「子どもも多く犠牲に」 奄美市生涯学習講座=加計呂麻島の戦争体験語る

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 鹿児島県奄美市の2025年度生涯学習講座「戦後80年を学ぶ」の第4回講座が19日、同市名瀬のアマホームPLAZAであった。戦時中に旧陸海軍の軍事施設が多く設置された奄美大島南部の瀬戸内町加計呂麻島出身の2氏が自身や家族の体験を語り、「機銃掃射で何人もの住民が命を落とした」「戦後も日本軍の廃棄した不発弾で子どもを含む多くの人が亡くなったり、けがをしたりした」などと証言した。

 講座は主宰の花井恒三さんが毎回ゲストを招き、受講生と共に平和について学びを深めていく内容。今回は瀬戸内町諸鈍出身の宮畑義廣さん(89)=奄美市名瀬、同町渡連出身の湊ムツ子さん(80)=同=が登壇した。

 宮畑さんは、軍事施設が集中していた加計呂麻島で、民家にも米軍の激しい攻撃があったことや、周辺で日本軍との空中戦が見られたこと、米軍の上陸を恐れて海中や海岸線に機雷・地雷が設置されていたことなどを証言。「小さな諸鈍集落の中でも、(米軍の)機銃掃射で5~6人は亡くなった」と話した。

 終戦後は武装解除で海中投棄された大量の弾薬や機雷が砂浜に打ち上げられ、住民がそれを漁などに使用したり、子どもが遊びで取り扱ったりして死亡または大けがを負う事例が多くあったことも、2氏から語られた。

加計呂麻島での戦争体験などを語る(左から)宮畑義廣さん、湊ムツ子さん=19日、奄美市名瀬

 

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