プロローグ
現在、ノンフィクションライター、民俗学研究者、鹿児島国際大学准教授と様々な顔を持ちながら、鹿児島県南九州市に暮らしているジェフリー・S・アイリッシュさん。日本で暮らし始めてトータル29年。人生の半分を日本で過ごしているジェフリーさんが生まれ育った国を離れ、日本の地方へ移り住むことになったルーツは、幼い頃の経験が大きく影響していた。
インタビュー:満崎千鶴 撮影:高比良有城 取材日2019年2月
他国の言葉に魅せられて
「自分の居場所は地域に関わることで生まれる」と話すのは1998年に鹿児島県南九州市に移り住んだジェフリー・S・アイリッシュさん(58歳)。
カリフォルニア生まれのジェフリーさんは子供の頃、南ドイツで生活していた。
当時12歳だった彼が暮らしていたのは田舎町。
日本でも各地域で言葉のなまりや表現の違いがあるように、南ドイツもかなり濃ゆい“方言”を使う地域だった。
同じ国の言葉でありながら、“標準語”と“方言”があることの面白さや深さを知ったジェフリーさんは、この頃から「他国の言葉」に強く興味を持つようになる。
コネチカット州ニューヘイブンにあるエール大学に進学しタイの歴史や言葉を学んでいた大学2年生の時、日本の文学や映画に出会い強く感銘を受けたのをきっかけに日本の文化や歴史に強い興味を持つことに。その後、ジェフリーさんは日本史を専攻し、大正・昭和初期の日本の歴史を学び始める。
「大正・昭和は現代に近い歴史であり、手の届く距離にあると思ったのでとても惹かれました。日本語の響きも好きだったし、日本の田舎に行けば教科書で学んだ歴史の景色がまだ残っているのではないか?そんな風景に出会えるのではないか?と思った」と、当時を振り返る。
そんなジェフリーさんが始めて日本へ立ち寄ったのはタイへ行った帰り道のことだった。
地位を捨て“漁師”へ転身
大学を卒業後、飛行機代を稼いで日本を訪れたジェフリーさんは、そのまま就職活動を始め、
最初に受けた大手ゼネコン清水建設にすんなり入社が決まり、日本での生活が始まったのだ。東京の本社で2年間働いた後、ニューヨーク勤務となったジェフリーさんは、子会社を立ち上げ、6年間人事や経理、法律など全般的な任務をこなしながら副社長という地位ある立場を築いた。
誰もが羨むエリートコースを順調に進んでいたが、以前から夢見ていた“日本の田舎暮らし”を実現するため、あっさり退職。
退職後は知人を頼って1人、鹿児島県の下甑島へ。そこで、なんと定置網漁を行う漁師へと転職したのだ。
「都会(東京やニューヨーク)の生活は学びも刺激も多かったが、いつか田舎に住んでみたいという気持ちが強かった。サラリーマン生活を8年間続けてみて、夢を叶えるなら今だ!と退職することを決意した」と大きく進路を変更した経緯を振り返る。
学びを得るためアメリカへ…そして再び日本へ
これまでの人生で、一番いい決断をしたのが下甑島への移住だったと話すジェフリーさん。
島での新たな生活は驚きと学びの連続だったそうだ。
仕事の仲間と強いコミュニティーで結ばれる島は“暮らし”よりも“仕事の中での繋がり”が強かったと当時を振り返る。
島暮らしの様子をアメリカの友人に話したところ、“民俗学的なことを生活の中でやっているんだね”と言われたのをきっかけに、“もっと専門的なことを勉強したい”と、一度日本を離れアメリカへ。
ハーバード大学大学院にて民俗学を学んだのち、翌年には京都大学大学院へ留学。京都では山をひたすら歩く巡礼“山伏の行”に参加したり、紀伊半島の“奥駈(おくがけ)”に参加するなど日本の文化に触れる貴重な体験をしたという。
「山伏の行では色々な人が色々なところから訪れ、数日間を共に過ごす中で生まれるコミュニティーの強さや、惜しみながらそれぞれの生活へ戻っていく関係がとても素敵でいい経験だった。帰りのバスの中で、“ジェフリーが本を出版したらしいから買ってあげようよ!”と共に巡礼を体験した仲間たちが話しているのを聞いて、みんなで応援してくれる気持ちが嬉しかった。」と温かな思い出を振り返る。
日々の暮らしの中にある“言葉の学び”
国境を超えた移動を繰り返してきたジェフリーさんは、
「興味のあることや学びの可能性を感じた時、それらに向かう」と話す。
「最初の10年くらいはとにかく日本の言葉に魅力を感じて居続けました。日本語は英語と共存することがない。まるで引力の違う惑星の上を歩いているような感覚でとても面白いし、暮らしの中に常に言葉の学びがあるのは贅沢」と語る。
ジェフリーさんはハーバード大学大学院を卒業し、下甑島で暮らしていた頃、“漁村の暮らし”は体験したので次は“農村の暮らし”を体験してみたいと50ccの原付バイクで1人、拠点となる場所を探す旅に出た。
そして薩摩半島の中心にある南九州市川辺町で見つけたのが牧場の中に佇む牛の見張り小屋だった。
開聞岳を望む最高の立地に佇む家。
「水も電気もない家だからやめておいた方がいいよ」と言われたものの、周辺の美しい景観と家そのものが持つ魅力に一目惚れしたジェフリーさんは、「家がその場で幸せに暮らしているような印象だった。この家と一緒に暮らしたいと思った。」と話す。
自らの手で少しずつ暮らせる家づくりを始め、土喰集落にあるこの家で里山暮らしを始めたのだ。
<後編では南九州市川辺町で暮らすジェフリーさんの様子をお届けします>