プロローグ
鹿児島県の北部にある港町、阿久根市に石川さんは「地域おこし協力隊」としてやって来た。そして任期を終えた現在も阿久根市に残り活動を続けている。地域おこし協力隊とは総務省によって2009年度から始まった制度である。人口減少や地理的条件などによって不利な地域の維持と強化を目的として、それらの地域に都市部からの人材を受け入れてもらうというものだ。任期はおおむね1年以上3年以下。その期間中、協力隊となった人は住民票を移してその地域で生活し、地方自治体の委嘱を受けて主に地域おこしに関する各分野で支援活動をする。
石川さんは古い建物を再生、活用するリノベーションのプロフェッショナルとして京都で活躍していた。2015年に阿久根市の地域おこし協力隊になってからも主にその技術を生かして市内の古い建物の再生に携わっている。イワシの丸干しを主力商品とする下園薩男商店の「イワシビル」もそのひとつだ。
石川さんはなぜ阿久根市の協力隊になったのか、移住以来どのような活動をしてきたのか。イワシビルの3階にあるゲストハウスの共用スペースでお話をうかがった。
インタビュー:今田 志野 撮影:高比良 有城 取材日2019年3月
多くの実績を残していた京都を離れる決意
千葉県出身の石川さんは大学卒業後に京都で就職し、そのまま40歳までの長い年月を京都で暮らした。29歳で起業し、古いビルや工場、旅館をリノベーションする会社を始めてからは、京都を中心に住居だけでなくオフィスやアトリエなどにして再生させるプロジェクトを数々手掛けてきた。その数は部屋数にして500を超える。
石川さんの仕事はただ古い建物を再生させるだけではない。その再生をきっかけに地域に新しい方向をあたえ変化させていくという「町づくり」にまで及ぶ。2012年の京都市下京区の古ビルを再生した「共同アトリエビル・つくるビル」はその代表的な事例のひとつだ。それらの仕事はメディアにも取り上げられ高い評価を得ていた。石川さんが手掛けた建物周辺は、もともと名もない地域だったが全国的な雑誌の特集で新たにエリア名がつけられ、そこが観光地になるなどの現象も起こった。このような町づくりはコミュニティ・エリアデザインとも呼ばれる。石川さんはこれまでやってきたことを「建築物を使って町の空気感を変えること」だと言った。
「無価値だった建物が再生し、そこに人が集まって、その人たちが新しい要素を与えてくれて、そこから生まれるカルチャーやコミュニティが町を変えていく。本来リノベーションにはそういう力があります。元々ある建物という資源を使って町に新しい雰囲気と活力をもたらす。町を元気にするということをやってきました」
しかし、これらリノベーションを通したコミュニティ・エリアデザインを始めてから約10年を経た頃、京都は変わりつつあった。過剰にインバウンド景気が進み、地価が上がり過ぎていった。古い建物の保存や再生によって長期的にじっくりと町のあり方や将来を考えるような事業は見捨てられてしまうようになっていったという。
「京都では世界遺産にもなっている由緒ある神社の土地の一部が売られて億ションが建ったり、ホテルの建築看板も驚くほど増えていったり。そういう状況の中で、京都での私の役目は終わったと感じました。町づくりの仕事を続けるのであれば、より必要とされている場所でした方がいいんじゃないかと考えるようになったんです」
実績を残してきた京都を離れるか否か、石川さんは2〜3年もの間悩んだという。
その間に触発されたのが「地域おこし協力隊」となった知人の活動だ。その姿を見て、自分も京都での経験を生かしてどこかの地域を元気にしたいと思うようになった。
「地域おこし協力隊」として阿久根市へ
2014年、石川さんは東京ビッグサイトで開催された地域おこし協力隊の全国合同相談会に足を運ぶ。その時すでに行き先は九州と決めていたそうだ。理由はきれいな海が見える場所が良かったから。また、東日本大震災の影響などもあり、なんとなく気持ちが西へ向いていたという。相談会の会場では派手に募集している自治体もあったが、石川さんはまだ賑わっていない町で仕事をしたいと思った。用意された仕事をするのではなく、自分で課題を見つけて地域おこしができる場所。その条件に合う場所が、たまたま阿久根市だったという。
「当時、阿久根市は地域おこし協力隊を採用するのが初めてでした。市の担当者さんは、まだ地域おこし協力隊というものがよく分かっていない状態だとおっしゃっていて、私が自発的に仕事をしたいと言うと喜んでくれました。それで阿久根市に行くことにしたんです」
そして相談会から間もない2015年8月、阿久根市に移住した。最初は長く居るつもりはなかった。阿久根市での仕事を終えたら福岡や宮崎、大分など九州の各地も見て回ろうと考えていたが、気がつけば移住して3年以上が経った現在も阿久根市に居続けている。
「地域おこし協力隊」はより良い制度になる可能性を持っている
阿久根に来た当初、まず石川さんが最初に驚いたのは住居だったという。地域おこし協力隊の住居は多くの場合、自治体が用意してくれる。石川さんにも一軒家を市が用意してくれたが、その家を見ていきなり怒ったそうだ。
「明日から工事しないと、とても気持ち良く住める状態ではない“ビフォアー的”な家だったんですよ。トイレも汲み取り式でした。それで、すぐに自分で予算内のアパートを見つけて市に申請しました。今では笑い話ですけどね」
地域おこし協力隊については各地で成功例がたくさんあるが、協力隊になった人がうまく機能できなかったり、採用された自治体との歯車が合わなかったりなどの失敗例もある。地域おこし協力隊の理想的なゴールは、任期後もその地域に残って定住することされている。任期後も阿久根市に住み続けている石川さんはまさに理想形といえるだろう。
しかし、協力隊が任期後も地域に定着するには制度として不十分なところもあると石川さんはいう。地域おこし協力隊は総務省から給与以外にも活動費が支給されるので、家賃や車両代はそれで賄うことができる。しかし給与は手取りで13万〜14万円ほどでボーナスなどはない。
「そのお給料では貯金ができないのが一般的です。任期後もその土地に残るとなると、どこかに就職するわけですが、そもそも地元の若者が流出しているのは就職する会社がないのが原因。そうするとその地域で新たな仕事を創出しないといけないけれど、地域おこし協力隊の最大3年の任期内にその地域に残れるような仕事をつくることは多くの場合難しい。ですが、任期後もその地域で働いていけるように各自治体で仕組みを変えていくことができれば、地域おこし協力隊というのは良い制度になっていくのではないかと思います」
石川さんは2年半の地域おこし協力隊の任期を終えてからも阿久根市に残り、観光協会の事務局長として働きながら、市内外のリノベーション関連の相談に乗るなどの活動もしており、今後も当面は阿久根市に住み続ける予定だという。
「まだまだ、ここで楽しいことができそうな気がしている」と明るい顔を見せる石川さん。何やら新しい事業の準備を着々と進めているようだ。
では、石川さんの阿久根でのこれまでの活動について、そしてこれからスタートさせる新しい事業について詳しく伺いました。