西郷どんになりたい! 20歳で見つけた人生の お手本を追いかけて<中編>

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本や映画の登場人物に憧れを抱く。そんな経験がある人はきっと多いだろう。安川あかねさんの人生を変えたのは、鹿児島出身の作家・海音寺潮五郎の著書「西郷隆盛」。その人柄と生き方に感銘を受け、20歳から7年間にわたり、半年に一度のペースで西郷さんのお墓まいりを続けたという。

そして、もっともっと西郷さんに近づきたいと、神奈川県から鹿児島市へ単身移住を決意。憧れの人の故郷にどのようにして馴染んでいったのか?仕事と暮らしの変化とは?旅行から移住、定住へとステップアップした過程について聞いた。

コラム:里山 真紀 撮影:高比良 有城 2018年8月取材

<前編はこちらから>

城山展望台からは鹿児島市と桜島を結ぶフェリーが錦江湾に浮かぶ姿も見える

積み上げた信頼と、情熱と。西郷さんに導かれた新生活

都会から地方への移住のハードルになりがちなのが、「家探し」と「仕事探し」。「身寄りがないところでやっていけるのか」、「当面の収入はどうすればいいか」、「自分に合った職種や住まいが見つからない」など、さまざまな課題や悩みがある。安川さんの場合はどうだったのだろう。

「今考えると、すごい度胸だと思うんですけれど、ただ住むところさえ決めれば、どうにかなるだろうと。不思議なくらい不安もなく、そういう気持ちでした」

案ずるより生むが易し。とはいえ、移住前から定期的に鹿児島を訪れていたことが功を奏したのだろう。住まいは西郷さんが生まれ育った鹿児島市とあらかじめ決めていて、史跡めぐりの経験から多少の土地勘もあったため、女性の一人暮らしに適した物件をスムーズに見つけることができた。また仕事は7年間にわたり西郷さんのお墓まいりを続ける中で、自然と広がった人脈を通じて紹介してもらうことができた。万事順調なスタートだった。

移住後、最初に勤めたのは、近代日本発祥の地にたたずむ尚古集成館。島津家の歴史・文化と集成館事業を語り継ぐ博物館の受付を担当していた。

「おかげさまで島津家についても深く学ぶことができました」

たとえば、島津氏第28代当主・島津斉彬は、集成館事業を進め、薩摩の近代化を図った名君。西郷さんを引き立て、信頼して仕事を任せたという。薩摩の歴史について造詣を深め、今なお残る近代化の息吹を実感したことで、以前よりもほんの少しだけ西郷さんに近づけた気がした。

ソムリエの資格も持つ安川さん。おすすめのワインは、幕末の薩摩藩英国留学生の一人として知られる長沢鼎が築いたワイナリーの1本

未経験から資格を取得 ホテル業界でキャリアアップ

新生活にも慣れた1年後、大きな変化が訪れた。サービス精神に富む安川さんの資質を見抜いた職場の上司の勧めで、ホテルに転職することが決まったのだ。新天地は、西郷隆盛終焉の地で知られる城山エリアに建つホテル。西郷さんのお膝元と言える地で、毎日桜島を眺めながら働けることがとてもうれしかったと振り返る。

「聞きなれない鹿児島弁に苦労したこともありましたが、それもまた楽しくて。大好きな西郷さんがかつて暮らしていた鹿児島に自分がいま住んでいる。そう思うだけで、前向きな気持ちになれました」

旺盛な知的好奇心と行動力。2つの資質を兼ね備える安川さんにホテル業はうってつけだった。和食処に配属されたことから着付けを習い、ワインセラーの導入を機にソムリエの資格も取得した。

また、観光客から鹿児島について尋ねられた時にきちんと回答できるようにと、かごしま検定のグランドマスターにも合格している。最上位クラスであるグランドマスターの女性はごくわずかで、観光業に携わる人材としても貴重な存在だ。

一度は訪れておきたい西郷さんゆかりの地とは?

そんな安川さんに、鹿児島市でおすすめの歴史スポットを尋ねてみた。

「西郷さんも眠る南洲墓地は、日本を変えようと命をかけた志士たちのエネルギーを今でも感じられる場所。私にとって一番のパワースポットです」

南洲墓地には、西郷さんの力になりたいと鹿児島のみならず全国から集まり、西南の役で戦った2023人の志士が眠っている。安川さんが移住前に7年間欠かさず通った場所だ。

また、初めての鹿児島旅行で訪れた座禅石にもたびたび足を運んでいる。鹿児島市城山1丁目には、西郷隆盛や大久保利通が青年時代に座禅をくみ、修養を積んだという座禅石が残されている。若き日の西郷さんが修行に励んだ石に触れれば、あなたも何かしら感じるものがあるはずだ。

鹿児島市に現存している座禅石

鹿児島市以外にも西郷さんに関連する地で思い入れのある場所がある。それは、西郷さんが流刑になった奄美群島の沖之永良部島だ。

「沖之永良部島を訪ねた時、西郷さんの思いを体感したいと、特別に許可をいただいて復元された牢で半日ほど過ごしたんです。西郷さんが入っていたのは真夏の時期だったそうですが、私が入ったのは3月のお天気のいいのどかな日で。あまり苦にならないまま終わってしまったので、もっと過酷な時期にリベンジしたいですね」

西郷さんと同じ経験をして、同じ目線に立つ。そうすることで、西郷さんにより近づけると信じて実践し続けている。

奄美大島の名物・鶏飯。薩摩藩の役人をもてなすためのおもてなしの料理として考案されたという

程よく何でも揃う街で、肩肘張らずに暮らす

ホテルスタッフとして、西郷隆盛研究家として、鹿児島でキャリアを築き上げてきた。プライベートでは鹿児島市出身のご主人と結婚。10歳の娘さんの母親でもある。移住して、地域に溶け込み、家族を持った。いま感じる鹿児島市の魅力とはどんなところだろう。

「私は西郷さんを知り、鹿児島を知ったので、足を踏み入れる前の自分の中の鹿児島のイメージは昔のままだったんです。鹿児島に行けば、みんな“おいどんは”って言うのかなと思ったりして。ただ、来てみたらまったくそんなことはなく。思っていたよりもだいぶ都会でした。

実際に暮らしてみると、すべてがコンパクトにまとまっていて、程よく何でも揃うという印象です。少し車で走れば雄大な自然があって、いたるところに温泉があるところ、肩肘張らずに生活ができるところが気に入っています」

逆に移住してから困ったことは?と尋ねると、甘い醤油と味噌が合わなかったことぐらいだと笑った。家庭では鹿児島の甘口醤油と辛口醤油を2種類用意し、味噌汁の味は安川さんに合わせることでご主人が納得してくれているという。ちなみに、ご主人は西郷さんには似ていないそう。

「私が西郷さんでありたいんです」

◎続く〈後編〉では、西郷隆盛の魅力を伝える紙芝居の誕生秘話をご紹介。西郷さんの語り部として胸に抱く想いとは? そして、かごしま暮らしの楽しみ方についてもうかがいました。

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