もう一度島に戻りたい”ご主人の夢を叶え飛び込んだ島暮らし(前編)

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プロローグ

鹿児島市から南へ約380Km、温暖な気候と手つかずの自然が残り「東洋のガラバゴス」と称される奄美大島。マングローブ原生林や金作原原生林など亜熱帯独特の雰囲気を持つ島の森にはアマミクロウサギやルリカケスなど希少な野生動物が生息・生育している。

大きく葉を広げ空に向かう亜熱帯独特の植物「ヘゴ」

太平洋と東シナ海に囲まれた青く美しい海は、地形的に波の形がチューブと呼ばれる筒状のトンネルのような形状になりやすいことから「サーフィンの聖地」と呼ばれ、サーファーたちの間でも人気が高い。最高の波を求め全国各地から波乗りたちが次々と集まって来るのだ。

東シナ海と太平洋、2つの海に囲まれる奄美大島

そんな奄美大島へ移住してきた田口慶太・裕子さんご夫妻。共にプロボディーボーダーの資格を持ち、奄美大島の海を満喫しながら普段はご夫婦で、本格手打ちうどん「たぐちうどん店」を営んでいる。

東京生まれの東京育ち、何不自由なく生活していた2人が島への移住を決意した訳とは?移住に至るまでの経緯、そして移住してからのリアルな島暮らしを聞いた。

インタビュー:満崎 千鶴 撮影:高比良 有城 取材日2018年11月

同じ夢を追いかけ結ばれた2人の縁

「奄美大島へもう一度戻りたい…それが長年の主人の夢でした。そんな彼の夢を叶えるため、移住を決意しました。」そう話すのは、奥様の裕子さん。

ニコニコと笑顔で話す裕子さんの言葉は力強く、一切の迷いもなかったことが見てとれる。

ご主人の慶太さんは東京都八王子の出身、裕子さんは東京の下町、荒川区の出身で共に東京生まれの東京育ち。

そんな2人の出会いは今から15年ほど前に遡る。当時、“暖かいところで生活したい”という理由から、慶太さんは東京を離れ奄美大島に移り住んでいた。

数ある島々の中から奄美大島を選んだ理由を聞いてみた

「もともとは種子島に行くつもりでした。たまたま手にしたサーフィン専門の雑誌に種子島と奄美の地図がイラストで載っていて、何故か奄美の方が小さかったんですよね…。なるべく小さな島に行きたいと思っていたので奄美大島に決めました。実際は奄美大島の方がずっと大きい島だと知ったのは引っ越してきた後のことです(笑)」と、移り住む島を決めた驚きの理由を慶太さんは笑いながら話す。

一方裕子さんは東京で介護福祉士の仕事をこなしながら、休日は海へ出かけ波乗りを楽しむ毎日。それぞれ違う土地で暮らし、出会うはずのない2人が出会ったのは“プロボディーボーダーになりたい”という共通の夢を追いかけ、たどり着いた四国の海だった。

ボディーボーダーのプロ資格を取得するには試合に出場して勝つ、もしくは試験を受けて合格する、この2つのどちらかしか手段がないという。2人はプロアマの試合に参戦するため、別々の土地から“出会いの海”へやってきたのだ。

「出会った当時は、試合後たくさんの友人を交えてはお酒の場で盛り上がり、“また会おうね!”と別れる友達の延長のような関係でした。その頃、彼が奄美大島という南の島に暮らしていると聞いてはいたものの、どこにあるのか?何県にあるのかさえ知りませんでした。」と裕子さんは笑う。

後に結婚するなんて予想もしていなかった2人だが、各地の海で幾度となく顔を合わせる内に交際がスタートした。

奄美の第一印象

交際がスタートした後も日中は波乗り、夜はバイトをしながら生計を立てるという充実した生活を奄美で続けていた慶太さんと、これまで通り東京で仕事を続けながら休日の波乗りを満喫していた裕子さん。

2人の交際は出会った当初から変わらない遠距離恋愛だった。裕子さんが初めて島を訪れたのは、精神的にとても苦しい時期だったという。

「東京で生活していた私はどうしようもなく気持ちが沈んだ時期がありました。そんな時、“島に遊びにおいでよ”と彼が送ってくれた飛行機のチケット。初めて訪れた奄美大島で受けた衝撃は本当に凄かったですね。それは自然が綺麗だからとかそういう事ではなく、空気感というか。のんびりしている訳でも無いけどド田舎でもない、とにかく居心地良かった。“ゆた神さま”と言って島の人は神様をとても敬い、大切にしています。苦しかったあの時期、あのタイミングでこの島を訪れた私は、神様に呼ばれていたのかもしれない。この島に救われました。」と裕子さんは奄美大島への第一印象を熱く語る。

もう一度島へ…

暮らす場所の選択その後も順調に交際を続けていた2人だったが、結婚を考え始めたこともあり、

30歳になったタイミングで慶太さんは一度島を離れ東京へと戻った。

その後8年間、サラリーマンとして都会での生活を続ける訳だが“いつか島に戻りたい…”という想いをいつも胸に秘めていたという。

32歳の時に2人はめでたく結婚、いよいよ移住へ向けた準備を始めるのだ。

東京から1200Kmも離れた奄美大島で暮らす事への不安や迷いは本当になかったのだろうか?

「いつか必ず奄美に戻りたい…と結婚する時から聞いていた彼の夢。島に戻って“うどん屋をやりたい!”という新たな目標を聞いた時も驚く事はありませんでした。(笑)“すごいじゃん!頑張ろう!”の一言。どちらかというと彼の方が慎重な性格だから最後に背中を押すのが私の役目です」と裕子さん。彼女の肝っ玉の大きさには驚かされる。慶太さんは仕事のない休日を利用し、うどん職人になるための修行と研究を重ね島へと戻るため準備を着々と進めた。それから6年の月日が流れた2016年7月、念願だった奄美大島での移住生活がスタートしたのだ。

 

<後編>では、いよいよスタートした田口夫妻の奄美大島での暮らしの様子をご紹介します。

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