「桜島」という名前の由来のひとつに、島の神社が祀る「コノハナサクヤヒメ」が「さくや島」に転じ、いつしか「さくら(桜)島」と呼ばれるようになったという説がある。
コノハナサクヤヒメは日本神話に登場する美しい女神で、山の神、火の神、酒造の神として全国各地に祀られている。
桜島における信仰の対象は山そのもの。各集落に大小様々な神社が存在するが、そのご神体はみな山頂に向けて祀られているという。火山に対する畏敬の念を持ち、火山とともに暮らしてきた人々の想いもまた、古来から脈々と息づいているのだ。
幾度とない爆発や噴火を繰り返しながら、今もなお絶えず噴煙をたなびかせる桜島。錦港湾に浮かぶ山姿は雄大だが、暗闇の中に真っ赤なマグマが弧を描いて噴き出す夜の姿も美しい。
多いときには年間1000回にもおよぶ噴火や爆発を起こす桜島。昼間であればもくもくと湧き上がる噴煙によってその活動を目の当たりにすることができるが、当然ながら夜にも人知れず噴火活動を繰り返している。
夜の噴火を撮ることは技術的に難しいことはないが、忍耐だけは必要だ。島内にはいくつかの撮影スポットがあるが、カメラマンが近づける場所は火口から3キロ以上離れている。
月明かりがない夜などは火口が見えないため、明るいうちに三脚を据えて構図とピントを決め、あとはひたすらジッと噴火の瞬間を待つだけ。
しかしこの「待つだけ」というのが大変なのだ。夜の噴火は肉眼でも見ることができるが、しばらく闇に眼を慣らす必要があるため明かりは使えない。よそ見や目を閉じて待つのもNG。たとえ爆発の音に耳を澄ませていたとしても、(火口から撮影場所までの距離が離れているため)爆発音が耳に届いた頃にはすでにシャッターチャンスを逃している(10秒近くも!)。
撮影は忍耐と根性。闇に溶け込む火口に目をこらし、暑さ寒さに加えて雨や風や灰や蚊や猪などの降りかかる試練をしのがなければならない。と当時に、別の撮影スポットに点在してカメラを構えているであろう他のカメラマンとの根性比べでもある。「粘り」のみを信条とする僕にとって、「自分が諦めて帰ったあとに、大きな爆発があって他のカメラマンが撮った」ということだけは許されないのだ。
夕方のセッティングから明け方の撤収まで。いつ噴火するとも知れない山との静かなにらめっこ。できる暇つぶしといえば歌を唄うくらいだが、あるとき僕がふいに口ずさんだのは「くる~、きっとくる~」という、あの有名なホラー映画の旋律。あまりにも噴火が待ち遠しかったために「噴火よ来い!」という願望がもたらしたフレーズだが、自分で唄っておきながらも思わず背筋がゾッと凍った。
必死に別の歌を唄ってごまかしてみても、一度取り憑いた恐怖心はなかなか消えない。他に誰もいるはずのない闇の中で、ハッと背後を何度も振り返りながらあたりを伺う僕。ついには襲いくる恐怖を払拭しようと、一心に「神様、仏様、コノハナサクヤヒメ様、どうかお助けを…」と震える声で唱えるのだった。続く
1978年、長崎市生まれ。九州ビジュアルアーツ専門学校・写真学科卒(福岡市)。写真学校在学中より屋久島をテーマに撮影し、卒業後、移住。島の情報誌づくりに携わりながら作品制作を続け、丸4年を過ごす。25歳から鹿児島市に拠点を移しフリーランスのフォトグラファーとして活動。