしには都会の大企業で働くことから得られるものとは別の「安心感」が生まれた。

 

鹿児島は「未完」の地

孝一郎さんは最近、就職活動中の学生などと話す機会があった。その中で「鹿児島は未完の地だ」という話しをしたという。「鹿児島は完全ではない、だからこそ自分たちで作れる場所。東京や大阪のような成熟された大都市で疲弊した人が活躍できる場所がたくさんある。仕事がないと言われるが人材を求める企業はたくさんある。やりたいことができない経営者とやりたいことがある人材がマッチする機会をもっとたくさん作れる。そこに、自分の探しているものが見つかるかもしれない」と語る。
「また、鹿児島はお互いのいいところを補完しあいながら、強い『人』のつながりが重視され、肩書や実力を越えた仕事ができる」と孝一郎さん。
地元の友だちにも会いやすくなって、親が仲良くしている様子を見て子どもたちも関係を築く。近くだからできる人間関係が深まった、また両親を頼ることもできてリフレッシュしやすい、孫も見せられて親孝行もできる。転勤族ではできない暮らしを手に入れた。
「人間関係が広がり、これからも広がるだろう」とふたりは口を揃えた。「地方のために働きたい」と語る孝一郎さんの社会人生活はまだまだ長いが、自分の望むキャリアを送ることができれば、「鹿児島にUターンしてよかった。今のところはですけどね(笑)」と話す悠子さんの期待にも応えられるはずだ。

山下さんの鹿児島暮らしメモ

かごしま暮らし歴は?

1年目です。

 U•I•Jターンした年齢は?

U•I•Jターンした年齢は? 35才(孝一郎さん)、35才(悠子さん)。

 U•I•Jターンの決め手は?

「地方で暮らし、地域課題解決に向けて共通の価値観を持つみんなで取り組む」働き方をしたいと思っていた

 暮らしている地域の好きなところ

周りに家族や友人がいて安心、都会にくらべて通勤時間が短くゆとりを持てる

 かごしま暮らしを考える同世代へひとこと!

自分に合っているか自分で確かめてみて欲しい、そこで暮らす人と率直に話すと見えてくるものもある。

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