海と山に囲まれて子育てを。第一子の誕生を機に妻の故郷・ 霧島市へ(後編)

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プロローグ

霧島市の「ふるさと創生移住定住促進制度」とは、霧島市における移住定住を促進するための補助制度で、条例で定めている転入定住者または転居定住者が中山間地域に住宅を取得するか増改築した場合、中山間地域の貸家(一戸建て住宅)に入居した場合などが対象になる。

清水さんご夫妻が霧島に移住を決めた理由の一つはこの制度の存在である。お二人は移住後1年で制度を利用し中山間地域に家を新築することができた。家を持つことで、一家の暮らしはどのように変わったのか。後編では移住後の暮らしについてうかがった。

参照:霧島市ホームページ/移住・定住サポート>ふるさと創生移住定住促進制度(補助制度)

https://www.city-kirishima.jp/kyodo/shise/ijuteju/support/hurusatosouseiseido.html

※上記制度においては条例が施行された平成28年4月1日から平成32年3月31日までの間が基本的な対象期間

インタビュー:今田 志野 撮影:高比良 有城 取材日2018年12月

移住後は鹿児島弁に苦戦。でも、言葉以外の苦労はなかった


大将さんが務める「株式会社ブレイブ」は霧島市隼人地域の市街地にあるウェブ制作会社だ。今回の取材は休日にこの会社の一角をお借りして行った。古民家風のこぢんまりとした平屋建てで、入り口にはのれんが掛かっている。一見すると蕎麦屋か和食屋という外観。中に入ると、壁の棚には社長の趣味という壺などの焼き物が並び、和ダンスもある。大将さんは「この雰囲気の中でデジタルな仕事をしているというギャップに惹かれました。ここの求人を見つけた時は、ここしかないと思いましたね」と語る。

ブレイブは現在、霧島の企業や商店のホームページ作成をはじめ、写真撮影や映像制作、また「きりなび」という霧島の企業や商店の情報を発信する情報サイトの運営も行っている。大将さんは移住後、すぐにここでアートディレクターとして働き始めた。これまでに地元の建設会社や市の観光協会のウェブサイトなどを手がけている。

ブレイブは地元に密着している会社で、クライアントはほとんどが霧島の会社や団体。まず苦労したのは鹿児島弁だ。相手が年配の人であるほど、独特の単語やイントネーションが難しく聞き取れなかったという。しかし、県外から移住して来たことは会話の糸口になる。話を広げるためにも関東出身であること、移住したことを積極的に話した。取引先の人は「よく来てくれたねぇ」と、皆が気さくであたたかかったという。今でも鹿児島弁には苦労しているというが、それ以外に移住して苦労したことは何もないそうだ。

大将さんに取材していると、時折聞こえる「ですです」。「ですです」は、「そうです」を意味する鹿児島独特の相槌の言葉だ。移住3年で鹿児島弁も自然に口から出るようになった。

「鹿児島弁に苦戦はしていますが、鹿児島弁のイントネーションがすごく心地よくて好きなんです」と大将さんは穏やかに笑う。

大将さんが制作した鎌田建設株式会社のウェブサイト

 

大将さんが制作した霧島市観光協会のウェブサイト「観光コース(西郷どんの休日)」

頼れる人がそばいる「ありがたさ」を実感


一方、奥様の美希さんは移住後の仕事と育児の両立に苦労したという。家計を支えたい思いで、移住して約3ヶ月後、娘さんが1歳になる前に働くことを決めた。東京ではデザイナーやイラストレーターをしていたが、地元のハローワークではデザイン関連の仕事はなかった。

途方に暮れている時、運よく以前勤めていた東京の会社から連絡が来て、フリーでパッケージデザインをしないかと誘われる。そこからはメールと電話を駆使して遠隔で仕事をした。順調に仕事が舞い込み始めると、娘さんを保育所に入れることを考える。東京の待機児童問題の深刻さは有名な話。しかし鹿児島のしかも霧島ならすんなりと入所できだろうと思っていた。

「それが第一希望にも第二希望にも入れず、結局第一希望の保育園に入るまで10ヶ月待ちました。待機児童って全国的な問題なんだと驚きましたね」

娘さんが入所できるまでは実家の母にも頼る事もあったという。実家から遠く離れた都会暮らしでは、育児中に頼れる人もなくこういう場合一人で苦しむ母親も少なくない。美希さん自身、頼れる人がそばいることで「鹿児島に帰って来てよかった」と改めて思ったそうだ。自分の親だけでなく、幼なじみの実家にふらっと行くこともあるという。

「実家以外に、約束しなくても気軽に行っていい家があるというのはすごく良いことだなって思います」

美希さんがイラストを担当した各種パンフレット。最近は霧島など鹿児島の仕事も増えてきた。

霧島市の補助制度を利用して、移住後1年で新築を建てる

移住においてクリアすべき問題の一つは住居である。清水さんご夫妻は東京にいる間から霧島の家探しを始めアパートを決めた。しかしそれは仮の住まいで長く住むつもりはなかったという。ご夫婦は霧島市の「ふるさと創生移住定住促進制度」という転入定住者などに向けた住宅の補助制度を利用するつもりでいた。この制度は移住の大きな決め手でもあったという。アパートに住み始めてからは、家を建てるために工務店を探し始め、移住して約2年でご夫妻は霧島の中山間地域に新居を構える事ができた。

「家の前には畑があるんですが、最近その周りにオリーブの木など果樹を数本植えたんです。子供の成長とともにその木々が大きくなっていくのが今から楽しみです。いずれは家の周りを森みたいにしたいですね」

 

いつか子供たちが集まるアトリエを作りたい

家族との時間が持てるようになったことは、移住における最大の恩恵だったと大将さんは語る。東京にいる頃は残業で終電を逃すことも多かった。今では定時に終業し、夜は子供とお風呂にも入れる、それがとてもありがたいという。移住すると独立して仕事をする人も少なくないが、大将さんは今のところ独立するつもりはないとのこと。

「今の会社で、霧島の地元の企業や商店の皆さんにこれからももっと貢献していきたいです」

美希さんにも夢がある。美希さんは高校時代に鹿児島市にある美大受験生向けのアトリエに通っていた。移住後にそこを訪れると、今では絵の指導だけでなく地元の子供たちに昔の遊びを教えるなどもしていた。

「先生から『霧島でもこういう場を作ったら』と言われて、すごく面白そうって思ったんです。娘のポケットからはいつもどんぐりが出てくるんですが、主人がそれでコマを作ったりするんです。そんなちょっとしたことでも楽しめるから、同年代の子供たちが集まって何かものづくりができる場所を作れたらいいなって。パソコンに向かうだけが仕事じゃないなと思い始めています」家の周りの果樹を愛で、子供たちが集まり、その周りには頼れる人たちがいる。そんな光景は東京に住んでいたら、きっと実現は難しいだろう。移住によって日常の場面に豊かさが増していく暮らし。今後どのように展開していくのか、数年後にぜひまたお会いしてみたいと思った。

清水さんの鹿児島暮らしメモ

かごしま暮らし歴は?

3年目です。

U•I•Jターンした年齢は?

34才(大将さん)、33才(美希さん)。

U•I•Jターンの決め手は?

海と山に囲まれた環境、霧島市のふるさと創生移住定住促進制度。

暮らしている地域の好きなところ

朝の霧のかかった風景、鹿児島市内へ行く10号線の海沿いの道、鹿児島弁、人のあたたかさ。

かごしま暮らしを考える同世代へひとこと!

その場所で、何がしたくて何が出来るか、どう暮らしたいかを実際に足を運んで確かめてから決断されることをおすすめします。

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