鹿児島県の広さを表現する際に、「南北600キロ」という言葉が使われる。言葉通り、鹿児島県の北端に位置する出水市(獅子島)から、南端の与論島までの直線距離である。
600キロといってもピンとこないかもしれないが、日本地図を開いて鹿児島市を中心に半径600キロの円を描いてみると、にわかには信じがたいが遠く大阪市(あるいは朝鮮半島の内陸部)までがひとつの円に含まれる。
また海岸線の距離は、北海道と長崎県に次いで日本で3番目に長い2,722キロ。鹿児島県本土や離島のすべての海岸線をひとつに繋いで伸ばすと、北海道の稚内から沖縄県那覇市までの直線距離(2,460キロ)をゆうに超える長さになる。
それだけ広大なスケールの生活圏の中に人々が暮らしているわけだから、ひと口に「かごしま」と言っても、気候も風土も風習も人柄も言葉も食事も多種多様なわけである。
北から南、あるいは西から東へ。鹿児島の「ハレとケとへ」をめぐる旅と暮らしは果てしない。どこへ行くにも車で移動するため、2011年に購入した車の走行距離はすでに25万6千キロを超えた(この8年だけで地球6周分、これまでのトータルで考えると月までの距離(38万キロ)さえ到達しているはずだ。日本各地を車で回るカメラマンならともかく、僕の主な現場は鹿児島県内。世界地図では点にしか見えない狭いエリアを、ただひたすらぐるぐると走り、パシャパシャと撮り続けている。
数ある離島にも仕事で幾度となく訪れた。「色々な場所へ行ってみて、一番住みたいと思った町はどこ?」と聞かれることも多いが、いつも答えにとまどってしまう。旅をしたい場所、また訪れてみたい場所は多くあるが、わざわざ住んでみたい場所を考えることはあまりないからだ。
そもそもカメラマンを目指した理由が、「色々な所へ行きたいから」という単純な理由だったことを考えると、住む場所よりは、遠く近くのまだ見ぬ場所(や人)にこそ興味がある。
実際、鹿児島に拠点を移してからも同じ場所に長居することはあまりなく、15年の間に新照院町、田上台、姶良市、鴨池、坂之上と居場所を転々と移動している。
どうやら「名は体をあらわす」という言葉は僕にはあてはまらないようで、「有城(ゆうき)」という名前を珍しがって「お城が有るの?」と笑って尋ねられる度に「ずっと賃貸で転々と暮らしてます」と返答することも、もはやひとつの決まりごとになっている。続く
1978年、長崎市生まれ。九州ビジュアルアーツ専門学校・写真学科卒(福岡市)。写真学校在学中より屋久島をテーマに撮影し、卒業後、移住。島の情報誌づくりに携わりながら作品制作を続け、丸4年を過ごす。25歳から鹿児島市に拠点を移しフリーランスのフォトグラファーとして活動。