人の縁が広げた人生の選択肢(後編)

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東京から鹿児島市内に移住した後、新しい暮らしを楽しむ中で南九州市頴娃の人々と出会い、居を構えて共に暮らすことを決めた葛岡さん夫妻。頴娃への移住を決めた経緯と今現在の頴娃での暮らしや今後の展望について話を聞いた。

インタビュー:里山 真紀 撮影:高比良 有城 コラム:中園信吾

2018年8月取材

頴娃との出会いと二段階移住

鹿児島市に引っ越した後、葛岡さんは南九州市知覧の食肉加工会社に就職。これまでのキャリアを活かせる営業管理部門の仕事についた。そこから移住者の集まりなどに参加しているうちに、頴娃のまちづくりに取り組むNPO法人頴娃おこそ会の観光プロジェクトリーダーの加藤潤氏に出会う。加藤氏もIターン移住者で、彼の取り組みは地元のみならず全国からも注目を集めている。それからは、頴娃おこそ会の活動に参加するために頴娃に足を運ぶことが増え、「頴娃がいいかもしれない」と移住を決めた。「鹿児島市内や他の地域でつながりがあればそっちに行っていたかも」と友味子さんが語るように、人の縁で決まった移住だ。鹿児島弁の中でも特に難解と言われる頴娃の言葉には未だに慣れないが、清掃活動や行事などを通して地域の人々との暮らしを楽しんでいる。

都会暮らしから180度変わるような田舎暮らしにするのではなく、まずは仕事や家を探すのが比較的容易で現実的に住みやすいところに移住し、無理なくさらに地方へ居を移す。近年はこのような移住の仕方を「二段階移住」と呼び、葛岡さんの移住がモデルケースのひとつではという移住関係者の意見も聞かれるが「結果的にそうなっただけ。ただし、初めに住んだのが鹿児島市内だったので移住生活を早くスタートすることができた」と克紀さんは振り返る。

 

自分のやりたいようにやっても生活はできる

2人とも定年を迎える前の社会人としての寿命はまだまだ長い。移住と言えば独立や農業といったイメージがあるが、まずは会社勤めで人とのつながりや地域のことを知ったほうが良いと考えたそう。

知覧で働いている克紀さんは住まいが頴娃になり、むしろ家と職場が近くなった。派遣会社に登録して鹿児島市内で事務の仕事をしていた友味子さんは、頴娃では農家で収穫や植え付けなどの手伝いや、地元の旅館に併設のカフェで働いている。元々移住後は地域に根ざす仕事をしたいと考えていた友味子さんは「自分がやりたいようにやっていっても生活ができるんだ」と実感。東京では成し得なかった暮らしを送れるようになった。

 

まちづくりに目覚める

 

「地域おこしの活動に関わるようになるとは思わなかった」と語る克紀さん。勉強になると思い、鹿児島県地域づくりプロデューサー養成講座に参加。この講座では地域の課題を見つけ、解決していく手法を学んだ。鉄道ファンの克紀さんは、家の近くにあり乗客減が問題になっているJR指宿枕崎線に注目。頴娃おこそ会の加藤氏が同線の活性化に取り組んでいたが、それを引き継ぐ形で活動している。「このような活動に関わるなんて、東京では考えられない。頴娃に来て目覚めました(笑)」と、鉄道だけでなく、バス、自転車など「乗りもの」を使った観光プロジェクトの推進に意気込んでいる。

地方創生をリアルに実践する場。のんびり暮らすはずだったが、このような活動に関わるようになったのも、人の縁だ。

  

私達がいるから来てくれるまちに  

二人の移住に対して身内からの反対はゼロではなかった。「なんで縁もゆかりもないところへ」と言われることもあった。それについては、しっかり準備をして行くことを伝えて納得してもらった。頴娃を訪れてくれた両親に新鮮な地元の食材を食べてもらい、近場の温泉に入ったり、豊かな自然を見て過ごしてもらうと「また来たい」と言ってくれた。友味子さんは「私達がいるからと来てくれる人もいる、もしかしたらそれは観光に寄与しているのではないか」と話す。

 

地方は仕事がないと思われがちだが、地方の会社は、実は求人で困っているところも多い。「ある程度キャリアがあったり、色んなことに取り組んできた人にとっては、じっくり探せばきっと活躍できる場所がある」と、自身の経験を踏まえて克紀さんは話す。友味子さんも「同じ会社で働いて定年まで働くといった『こうでなければだめ』という考えが変わった、色々組み合わせて自分の働き方を考えれば、やりたいように暮らしていける」と口を揃えた。 

「将来は、観光で来てくれた人が、また遊びに来たいと思う地域を共に暮す人々と作りたい。移住まではしないけども、遊びに来てくれる人を増やしたい」。そんな思いを持つ葛岡さん夫妻はすでに「地元の人」かもしれない。そして、葛岡さん夫妻が「この人達と関わって地域で面白いことをしたい」と感じたように、二人の姿を見て「この人と・・・」と思う人がきっと現れるはずだ。

葛岡さんの鹿児島暮らしメモ

かごしま暮らし歴は?

3年目です。

 U•I•Jターンした年齢は?

44才(克紀さん)、39才(友味子さん)。

 U•I•Jターンの決め手は?

東京で老後を迎えるのに不安を感じた

 暮らしている地域の好きなところ

 自然が豊か・食べ物が美味い

 かごしま暮らしを考える同世代へひとこと!

 自分がやりたいようにやっていっても生活ができるんだと実感している。楽しくやってる人もいるというのを知ってもらいたいですね。

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