宇宙に通じる町・鹿児島県、肝付町を全国に発信したい(前編)

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プロローグ


大隅半島の東端にある肝付町は、もともとは北西部の山間の町・高山、南東部の海辺の町・内之浦とで分かれていたが、2005年に合併し「肝付町」となった。旧高山町と旧内之浦町の間には国見山が横たわり、全長3,300メートルもの「国見トンネル」が山を貫いてふたつの地区を繋いでいる。

今回は内之浦地区に住む園田欣大さんを訪ねた。内之浦は太平洋に面する静かな場所だ。JAXAのロケット発射施設がある「内之浦宇宙空間観測所」を有することで全国のロケットファンには知られる。長崎県出身の園田さんは肝付町に移住し、内之浦宇宙空間観測所からも程近い町の中心地で民泊施設「宙ハウス」を運営しながら、自身もそこに住んでいる。さらには一般社団法人きもつき宇宙協議会の一員として宇宙グッズのショップ運営をはじめ、町のPR活動なども行う。
まずは宙ハウスにお邪魔して、園田さんがなぜ肝付町に移住したのか、その経緯からお話を伺うことにした。

インタビュー:今田 志野 撮影:高比良 有城 取材日2019年8月

移住のきっかけは自営業への憧れ

長い「国見トンネル」を抜けると海辺の地区に着く。そこは肝付町の中心地だ。古くから内之浦と呼ばれているが、住所として「内之浦」という地名はもう無いそうだ。人も車もまばらだが、中心地の通りでは至る所に宇宙モチーフが現れてくるから楽しい。橋の欄干にはイプシロンロケットのオブジェが飾られ、小学校の校舎の壁には宇宙飛行士の画が描かれている。そんな通りに佇むのが、園田欣大さんが運営する民泊施設「宙ハウス」だ。宙ハウスは1970年頃から営まれていた古い旅館を再利用している。かつて宇宙開発関係者やロケット関係者の定宿だった旅館が廃業し2年ほど空き家の状態だった。それを園田さんが購入し自ら改修して、2018年の冬に民泊施設としてよみがえらせた。

宙ハウスを訪れると園田さんが中を丁寧に案内してくれた。2階建ての建物の中は元旅館というだけあり広々として幾つもの部屋がある。2階は主に園田さんの居住スペースで、1階の3部屋が客室として開放されている。取材当日はひと部屋を宿泊客が利用していた。1階にある共用のトイレや浴室、キッチンやダイニング、リビングなどは洋式にリフォームされていて、どこも明るく清潔感がある。2階には使っていない部屋が何室かあるが、そこはゆくゆくは宇宙関連資料の展示室にしようと計画しているという。
宙ハウス 外観
宙ハウス内観

「以前から、いずれは会社員ではなく自営業の生活がしたいと考えていた」と園田さんは話し始めた。出身は長崎県の対馬という離島。福岡の大学の工学部で学び、大学院の研究室では青色LEDの材料である窒化ガリウムの結晶構造を研究をしていたという。大学院を卒業後は京都に本社がある電子部品製造会社に就職。商品開発・設計を担当し約13年勤めた。その間は富山の工場で11年、滋賀の支社で2年を過ごした。

「会社で10年以上働いて、大学の奨学金を繰り上げ返済し終えた頃くらいから、違う道を歩もうかと考えるようになったんです。安定した会社だったので会社員として生きるのも幸せかなとも考えたんですが、自分はいずれまたどこかのタイミングで会社員を続けるか悩むんだろうと思ったんです。それならいま会社を辞めて自営業をしてみようと決心したんです」

「宇宙の町」との出会い

「宇宙の町」との出会い

 子供の頃から、知らないことを知りたいという好奇心があった。そう話す園田さんの声のトーンは落ち着いている。言葉を選びながら丁寧に話す姿と、長く勤めた会社を辞めて見知らぬ土地に飛び込んだという旺盛な好奇心とのギャップが面白い。

「会社員の枠の中では『未知のもの』が減ってきていた。でも自営業のことは自分にとって未知のものだからやりたいと思ったんです」
2016年1月、園田さんは東京で毎年開催される「移住・交流・地域おこしフェア」に出向いて自分の新天地を探した。全国の自治体がブースを出し地元をPRしている中で、出身が九州ということもあり九州のブースを中心に見て回ったという。そこで肝付町のブースに掲げられたロケットの写真に目がとまる。それまでロケットの打ち上げを実際に見たことはなかったが、ロケットや宇宙には関心があった。

「ロケットセンターは種子島にしかないと思っていました。でも聞いたこともない肝付という町にもあるってそこで知って、ロケットセンターの近くに住むって素敵だなって思って、肝付町に興味を持ったんです」

フェアの後、園田さんは休暇を取り当時住んでいた滋賀県から肝付町まで足を運んだ。そして移住を決断する。フェアで肝付町に出会って1ヶ月後の同年2月に園田さんは会社を辞め、4月には移住することとなった。ロケットセンターのことだけで言えば種子島に住むという道もあったはずだが、園田さんは肝付町を選んだ。

「僕は離島で生まれ育ったから、離島で仕事をすることの大変さを知っているんです。陸続きの土地なら例えばアマゾンで買い物をしても送料は無料だし翌日に届くんですが、島ではそうはいかない。こちらからものを送るのも同じで、始めから商品をつくりたいって思いもあったんですが、商品を売るにも島だと送料も時間もかかる。だから生活と仕事を考えるとこの町が条件に合っていたんです。ここは田舎ですが、光ファイバーが全域に通っていてネット環境もいいし、さらにいつでもロケットを見られるのがいい」

