大楠のまち蒲生でものづくりの楽しさと 地元の魅力を発信<前編>

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【プロローグ】

鹿児島県の中央部に位置する姶良市蒲生地域(旧蒲生町)。

ここは日本一の巨樹「蒲生の大クス」で有名なエリアだ。

平成22年の市町村合併で、隣接する旧加治木町、旧姶良町とともに姶良市になったが、JRの駅を有し鹿児島市のベッドタウンとして人口が増加傾向にあった他の旧2町に比べ、交通の便が悪く人も少なかった旧蒲生町には、市町村合併によって地域間格差が広がるのではと心配する声も少なくなかった。しかし今、蒲生は県内でも注目されている地域の一つだ。

薩摩藩政時代の町割りや武家門、石垣などが残る風情ある街並みや自然豊かな環境を生かした、住民による着地型観光への取り組みによって、市町村合併以前よりも交流人口は格段に増している。新しい店がじわじわと増え、歴史香る静かなまちには、常に変化を感じさせる新しい空気が流れている。

そんなまちの変化が今でこそ注目されている蒲生だが、それよりもずっと以前にギャラリーを構え、まちに変化をもたらしてきたのが野田寿子さんだ。

コラム:奥脇 真由美 撮影:高比良 有城 2018年10月取材

レストランや温泉、宿泊施設を備えた姶良市蒲生地域の交流拠点「フォンタナの丘かもう」から山手の方へ車を走らせると、突如桜並木が現れた。取材日の季節は秋。花びらがほころぶ時季にはきっとピンクのトンネルになる、そう思いながら進んで行くと、今度は黄金色に広がる田園風景が目に飛び込んでくる。たった数キロの距離で四季の風情を贅沢に楽しめる場所に、野田寿子さんの営む和紙ギャラリーはあった。ここでは野田さんのご主人が創る創作和紙や、野田さんが手掛ける紙布織り(しふおり/紙を糸にして織り込む織物)、染物などの展示販売やワークショップのほか、カフェやランチメニューの提供も行っている。

山間にある蒲生地域

与論島で出会ったご主人と結婚を機に鹿児島へ

縁のなかった鹿児島へ野田さんがやってきたのは42年前。「およげ!たいやきくん」や「木綿のハンカチーフ」がテレビやラジオで流れていた頃だ。きっかけは、ご主人との出会いまでさかのぼる。野田さんはもともと兵庫県西宮市出身。

北海道白糠町出身のご主人は、出会った時東京でデザイン関係の仕事をしており、一方で野田さんは大学生だった。それぞれ関東と関西に暮らし、出会うはずのない二人を結び付けたのは、鹿児島県最南端の島・与論島。二人とも島が大好きで、それぞれに時間を見つけては、与論島や奄美大島、沖縄などの離島に出かけおり、運命の出会いの場となったのが与論島だったというわけだ。

野田さんが大学を卒業するのを待って二人は結婚。

愛して止まない離島に近い鹿児島へと移り住んだ。最初から蒲生を目指していたわけではなく、まず「桜島の見える場所で暮らしたい」と選んだのは、鹿児島市街地から車で20分ほどの高台にある伊敷団地だった。第二次ベビーブームを経て、鹿児島市内にも次々と団地が造成されていた時期だ。

初めて暮らす鹿児島。野田さんは関西弁、ご主人は北海道弁と標準語だったことから「周りが気を使っているのか、無理してしゃべってくださることもあったりして、逆に溶け込みにくい部分はあったかな」と野田さんは振り返る。それでも次第に鹿児島での暮らしに慣れていき、伊敷団地では約6年暮らした。

そんななか、ある時友人に断食道場の話を聞く。奈良の寺で一か月過ごし、うち10日間は何も食べず、規則正しい生活を送るというものだ。「面白そうだね」と夫婦で体験してみることにした野田さん。そこで夫婦ともに人生観が変わり、より自然に近い環境に身を置いて暮らしたいという想いを抱くようになる。

「鹿児島に来た理由もそうなんですが、私たち夫婦はやっぱり自然が好きですし、食べ物もできるだけ自然のものを食べて、自分のからだも自然の一部という感覚で生きていきたいなあと。そうなると、たいがいの人は自分で野菜を作りたくなる。自分たちも例外ではなかったですね」

野田さん夫婦は、もっと自然を感じられ、畑を持てる場所を探すことにした。

そして次に選んだのは、薩摩半島の南端に位置する頴娃町(現・南九州市)。

肥沃な大地に恵まれたこの地域は、田んぼや茶畑、芋畑などが見渡す限りに広がり、海が近く、海岸沿いからは薩摩富士の異名を持つ開聞岳も見える。日本地図作成のために立ち寄った伊能忠敬が「天下の絶景」と称賛したほどの景色を望める場所だ。

頴娃で半自給自足子育てもスタート

頴娃町での暮らしは約8年。海の幸をいただき、野菜を作り、ニワトリも30羽ほど飼ってスローライフを楽しみ、半自給自足の生活を送るなかで、3人の子どもにも恵まれる。主な収入源はご主人が引き受けるデザイン関係の仕事で、忙しい時には鹿児島市内に部屋を借りて泊まり込むこともあった。ご主人が仕事で自宅を空けるあいだ、幼い子どもたちと家を守るのは野田さん一人。

運転免許を持っていないため、ご主人がいないときは遠出することも難しい。そのような状況が続き、今度は「ご主人の仕事」「子育て」「自然に近い暮らし」このすべてを、もっと無理なく叶えられる場所へと移る必要性を感じ始める。鹿児島市内へ行き来しやすく、かつ田舎の雰囲気が残る場所へ…そして選んだのは、鹿児島市の隣町、姶良町(現・姶良市)だった。

子育ての時期に暮らしやすかった姶良町

姶良町は、鹿児島市街地から車で30分程度。九州自動車道や国道10号線などの主要幹線道路をはじめ、JR日豊本線も走っているという利便性の良さから、鹿児島市のベッドタウンとして今なお発展を続けるエリアだ。

利便性が良好な一方で、山間地域には自然が豊かに残っている。お子さんが小中学校に通う時期に姶良町へ移った野田さん。 

「いい頃に姶良町に住んでいたと思いますね。すごく便利なところだし、子どもたちを川で遊ばせたり、学校ではカヌー教室をやってくれていたりと、自然とふれあうこともできたので」

姶良町での暮らしは約16年。

子どもも通して人付き合いが広がるなかで、野田さん夫婦は蒲生に和紙ギャラリーをオープンすることになる。

蒲生の大クス

続く<後編>では野田さんと「蒲生和紙」との出会い、蒲生への想い、そして地域の人たちとの絆が垣間見えるエピソードを紹介。新たな環境で自分らしく生きていくヒントも語られています。

後 編

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