「農家になりたい!」若夫婦の夢を叶えた手厚い制度(前編)

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プロローグ


鹿児島県の東部、宮崎県との県境に位置する志布志市は、海・山・川と手付かずの大自然に囲まれ、多くの農畜水産物を全国へ出荷している「食の宝庫」。
2010年に志布志市へ移り住んだ梅沢さんご夫妻は、親族の反対を受けながらも長年抱いていた“農家になりたい!”という夢をこの町で叶えた。
“ここは夢を叶えられる場所”と笑顔いっぱいに話す2人が移り住んでくることになったこれまでの道のりを聞いた。

インタビュー:満崎千鶴 撮影:高比良 有城 取材日2019年3月

本物の美味しさを知り、抱いた夢は「農家」

志布志市にある全校生徒35人という小さな学校で伸び伸びと育った由姫さんが農家を目指したのは中学生の頃。地域の方が、学校のすぐ隣にあった広大な畑を貸してくれたのをきっかけに、当時の担任だった恩師が生徒1人につき一坪ずつ畑を与え、作物を育てるという貴重な体験をさせてくれた。

「恩師は家庭科の先生だったので、“食育”も兼ねての事だったと思いますが、みんなそれぞれ好きな作物を育てていました。私は高菜を。耕し、種を蒔き、時間をかけて大切に育てて収穫した高菜で作ったお漬物が美味しくて…衝撃でした!」と由姫さん。
以前、祖父が農家を営んでいたこともあり、農業の大変さを知っている身内から“女の子が農家になるなんて…”と反対も多かったそうだが、『本物の美味しさ』を知った由姫さんは、農業系の大学へ進むことを決意。

“農家になる!”という最初の一歩を踏み出した。

一方、ご主人の健太さんの学生時代は根っからのサッカー少年。
2人が出会った日本大学へ進学したのもスポーツ推薦によるもので、農業とは無縁の環境で育った。

大学では農業関係の研究室に入り、種から苗へ、その苗を畑に植えて収穫した野菜を研究室の仲間とお酒を飲みながら食べる…という楽しい経験が、健太さんに農業の楽しさを教えてくれた。
「種から芽が出る瞬間や、日々成長する過程を観察したり出来た野菜を収穫してみんなで食べる活動がとても楽しかった」とご主人。

それぞれ歩んできた道は違えど、こうして2人は“農家”という共通の夢を抱き、進み始めたのだ。

捨てきれない想い

由姫さんより一年早く大学を卒業した健太さんは、農家になるための方法を模索した結果、知識や経験も十分ではなく家が農家でもない環境の中、新規で就農するにはハードルが高いことを知り就職試験を受けることに。

「農業関係の仕事に就きたくて20社くらい受けましたが、これまでサッカーばかりやってきたもので…(笑)大きな会社は全て不合格、結局筆記試験のないホームセンターに就職が決まりました。赴任先で農業関係の部署を希望しましたが、体つきが良かったので結局、木材・石材・建築資材を扱う部署に配属。それでもいつか農業をやりたい!という気持ちは捨てきれず、その資金を貯めるために一生懸命働きました。マネージャー、副店長へと出世しては行きましたが結局この会社では園芸部門に配属されることはありませんでした。」とご主人。

普通であれば喜ばしい出世の道を進んでいた健太さんだったが、やはり農業への思いが捨てきれず6年間務めた会社を退職した。
一年遅れて大学卒業を迎えた由姫さんは、神奈川県にある不動産会社へ就職。

「不動産業にも興味があったので大手不動産会社へ就職しましたが、やっぱり農業の夢を諦められず2ヶ月という短期間で退職しました。」

退職後、少しでも農業に関わる仕事がしたいと思った由姫さんは、農業高校の教職員免許を取得していたこともあり神奈川県の農業高校へ就職。高校では食品加工や微生物学、試験管の中で苗を育てるバイオテクノロジー学など幅広い分野を教えた。
その後、由姫さんは健太さんのいる群馬県へ移り住み、群馬県の農業高校で2年間教員を務めた後、結婚。

いよいよ、夫婦は農家になるという夢を叶えようと、二人三脚で歩み始めた。

農業するならここしかない!

2人はまず、池袋と大阪で行われた全国の市町村が集う『農業人フェア』へ参加した。そこで出会ったのが志布志市の農業公社。
志布志市は農協・市・県・農業公社と4つの団体の後ろ盾があり、農業を目指す人たちへの栽培指導や土地の斡旋、研修期間に暮らす家の紹介や家賃補助まで手厚いフォロー体制が整っていた。

「志布志市には農協と市役所が出資して出来た農業公社という施設がありました。そこでは2年間の研修制度があり、一年目は給料を貰いながら公社の研修施設で農業を学びつつ、作った作物を出荷することが出来ました。2年目は給料こそないものの、施設で作った作物を出荷・販売、農家として生計を立てるためのトレーニング期間が設けられていました。」と健太さん。

「他県のブースで何を聞いたかも忘れてしまうくらい印象が強くて、ここしかないな!と思いました」と由姫さん。

「私たちは土地も知識も経験もない本当の初心者だったので、北海道のような大規模な敷地でスタートを切るのは難しいと思いました。小さい面積で稼げる施設園芸が自分たちには向いていると。

祖父がピーマン農家だったことは、土地を貸してもらえたりと結果的にはお世話になったけれど、ピーマン農家になりたい!とこだわりがあった訳ではありません。私たちは“ピーマン農家になりたくて農業を始めた”わけではなく、“農家になりたかったからピーマン農家になったのです”」

梅沢さんご夫妻が育てるピーマンは大隅半島の志布志・串良地区の名産で『冬春ピーマン』と呼ぶそうだ。
冬春ピーマンは9月に植え付けして翌年の5月まで収穫できる。

長期間かけて収穫出来るのは、日照時間が長いことが条件のため、海側にある開けた土地である必要があった。このピーマンは温暖な気候である鹿児島・宮崎・高知・茨城の4か所だけで取れるそうだ。


こうしてピーマン農家としての一歩を踏み出した梅沢夫妻の挑戦と志布志暮らしは始まった。

<後編では志布志市で暮らす梅沢さんご夫妻の様々なチャレンジや充実した私生活の様子をお届けします>

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