自分のキャリア、家族との暮らしと向き合い、決意したUターン(前編)

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プロローグ

「大学を出て、いい会社に入り、ローンを組んでマイホーム・車を手に入れ、家族で暮らす」のがスタンダードという時代からバブル崩壊後、「普通の暮らし」のあり方が変わったように思います。

「地方で自分の暮らしは自分で作りたい」と三十代半ばにUターンしてきた現在、鹿児島市に暮らす山下孝一郎さん一家。「地元に帰りたいけど帰れない、帰らない」地元出身者が多いと言われる中、彼らはどのような決意でかごしま暮らしを始めたのか。

今回お話を聞いたのは2018年に地元鹿児島にUターンした山下孝一郎さんと悠子さん夫婦。福岡の大学を卒業後、就職後は通信系企業に就職し、結婚。これまでの日本で「いい暮らし」とされてきた生活を変えてまで地方にこだわった理由、それについていく家族の心境を語ってもらった。

 

田舎で暮らすイメージがつかめず、県外へ進学・就職そして結婚

孝一郎さんは霧島市牧園町出身。大学は福岡の国立大へ進学した。「この地域に育ててもらったとは言え、ずっと暮らすイメージはつかめなかった」と当時を振り返る。進学で地元を離れ、県外での生活を通して地元の良さを再認識し、卒業後は地方に還元ができる仕事がしたいと思い、通信関連の大手企業に就職。転勤で、大阪、兵庫、宮崎、鹿児島を渡り歩きいわゆる「転勤族」として働いた。宮崎勤務時代に悠子さんと出会い結婚、二人の男の子も生まれ、一見何不自由ない「普通の暮らし」を送るようになった。

 

自分のキャリアを企業に委ねることに疑問

勤めていた会社は転勤するごとに携わる業務内容も変わり「会社の中で転職しているよう」と思ったほど。システムエンジニア、事業計画の立案や総務業務、新規事業の立ち上げなど多くの仕事に携わった。「いろいろな経験ができるが、『この仕事に専念したい』と決めてからは、自由が効かない環境だった」と前職時代を振り返る。

当時勤めた企業では、会社が期待するキャリアに沿って昇進や関われる仕事も増え、それに伴って生活も変わっていく。そんな「自分で決められないキャリア」に疑問を感じた。勤続約10年、いよいよ「故郷が近い地方で仕事がしたい、生活の基盤を作りたい。気が付けば30代も半ば、ここがラストチャンスだ」という想いが募っていった。

 

猛反対を押し切って移住

「2年間過ごした宮崎にも思い入れがある、出身地の鹿児島も気になる、地方に身を置き、活躍できる働き方をしたい」、という考えを持って働いていた矢先に大阪本社への異動が決まった。「この転勤で自分がこの先この会社で過ごすか、別の道を歩むか決めよう」と心を決めて働いたが「ここでは自分の目指すキャリアを叶えられない」と、退職を決意した。2017年8月のことだった。

その意志を悠子さん、親族、友人に伝えたが、殆どが反対。ところが、「彼は反対されると逆に燃えてしまう性格」と悠子さんが語るように、一人で転職活動を開始した。インターネットサイトを活用する傍ら、地元の知り合いから情報収集し、鹿児島市でBPO(ビジネスプロセスアウトソーシング)事業を展開する㈱プロゴワスに応募し、採用が決定した。新たなチャレンジを続ける同社を「面白そう、ここだ」と感じ、自分の将来にイメージが湧いた。アイデア次第で何でもできる、まさに地方が求める人材だったのだろう、会社にとっても重要なポジションを得て自分のキャリアを自分で作る新たな社会人人生が始まった。退職の時のことについて、「多くの人に反対されたけれども、会社の同僚には『お前すごいな』と言われたこともあった」と孝一郎さんは振り返る。

 

「行けばなんとかなる」

自分の理想を実現するための行動は自分で決めることであるが、生活をともにする家族がいれば話は別。妻、子供にもそれぞれに人生がある。孝一郎さんが鹿児島での新生活に思いを巡らせ、転職活動などに動く一方で、このまま安定した暮らしが続いていくと思っていた悠子さんの不安は募った。悠子さんは宮崎県日南市出身、生まれてからずっと宮崎県内で過ごしていたが、孝一郎さんと結婚し「転勤族の妻」になった。「旅行が好きなので、転勤であちこちいけるのは楽しかった」と振り返る。地方移住を熱望する孝一郎さんとはこれまでも話し合いを続けてきたが平行線をたどっていた。「勝手にやってください」と本人に任せていたらいつの間にか鹿児島での就職が決まっていた。「結局決めるのは本人、ついていくかいかないかしか選択はなかった、行ってみて考えよう」と鹿児島移住を決意。「彼の決意したことに私がとやかく言う権利はない、彼のおかげで生活ができている」、悩んだ末のことだった。「守られている安心感があった」生活に別れを告げることには不安も大きかったが、知らない土地ではなかったので「死ぬわけじゃない、行けばなんとかなる」と思うようになった一方で、彼に対しては「背負っているものは大きいよ」と覚悟を決めさせた。子どもたちにも「これが最後」と伝えて引っ越しした。家族それぞれの覚悟が芽生え、鹿児島での新たな暮らしが始まった。

 

孝一郎さんの希望が叶い、鹿児島へUターンした山下一家。後編では、鹿児島での暮らしや、新たに芽生えた思いをご紹介します。

 

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