究極の未知を追いかけて

究極の未知を追いかけて

究極の未知を追いかけて2

 園田さんにとって、ロケットや宇宙は未知なるものの究極。その分からないものだらけの世界に惹かれるという。映画や漫画が好きな園田さん。漫画の「宇宙兄弟」はずっと読んでいるし、世の中のSF映画はほぼ観つくしたと言っていい。「スターウォーズ」はもちろんシリーズの最新作まで観た。最近ではマット・デイモン主演の「オデッセイ」が面白かったという。

 実際のロケットの打ち上げは肝付町に来て3年ですでに5回、種子島の打上げも含めると10回以上見た。この先も何度でも見たいと語る。例えばイプシロンロケットは安全のために発射台から半径2.1キロ圏内は立入禁止区域となるが、園田さんの住む宙ハウスは立入禁止区域のすぐ外の辺り。だから家から空を見上げれば最短距離で打ち上げを見られる。見学場としては「IHIスペースポート内之浦(宮原ロケット見学場)」が有名だが、近隣の漁港も見学場になっていて発射時間になると多くの人が集まるという。

「夜の打ち上げでは、あたりが昼間みたいに明るくなって、ゴゴー、バリバリみたいな大きな音が鳴るんです」と、ロケットの話になると園田さんの表情は途端に明るくなった。

 打ち上げ前の時期になるとJAXAや関連企業などのロケット関係者が100人以上町にやって来る。町民との交流会などでは園田さんは積極的に関係者に話しかけて、ロケットについて気になっていることをいろいろと聞くのだそうだ。町の飲食店などで見かけも機会があれば話をする。親しくなった人とは宙ハウスでお酒を飲むこともあるのだとか。関係者をそばで見ていると彼らの苦労がよく分かるという。例えば昨年2018年2月には人工衛星を飛ばすロケットとしては世界最小となるSS-520の5号機が打ち上げられた。その前年には4号機が打ち上げられたが4号機は打ち上げに失敗した。4号機の記者会見では園田さんの知り合いのJAXA職員が失敗の経緯を説明していたそうだ。園田さんはその様子をテレビで見て改めて「成功するのが当たり前のように思っていたけど、苦労が報われることばかりじゃないんだな」という気持ちになったという。
 
「肝付町のロケットは興味だけでは見られなくなりました。すごく苦労しているのを知っているから、ちゃんと打ち上がってほしいって願いながら見ていますね」

町の「人」が好きだから、このまま永住したい

町の「人」が好きだから、このまま永住したい

 自営業をしたくて移住をした園田さんだが、最初は地域おこし協力隊として活動していた。協力隊の制度は移住・交流・地域おこしフェアで初めて知ったという。肝付町の協力隊は副業もできる体制だったので、地域のことも知れて給料も出て、自営業も並行できるこの制度は、この町で自営業の準備をするには最適だと思ったそうだ。そして任期1年目の終わり頃、協力隊の活動をしながら個人事業主になる届けを出した。事業を始めるにあたり住居を兼ねた拠点が必要となり、良い物件を探していた時に町の中心地で空き家となっていた元旅館と出会う。それが現在の宙ハウスとなるのである。最初から民泊施設をしようと思っていたわけではない。空き旅館を自分の手で少しずつ改修していく中で、住居としては広すぎる建物をこの町を訪れる誰かとシェアしようと考えた。個人事業を始めた当初は地域のかまぼこ屋さんの商品をネット販売するなど今とは全く別の事業を試みたが軌道には乗らなかったという。

肝付町

 民泊施設・宙ハウスを開業してもうすぐ1年。地域おこし協力隊としての任期は今年2019年の3月に終えた。この先も園田さんは宙ハウスを継続して、肝付町に永住したいと考えている。そう考えるようになった大きな理由のひとつは、この町の人だ。1963年にロケット発射施設が開所して以来、町の人々は何千人もの宇宙開発関係者、ロケット関係者を受け入れて来た。そういった背景もあってか町の人は皆、懐が深い。外部から来た人にも慣れていて、園田さんに話す時にも方言はあまり使わず分かりやすい話し方を意識してくれるそうだ。

 「町の皆さんが情に厚くて仲良くしてくれるので、このまま肝付町にいようって思うんです。あと、この町の海が見える景色も好きなんですよ。ここの雄大な海を見ていると、僕の考えなんて小さいなとか、悩んでいることも大したことないなとか思うんですよね」

移住者インタビュー 園田さん

<後編>では、園田さんが地域おこし協力隊としてこの町にやって来てから宙ハウスを立ち上げるまでの経緯や、現在の活動内容を詳しく伺います。

園田欣大さんの鹿児島暮らしメモ

かごしま暮らし歴は?

4年目です。

Iターンした年齢は?

37才11ヶ月弱。

Iターンの決め手は?

この町にロケットセンターがあることが一番ですが、鹿児島には移住前にも旅行で来たことがあり、会う人々や土地柄にとても良い印象をもっていたというのも決め手のひとつです。

暮らしている地域の好きなところ

人情に厚い人々。海が見える景色。鳥の声や虫の音が聞こえる静かな音の環境。流鏑馬や「ナゴシドン(夏越し祭)」など歴史を繋いでいる行事。

かごしま暮らしを考える同世代へひとこと

自分の正直な気持ちに従うことが大事だと思います。移住したら楽園ということはなく課題も出てくると思いますが、明確な強い気持ちがあると判断がしやすいのかなと思います。

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