ふるさと(長島町・獅子島)の魅力を生かし “想い”のある仕事を(前編)

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リアス式海岸特有の地形を有する獅子島。日本有数の化石の産地で、雲仙天草国立公園にも指定されている

プロローグ


熊本県は天草諸島の近くにある鹿児島県最北端の島・獅子島。豊かな自然とそれに育まれた滋味溢れる食が自慢だが、一方で学校は中学までしかなく、卒業すると多くの若者は島を出るという過疎と高齢化の問題を抱える。山下城さんも中学卒業後島を離れた一人だが、この2月、ある想いをもって家族とともにUターンした。山下さんが、ふるさと獅子島で描いていきたい未来とは。

インタビュー:奥脇 真由美 撮影:高比良有城 取材日2019年4月

 五感の体験は鮮烈だ。「透明度の高い美しい海で獲れたばかりの魚は、刺身にすればぷりぷり、炭火で焼けば身はふっくらとして絶品」というような表現では、残念ながら、この島の食の魅力は半分も伝わらない。様々な鳥の鳴き声に豊かな自然を感じ、心が洗われるような美しい海に魚たちが泳ぐ姿を想いながら味わう島と海の産物。それは想像していたおいしさをはるかに凌駕し、心を揺らすパワーも圧倒的だ。

 鹿児島市内から約2時間のドライブと20分の船旅で辿り着く長島町獅子島。ここで生まれ育ち中学まで過ごした山下さんは、故郷の食の魅力を生かして人の流れを生むこと、そして過疎・高齢化が進むこの島が活気づく未来を思い描きUターン。両親が数年前に立ち上げた水産加工品グループ「島のごちそう」を引き継ぎ、新たな事業展開を図っている。

獅子島の海の幸は、まさに「島のごちそう」だ

とにかく島を出たかった

長島本島と橋でつながる諸浦島から、フェリーで20分。高校生になると皆島を離れる

「島で暮らしていたころは、すぐにでも島を出たいと思っていました」

そんなふうに子どもの頃を振り返る山下さん。両親は漁師で、物心つく前から両親に抱かれ海へ出ていたという。小学生の時には早朝に底引き網漁を手伝い、シャワーを浴びて登校。放課後の遊びはもっぱら釣りで、自宅から徒歩圏内に同世代の子どもがいなかったこともあり、学校から帰ると自宅前の堤防で一人、釣り糸を垂らし過ごす日々。島には中学校までしかなかったため高校は島外へ出てバレーボールに打ち込んでいたが、週末や長期休暇に島に戻り漁を手伝うのが当たり前だった。

「帰って来るのが嫌で仕方なかったですね。両親は、魚がどこにいるかとかいろいろ考えながら作業していたんでしょうけど、自分にとってはただただ単純作業の繰り返し。部活があるからとか、練習試合だからとか、何かしら理由をつけて帰らないこともありました」

子どもの頃を振り返る山下城さん

高校では3年間バレーボールに打ち込み、そのうち自分も学校でバレーボールを指導できたらと、教師の道を志すようになる。進学した長崎の大学では商業高校の教師を目指し、無事教員免許を取得。しかし商業高校で教鞭を取るならまず自分がビジネスの現場を経験するべきと考え、一般企業に就職した。いくつか内定をもらったなかで山下さんが決めたのは、世界的に事業を展開している大手製造業の会社だった。

就職先にそこを選んだのには、中学3年生の時、ニュージーランドにホームステイしたときの経験が影響している。2週間のホームステイだったが、2日目でけがをしてしまったという山下さん。頼れる人のいない不安と心細さのなか、ホストマザーが毎日病院に付き添ってくれ、家では手当てをしてくれた。

「言葉はうまくしゃべれなかったんですけど、ホストマザーの優しさを感じられて、向こうもこちらの痛みや辛さを察して気にかけてくれる。言葉が通じなくても気持ちは伝わるんだというのが、すごく印象に残ってますね。」

言葉や文化が違っても通じ合えることを実感した体験。そこから、色んな国に行ってみたい、色んな国の人と出会って話したい、視野を広げたいという想いが強まり、そんなフィールドを持つ企業へ進むことを選んだのだった。

「世界」が集まるマーケットで

「せっかく世界的に展開している企業。自分も外に出てみたい」と、海外赴任を希望していた山下さん。入社後は国内営業として関東エリアを担当、3年かけて取引先における自社製品の販売シェアをナンバー1にまで押し上げた。ちょうどその頃、上海駐在の声がかかる。そこは成長著しい中国のビジネス拠点。現地の事業所をまとめるマネージャー的な立場として、営業だけでなく、仕入れや商品企画、財務、人材の採用まで、全般を管理した。世界が注目する中国最大の経済都市だけに、仕事を通して様々な国の人とつながり、多様な価値観に出会った。そんな上海での経験は、山下さんの気持ちに変化をもたらすことになる。

「上海で出会った人は皆、自分の国や家族、そして仕事に対しても、すごく熱い想いを持っているんですよね。話をしていて、いつも皆の熱い想いに引き込まれ、聞き入っちゃうんです。当然僕も、同期や先輩に負けないようにというそれなりの想いを持って仕事をやってきていたんですけど、ふと自分が本当に想いを持ってやりたいことは何なのかと考えたときに、やっぱり実家の家業、これを拡げていくことだなと思うようになりました」

上海駐在で「自分が本当にやりたいこと」を意識しはじめた山下さん。
後編では、ふるさと獅子島や家族への想い、Uターン後の仕事や暮らしについてお話をうかがいます。

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